未来への追憶 第一話 - 06

「やめろ、リウ。その必要はない」

 落ち着いたバリトンが響き、一人の男が入ってきた。黒人で、年の頃は二十代後半から三十代前半といったところだろうか。大方リウよりは年下だろう。彼が非常に長身で優れた体躯をしていることが、健二が座っている位置からも見てとれた。彼もまた、黒いハイネックのカットソーの上にロングコートを着ている。自動ドアが閉まり、男はこちらへと歩いてきた。

「ボス、聞いてたんですか」
「ああ。こっちに着いてからな」

 苦笑いするリウに答えると、男は自分の片耳に装着していたワイヤレスイヤホンのようなものを外し、健二の目の前に立って座ったままの彼を見下ろした。

「安心しろ。拷問などというものはここでは行われない」

 レイと同様、どこにも不自然なところのない日本語だ。その言葉に安心するよりも先に、彼の迫力に気圧される。彼は、すぐ側に立っているレイよりもさらに背が高かった。表情からは感情が読みとれない。健二が何か言う前に、男はリウの方に体を向けた。

「リウ。報告を」

 リウはうなずき、検査の結果を説明する。

「容貌、指紋ともに一致する個人の情報は確認できませんでした。血液検査の結果も、特に異常な点はありません。今のところ、彼が我々に対して話している内容や、名前などの基本的な情報についても嘘はついていないようです」

 黒人の男は途中で口を挟むことなく、黙って聞いていた。その間に、ゆかりが健二の体から検査用の器具を外してくれる。

「全身をスキャンしましたが、武器は一つも携帯していませんでした。特殊な機器等も身につけていません。念のために直接衣服を触って調べたところ、出てきた持ち物はこれだけでした」

 そう言って、リウはポケットから先ほどの鍵束と切符と腕時計を取り出し、黒人の男に差し出した。男はそれを受け取ると、大きな手のひらに置いて眺める。ほんの少し不思議そうな顔になったが、すぐにもとの無表情に戻った。そして、それらをポケットにはしまわず、そのまま左手に握りこんで腕を下ろした。

「結果の報告は以上です。血液検査等のデータは本部のPCに転送しておきましたので、ボスの端末からも見られるようになっていると思います」

 男は「うむ」とうなずいた。相手の仕事に対する礼も込められているのだろう。

「現時点では、この男が何者なのかはまったくわからなかったということだな」
「そういうことになりますね。あとはDNA鑑定だけですが、それは本部でないとできません」

 黒人の男はひとしきり無言で考え込んでいた。かなり長い沈黙のあと、ようやく口を開く。

「この男がここに現れたのは、何らかの理由、誰かの意図があってのことだろう。奇跡的な偶然が重なったという可能性もゼロではないが、限りなく低い」
「いえ、俺は――」

 健二は、彼らが問題視している事柄と自分はなんら無関係であることを訴えようとしたが、黒人の男に手で制されて仕方なく口をつぐんだ。

「だが、違う見方をした場合の可能性も存在する。阿久津賢士や、他の我々に害を成そうとする連中の差し金ではなく、被害者であるこの男を助けようとした人間が、この男をここへ運んだ、という可能性だ」

 レイが顎に手をやり、「なるほど」と低い声で呟いた。

「でも、なんでこの場所がわかったんすかね」
「それはわからん。またどこかから情報が漏れたのかもしれない。その点については改めて調査する必要がある。あとはDNA鑑定の結果が出れば何かしらわかるだろう」

 健二は、目の前で会話を交わす彼らをただ見ていることしかできないことがもどかしかった。彼らの話す内容に頭が追いつかない。そもそも勝手に顔写真や指紋を撮影された上に、許可無く血液検査までされ、あげくにDNAまで調べあげようとは人権も何もあったものじゃない。
 黒人の男は横顔のまま、目線だけを健二に投げた。

「我々に敵意を向けているわけでもなければ、武器も持っていない。体を改造されているわけでもないようだし、見たところは普通の人間に見える。自分がなぜここにいるのかもわからないような男なんだ。今のところどうこうすることはできない」

 そこで一度言葉を切ると、いくらか声の調子を和らげた。

「どちらにせよ、おそらくこの男は被害者だろう。しばらくはこちらで厳重な監視、保護のもとに様子を見るとしよう。幸い、この件は我々の専門だからな」

 男は、その場にいる健二を除いた全員の顔を見渡した。皆、男と目が合うと首肯する。それを確認すると、男は懐からレイが持っていたものと同じ黒い薄型の機器を取り出し、まるで警察手帳のように健二の目の前に掲げた。

「私はSGAの犯罪捜査部、特別犯罪捜査課のマーカス・クレイグだ」

 小さな液晶には男の顔写真と名前、所属する部署と課、そして名前の上に役職が表示されていた。セクション・チーフ――課長だ。
 その横に立っていたリウも黒人の男にならい、いつの間にか取り出していた自分の端末を健二に向ける。

「SGA、調査部のリウ・ジュンイーだ」

 画面の中の名前の欄は、漢字で“劉俊毅”となっている。変わった響きの名前だとは感じていたが、彼も日本人ではなかったようだ。名前から判断するに、中華圏の出身だろう。

「ボス……いいんですか?」

 レイが心配そうな声で黒人の男――クレイグに問いかけた。

「ああ。我々の名前や所属はすでに阿久津賢士に知られているし、対策はとってあるのだから問題は無い。それに、まだ敵だと断定することができない相手を一方的に拘束して調べあげたんだ。こちらも正式に名乗るくらいはするのが道理というものだろう」

 それを聞いて、レイとゆかりも先の二人と同じように、端末に自分の情報を表示させて健二に見せた。どうやら、それが彼らの組織にとっては自分たちの身分を示す手段らしい。

「俺はSGA犯罪捜査部、特別犯罪捜査課のレイモンド・ストレイス」
「同じく特別犯罪捜査課の藤原ゆかりよ」

 ようやく、わずかとはいえ彼らに関する情報とまともな対応が得られたことによって、正体不明だった彼らを信用できそうな気持ちが少しばかり芽生えた。彼らは健二が懸念していたような怪しい集団ではないのかもしれない。
 だが一つ、かなり大きな疑問がある。この点が解決できなければ、せっかく名乗られても意味が無かった。尋ねるにはちょうど良いタイミングだろうと思い、健二はおずおずと「あの」と声をかけた。クレイグが続きを促すように軽く首を傾ける。

「すみません、先ほどからおっしゃっているエスジーエーとはいったい何ですか?」

 今度こそ、クレイグはその顔にはっきりと驚きの色を浮かべた。劉が「これはまいったな」と言って笑う。
 自分は何かおかしなことを言っただろうかと、健二は急激に不安になった。彼らの間では、SGAという言葉は知っていて当然のものという認識のようだ。だが、健二がSGAと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、システムグローバル領域。少し考えて、次に胎内発育遅延児と続く。しかし、彼らの言うSGAは話の流れからしても何らかの組織名であるようなので、健二が連想した単語はどちらも当てはまりそうにない。

「思ったよりも複雑なようだな。君にはもう少し私たちに協力してもらわなければならないから、ある程度のことは知る権利があるだろう。だが、私はこれからすぐ、マネージャーに君への対処を報告する義務がある。話はその後で改めてするとして、今は一旦待っていてくれ」

 クレイグはそう言うと、レイに視線を移した。

「ストレイス、この男を上の留置部屋まで連れて行って、とりあえずそこで待機させろ。万が一のために、俺が呼ぶまではお前が付き添っていろ」
「はい」

 次に、クレイグは劉に指示を出す。

「劉、お前はDNA鑑定の依頼をしに本部に戻れ。今日はそのまま調査部で、検査の結果を元にこの男に関する情報を集めるんだ。何か重要なことがわかれば時間を問わずすぐに俺に報告しろ。特に何も無ければ明日、本部で経過を聞く」
「わかりました」

 さっそく、劉は採取した健二の血液を持って部屋から出て行く。それを見送ってから、レイは身ぶりで健二についてくるよう促した。

「じゃあ、行くぞ」

 健二は椅子から立ち上がり、彼の後を追う。ドアの前まで来ると、ロックが解除されたままになっていたドアが自然に開いた。

「そういうわけだから、ちょっと俺と一緒に待っててくれ」

 廊下に出るとレイは健二の右側に立ち、片手を軽く健二の肩に置いた。肩を押され、健二の方が半歩ほど前を歩く形になる。今度は廊下を来た方向とは逆に、右へと進んだ。健二は後ろから加わるレイの力に従って、その向かう先へと歩いた。
 小さなエレベーターで二階に上がり、また少し廊下を進むと目的の部屋の前に着いたようだ。そこは建物の端だった。ドアはまたしても自動開閉式だ。ロックされているようで、レイがドア横の電子パネルに表示された数字をいくつか入力して人差し指を押し当てると、ドアが開いた。
 留置部屋というからには刑務所の独房のようなものだろうと想像していたが、するりとドアが滑って視界に現れたその部屋は、健二に頭に思い描いていたものとはずいぶん違った。健二が部屋の中に入ると自動的に室内の電気が点灯する。そこは簡素なビジネスホテルの一室のような小さな部屋だった。ベッドと低いサイドテーブル、小さめの机と椅子の他には何も無い。小物類も置かれていないようだった。
 たった今までいた白一色の部屋とはまったく違う雰囲気の部屋だ。しかし、窓が一つも無いところと、天井の中央でドーム型の監視カメラが目を光らせている点だけは共通している。
 健二が突っ立っていると、「適当に座れよ」と声をかけられて、迷った末にベッドの縁に腰かけた。レイは入り口近くの壁に体をもたせかけ、腕を組んで立った。
 しばらくはお互いに無言だった。健二は膝の上で組み合わせた自分の両手を見つめていた。相手が立ったままなので、一人だけ座っている健二はかえって居心地が悪い。時計が無いので正確な時間の経過はわからないが、十数分は経った頃だろうか。特に意味も無く、片手の親指をもう一方の手を撫でるように動かしていると不意に静寂が破られた。

「まあ……悪かったな。いろいろあって、こういう対応しかできねぇんだ」

 ひどく言いにくそうな声だ。レイの方に顔を向けると、彼は向かいの壁に目をやったままだった。健二からは横顔しか見えないが、困ったように眉をしかめている。健二が「いえ」と言うと、彼はこちらに顔を向けた。

「ほんとになんにもわかんねぇのか? その、俺たちのこととか、自分がなんで疑われてんのかとかさ」
「はい。ほんとに何も……洗脳とかも絶対にされていませんし――今日、トラックに撥ねられてここで目覚めるまではごく普通に生きてきたので、それは自分で確信できるんです。俺は本当にただの会社員なんです。正直、皆さんが話してるのが何のことかもあまりわからなくて、まったく事態が飲み込めてないんです」

 レイは「そうか……」と言ったきり、また黙ってしまう。

「……あの、俺はいつ帰れるんですか?」
「悪ぃ、今はそれはわかんねぇ」

 そう答えた声は暗く、心底からの申し訳なさを含んでいた。
 会社の同僚や上司はなかなか帰ってこない健二をどう思っているだろうか。会議が終わった時点で上司に連絡は入れているので、そのうち不審に思った上司が健二のスマートフォンに電話をし、繋がらないとわかると本社に確認するだろう。いずれ実家にも電話が行くかもしれない。大事にならなければいいのだが。一刻も早く疑いを晴らして開放され、日常の生活に戻りたかった。

「後で俺たちのボスがいろいろ説明してくれっから、安心しろよ」

 そう言われてもなかなか安心できるものではないが、レイの気遣いが感じられる言葉は嬉しかった。
 また同じくらいの時間が経った後、入り口の方からピピッという高い音がしたかと思うと扉が開いてクレイグが姿を見せた。

「この部屋のカメラを本部に繋いだ。藤原にも監視させているから、ストレイス、お前はもう離れて大丈夫だ。マネージャーにも話したが、先ほど下した判断で問題無いということだ。今後の対応について皆で話すから一緒に来てくれ」

 クレイグは、健二にはもう少しここで待っているように言った。大人しくしているようにと釘を刺される。そして、二人は部屋から出て行った。
 そこからはかなり長時間、健二は一人きりで部屋に放置された。天井の監視カメラを見上げる。もちろん、このレンズの向こうではさっきクレイグが言っていたように、何人か――もしかすると何人も――の人々が健二の様子をうかがっているのだろうが。
 あまりにも急激で非現実的な展開と、次々に目にする見慣れないものにすっかり頭が混乱している。今までの出来事を整理しようとしたが、神経がひどく興奮してしまっているためか気持ちが落ち着かず、夢を見ているときのように頭のどこかが麻痺してしまったような感覚もあって、考えがまとまらない。
 ずっと座っていることに逆に疲れを感じてきたので、狭い部屋を一周することにした。部屋を見回しながらゆっくりと歩いていると、この部屋には内側に電子パネルがついていないことに気がついた。入り口に近づいてもドアは動かない。なるほど、そこはさすがに留置部屋というだけあって、外からしか開かない仕組みになっているようだ。
 さらに、この部屋にはもう一つドアがあることにも気がついた。どうせこちらも開かないだろうと思いつつ、何気なく近づいてみると予想に反してドアは難なく開いた。
 ドアに隔てられていた先の空間は備えつけのバスルームのようだった。そう言えば、前回用を足したのはずいぶん前になることを思い出す。バスルームのある部屋に閉じ込められたのだから、トイレを使用するくらいで咎められたりはしないだろう。ここもカメラで監視されているのだろうかと天井を見上げたが、そこにはそれと思しき物は見当たらなかった。他の場所に設置されているのかもしれないが、ざっと見ただけではわからない。背後でドアが閉まったのを確認し、健二は素早く用を足した。トイレやシンクは今まで見たことがないような珍しい形をしていたが、少し観察すればすぐに使い方はわかったので支障は無かった。手を洗ってバスルームを出ると、再びベッドに座って待つ。
 二、三時間後、ようやくクレイグが戻ってきた。もしかしたらこのままずっと放っておかれるのでは、という心配が頭をもたげてもいたので、彼の顔を目にしてほっとしてしまう。
 ついて来いと言われ、健二は部屋から出た。今度は何が待っているのだろうかという不安はあったが、それよりも今はやっと部屋から出られた開放感の方が多く心を占めていた。先がわからない状況だからというのもあるが、何もすることが無く、窓の無い小さな部屋に何時間も押し込められているのはかなりの苦痛だ。おまけに監視カメラで見張られているので片時も気を抜けない。
 廊下を歩く際に窓の外に目をやると、外はすっかり暗くなっていた。中庭に灯りがともっているのが見える。
 クレイグが向かった先は、一階にある広いリビングのような部屋だった。広々とした空間を間接照明が照らし出している。検査を受けた部屋も広かったが、それとは比べ物にならない広さだ。この建物の敷地はいったいどれくらいなのだろうかと、つい考えてしまう。
 クレイグに連れられ、どこか風変わりながらもセンスの良いインテリアの部屋に足を踏み入れる。部屋は三階までの吹き抜けになっており、壁の一面が全面ガラス張りになっていた。リビング部分のソファの近くには暖炉のようなものもある。
 だが、健二の目を一番引いたのは部屋の中を動き回るロボットの存在だった。検査を受ける前に廊下ですれ違ったロボットだ。そいつはコーヒーテーブルの上に置いてあったカップを左手の三本の指で器用につまみ、キッチンの方へ運んでいくところだった。その動きを目で追うが、すぐにキッチンの影に姿が隠れてしまう。部屋全体の個性的な雰囲気も相まって、現実離れした不思議な光景だった。
 奥の大きなテーブルの周りにはレイとゆかり、そして彼らの他に初めて見る顔ぶれが二人いた。一人は二十代と思しき男性で、レイたちが着ているものと同じ黒いロングコートを着ている。もう一人は見かけからはまだ少女と言ってもいいような年頃に見える若い女性だ。二人とも白人で、そのことに少し驚く。
 年々移民は増えてはいるが、それでもここは日本のはずだ。それにしては、今日ここで出会った日本人がゆかり一人だけというのは割りと珍しい状況だろうと思われる。彼らの職業が特殊なものであることはほぼ間違いないだろうが、様々な人種が集まることもその特徴の一つなのだろうか。
 白人の少女は興味深そうに、眼鏡の奥の大きな目を丸くして健二を見つめていた。顔の両側で緩く編まれた三つ編みが、彼女を余計に幼く見せているように思える。
 男の方は健二から一番離れた位置に立っており、いかにも不機嫌そうな顔で腕を組んでいた。広く開いたワイシャツの胸元から、鍛え上げられた逞しい大胸筋が覗いている。肌は健康的な色に日焼けしていた。そして、彼もとても背が高い。おそらくクレイグと同じくらいだろう。その隣に立っているゆかりと比べると、大人と子供くらいの身長差がある。
 健二も平均身長より少し高いくらいなので、そこまで小柄というわけではない。もちろん、もっと身長があればと思うことは多々あったが、特別コンプレックスを感じるほどでもなかった。だが、こうも長身の男たちに囲まれていると、自分がひどく小さくなったような気がする。
 健二がクレイグと共にテーブルのすぐ側に立つと、機嫌の悪そうな白人の男を除く全員の視線が健二に注がれた。

「先ほど話したとおり、今日、この敷地内に部外者が侵入した。この男が、その阿久津健二だ。表面上や検査の結果は至って普通の男に見える。本人は、気を失っていて目覚めたらここにいたということだ。なぜ、どうやって自分がここに来たのか、まったく記憶に無いらしい。何者なのか、現段階では一切不明という状況だ」

 クレイグは仲間達に向かって言った後、体を半分健二の方に傾け、離れたところで腕を組んでいる屈強そうな男を手で示した。

「彼はジャン・ベルティエ。我々と同じ、特別犯罪捜査課のメンバーだ」

 ジャン・ベルティエは腕を組んだままで健二を一瞥したが、すぐにそっぽを向いてしまった。

「そして、アマンダ・オルコット」

 続いて紹介された少女――アマンダはジャンとは対照的に、健二と目が合うとにこりと笑いかけてきた。その笑みからは健二に対する警戒心などはほとんど感じられず、子供のような無邪気さが溢れている。

「彼女はまだSGAの正式なメンバーではないが、訳あって我々と行動を共にしてもらっている。君はSGAが何かわからないと言ったな?」
「はい」

 クレイグに問いかけられてうなずく。

「SGAとはシークレット・ガバメント・エージェンシーの略で、私たちが所属する組織の名だ。そのままの意味で政府直属の秘密機関だが、秘密といっても、国家機関の中でも特殊な任務のみを受け持ち、表立っては動かないというだけで存在を知られていないわけではない」

 健二は、初めて耳にする情報に驚きを隠せなかった。この日本にそんな大仰なものが存在していたというのに、自分は今までまったく知らずに生きてきたというのだろうか?

「部署は様々あって、君の検査を行った劉は調査部だが、今ここにいるメンバーは全員が犯罪捜査部の特別犯罪捜査課の所属だ。本部はこことは別にある。ここは拠点の一つで、こうした普通の民家のように見える場所を、捜査のための拠点としていくつも所有している。現在、我々は本部と、こことを中心に動いている。ここは組織内の人間以外には知られていないはずなんだが……」

 クレイグは、深い漆黒の瞳で健二をじっと見つめた。

「君が現れた。それが、今日このような騒ぎになった理由の一つだ。このことが何を意味しているのか、これから調査して考えなくてはならない」

 秘密基地に唐突に部外者が侵入した。確かに、それだけでも彼らが健二を見つけた際に過剰反応した理由としては納得できる。
 
「それに、SGAの存在は日本国民なら皆当たり前に知っているだろうと思っていたから、正直なところ驚いた」

 彼の口から「日本国民」という言葉が出てくることがなんだかしっくりこない。

「でも、本当に知りませんでした。たった今初めて知って、今まで一度も、見たことも聞いたことも無かったことに俺も驚いています」

 健二がそう言ったとき、最後の言葉に被さるように、バン! と何かを叩きつけるような大きな音がした。音のした方に顔を向けると、ジャンがテーブルに右手を置いて身を乗り出していた。どうやら、今のは彼がテーブルを思い切り叩いた音らしい。レイが「ジャン」と彼の名を呼んだが、ジャンはレイの方を見もしなかった。

「なんだ? ベルティエ」
「納得できねぇな」

 ジャンは、まるで心の底から憎み嫌っている相手を前にしたときのように、青灰色の瞳を煮えたぎらせて健二を睨みつけていた。伸ばした人差し指をまっすぐに健二に突きつける。

「なんでそんな怪しい男を信用するんだ?」
「別に信用したわけではない」
「じゃあ、なんで普通に話なんてしてんだよ。あんたらの判断は間違ってる。今すぐ拘束して本部に送って、もっと徹底的に調べるべきだろうが」

 その声や言葉には健二に対する敵意がありありとこもっている。彼のように体格の良い男が目の前で怒る様はなかなかに迫力があって恐ろしかった。と同時に、彼の態度はとても不愉快でもあった。今日一日でずいぶんといろんな目に遭ったが、その中でも彼のこの言いようは取り分け健二の不快感をあおる。

「何度も言ったとおり、現状分かっていることだけではこれ以上の判断を下すことはできない」
「阿久津の野郎と同じ名前なんだぞ!? 奴のスパイに決まってんだろうが!」
「そう考えて当然だが、わずかながら別の可能性もある以上、そう言い切ることはできない。今すぐ我々に害を成すとも、成せるとも思えないしな」

 ジャンは馬鹿にしたように鼻で笑った。

「人が良さそうな振りをして、俺たちを騙すつもりなんだろうが。俺たちが、まさか阿久津健二なんてわかりやすい名前で堂々と姿を現す敵がいるわけがないと考えると思って、裏でもかこうとしたに違いねぇ」

 それまで黙っていたゆかりが、横から「ジャン」と声をかけた。静かで優しい声だったが、それでも大声でまくし立てていたジャンはぴたりと口を閉じて彼女を見た。

「彼自身、本当に困っているようなの。私も側で様子を見ていたからわかるわ。彼が阿久津賢士の指示でやって来たにしてもそうじゃないにしても、記憶も抜け落ちていて、訳がわからずに怯えているのは本当だもの。今はもう少し様子を見てみましょう?」

 部屋がしん、と静まり返った。皆、ジャンの反応を待っている。ゆかりと見つめあうジャンの中の怒りの感情がどんどん沈静化していくのが、その表情からうかがえた。

「まあ……ゆかりが、そういうなら……」

 先ほどまですさまじい形相で怒鳴っていた男は、信じられないほどあっさりと引き下がった。まだ不服そうな様子ではあったが、それ以上は何も言わず、また初めのように腕を組むとふてくされたような顔で視線をそらし、大人しくなった。
 ゆかりの影響力に驚きつつも、健二は自分への攻撃が収まったことにほっとした。場が元の空気に戻ったところで、健二は「すみません」と口を挟んだ。

「その、それは誰なんですか? 阿久津というのは。何者なんですか?」

 わずかな間があった後、クレイグがゆっくりと口を開いた。

「阿久津コーポレーションというのを知っているか?」

 健二が首を横に振ると、クレイグは今日何度も目にした黒い薄型の機器を取り出し、その画面を健二に見せた。少し前に彼らが健二に名乗ったときと同じ格好だが、今度そこに表示されていたのはクレイグの職業を表すものではなかった。
 今、それが映し出しているのは一つの企業の情報だ。画面の一番上に、英字で『Akutsu Corporation』とある。続いてビルの写真と会社の経歴、そして老齢の男の顔写真も並んでいる。写真の下には名前が書かれていた。――阿久津賢士。

「阿久津コーポレーションは日本随一の大企業で、主にロボットの開発を行っている会社だ。他の追随を許さない技術を誇り、ほぼ市場を独占している状態だ。その阿久津コーポレーションの現会長兼社長が、阿久津賢士。阿久津賢士は言わば多くの人間に尊敬されている天才的な人間ではあるが、それは表面的な部分だけを見た場合のみに過ぎない。彼は社会的に悪人で、端的に言って我々の敵だ。そして君は――」

 クレイグが画面に指をすべらせて操作すると、情報が切り替わった。

「阿久津コーポレーションの創設者である阿久津健二と同姓同名を名乗っていて、かつ、この男の若い頃の容姿に酷似している。それが、我々が君を警戒する一番の理由だ」

 薄い液晶画面は、健二に一人の日本人の男の情報を示していた。スーツをきっちりと着込み、証明写真のようなバストアップの写真に写っている。東洋人にしてはいささかはっきりした顔立ちは真面目そうだが、緩く弧を描いた唇が彼の友好的な性格を表しているようだ。キリリとした太い眉毛は信念の強さを感じさせた。
 写真の横には三十年の人生の中で一番なじみの深い名前が表示されている。その下の、少し小さな文字列はその男――阿久津健二の来歴だった。大学を卒業した年や今の会社に就職した年など、健二の実際の来歴と異なっている点は無い。だが、その年表にはこの先の未来の出来事までもが書かれている。
 それらの情報に被さるように、様々な写真が表示されては消えていた。楽しそうな笑顔で友人と一緒に写っているもの。何かの表彰を受け、頭を下げてトロフィーを受け取っているもの。少し昔のものや、覚えの無いものまであった。その中には職場の同僚たちと写っている、まだ記憶に新しい写真もある。
 この男は健二に似ているのではない。これは彼自身だ。
 来歴の一番最後の行には死亡年月日までもが記されており、健二は咄嗟に目をそらした。

「なんですか、これ。冗談でしょ。冗談ですよね?」

 わざわざ確認するまでもなく、悪い冗談以外には考えられなかった。テレビ番組のドッキリ企画などはほとんどが作られたやらせのようなものだと思っていたが、本当に何も知らない一般人を騙すものも存在しているらしい。それも、こんな大掛かりな。
 人々の役に立ちたいという健二の夢が実現して会社まで設立し、しかもその会社がゆくゆくは日本一の大企業にまで成長する――。健二の純粋な夢を利用するなど、彼の思いを踏みにじるに等しい行為に思えて憤りさえ覚える。
 だが、いくら待っても誰からも「ドッキリでした」という陽気な声も上がらなければ、「すみません、冗談だったんです」という謝罪の言葉も出てこなかった。皆、真剣な顔つきだ。笑いを堪えているような様子も無い。

「だって、おかしいですよこんなの」

 健二の喉から不自然な笑いが漏れた。口元が引きつっている。

「もう、止めてくださいよ。だいたい、今は2015年の5月12日です。調べればすぐにわかりますし、無理があります。そうだ、持ち物をチェックしたときに切符を回収しましたよね? あれはどこにあるんですか? あそこにも今日の日付が書いてありますよ」
「ああ。確かに君の言うとおり、切符にはその日付が記されていた。私は初めて目にしたが、とっくに存在しない電車の切符だった。最初は誰かを整形して阿久津健二に似せたのかと思ったのだが、今は、君は何らかの方法で保存されていた阿久津健二のDNAから作られたクローンで、洗脳によって偽の記憶を植えつけられているのではないかとも考えている」

 そう話すクレイグは大真面目な顔で、ふざけているような気配はうかがえない。

「わざわざ君を皆のいる場所に集めて話を聞かせたのは、君の反応を見るためでもあった。君が何かを企んでいたり洗脳の影響があったりした場合、突然行動に出るタイミングがあるかもしれないと思ったのでな。今のところそのようなことは起こりそうにないようだが」

 クレイグは続けたが、その内容は健二の頭に入ってこなかった。
 ある可能性が健二の頭をよぎったからだ。一度にあまりにたくさんのおかしなものを見せられ、突拍子も無い話を聞かされたせいで見過ごしていた可能性だ。しかし――
 あり得ない。
 そんなことは絶対にあるはずがない。いや、あってはいけない。どうやったって、現実に起こりえるはずがないことだった。

「今は――」

 だが、健二は聞かずにはいられなかった。
 嫌な予感がした。もしその可能性であるならば、数々の不可解なことのすべてにも説明がつくような気がしたのだ。
 急激にすさまじい焦燥感に襲われる。

「今は、何月何日ですか」

 声が掠れていた。乾いた唇を舐めて潤し、唾を飲み込んで少しでも声を発しやすいようにしようと試みたが、あまり意味は無いように思われた。

「何年の、何月何日ですか」

 そう問いかける声は面白いくらいに震えていた。
 クレイグは左腕のコートの袖を少したくし上げると、手首にはめた腕時計が健二に見えるように腕を差し出した。横に細長い、変わった形のデジタル時計だった。中央を、一番大きな文字で現在の時刻が陣取っている。午後六時四十二分。他にもいくつかの文字や記号が青く光っていた。クレイグが時計に触れると、時刻をあらわす数字に取って代わり、日付と西暦が大きく表示された。

「今日は5月12日」

 スウッと血の気が引いていく。並んでいる四桁の数字が示す事実に目眩がした。

「――2148年だ」

 クレイグの声を聞きながら、健二は気が遠くなるのを感じた。



-- Episode 01 Fin. --



最後の一回分だけものすごく長くなってしまいました(笑)
これで第一話は終了となります!次回からは第二話に入ります^^*

拍手を下さった方、ありがとうございました!!m(*_ _)m

無事に第一話を終えられましたので、続けて第二話の執筆をがんばっていこうと思います♪


未来への追憶 第一話 - 05

 連れて行かれたのは二十畳ほどの広さの部屋だった。天井も壁も床もすべてが真っ白だ。部屋の中央に一脚だけ、扉の方を向けて置かれている椅子の色さえ白で、どこか落ち着かない。部屋の奥の壁際には、何に使うのかはわからないが病院の検査機器のような機械がいくつか並べられている。その横には棚と、筆記具などが置かれた長机がある。
 リウに押されて部屋を横切るとき、部屋の中央の天井にドーム型の監視カメラのような物がついているのが視界の隅にちらりと見えた。
 椅子の前まで来ると座るように言われ、体を反転させて簡素なそれに腰を下ろす。

「腕はもう下ろしていい」

 言われて初めて、ずっと挙げっ放しだった自分の両腕がひどく疲れていることに気がついた。両手を膝の上に置く。握った拳と腕に力が入り、肩の筋肉が突っ張った。手のひらは汗で濡れている。
 健二が座ったとき、丁度ゆかりが扉の横の電子パネルを操作しているところだった。この部屋のドアも自動で開閉する仕組みになっている。だが、中庭へ通じるドアのようにガラスではない。壁よりも少し暗い色のそれは、ずいぶん頑丈な造りになっているように見えた。
 そして、この部屋には窓が一つも無い。
 中庭から見たこの建物の外観や廊下とは明らかに不釣合いな部屋だ。初めてここに来た健二にも、この部屋が何か特殊なことをするときに使う部屋だということは推測できる。
 いったい、これから何が始まるのだろう。自分は何をされようとしているのだろうか。
 拷問。その二文字が頭を掠め、体が震えた。

「さて」

 リウが両手を腰に当て、健二から一メートル半ほど離れた正面の位置に立った。健二は彼を見上げる。

「まずは君の名前から教えてもらおうか」

 そう言えばまだ一度も名乗っていなかったな、と健二は思う。
 自分の名前を名乗るのに悩む必要も無く、困ることも無い。一番簡単な質問だった。

「名前は、阿久津健二です」

 いつもそうするように、ごく自然な調子で答える。ところがその途端、部屋を満たしている空気が変化した。それまではピリピリと張り詰めた緊張で隙間なく覆い尽くされていたのが、動揺で波のように揺れたのを感じる。

「阿久津、健二?」

 目の前のリウはわずかに目を見開き、その後ろに佇んでいたレイとゆかりは互いに狐につままれたような顔を見合わせていた。今日、彼ら二人がそうするのはこれで数度目だ。
 この反応は何なのだろう。どうして自分の名前を名乗っただけでこんなに驚かれなくてはならないのか、腑に落ちないものを感じた。彼らがただ単に健二のことを知っていただけという可能性はまずないだろう。健二は名前を聞いただけで彼だとわかってもらえるほど、ましてやこんなリアクションが返ってくるほどの有名人では決してない。同姓同名の知り合いでもいるのだろうか。

「偶然……ということは無いだろうね、さすがに。阿久津健二、というのは、本人のつもりなのかな? それとも親族か何かという設定なのかな?」

 しばらくして、リウが訝しげな目で健二をじろじろと眺め、わずかな困惑をにじませた声で言った。
 やはり同姓同名の知人がいるようだ。しかし、“設定”とはどういうことだろうか。
 何か言おうと口を開いたが、自分が何を疑われているのかがわからないので誤解の解きようもない。結局、健二の口からは何の言葉も出てこなかった。
 健二が黙ったままでいると、リウは「まあいい。調べればすぐにわかることだ」と言ってゆかりを振り返った。

「藤原、ボスに連絡して今までの報告を。それから、今後の指示を仰いでくれないかな」
「はい。わかりました」

 うなずくと、ゆかりは再びパネルを操作して自動ドアを開け、部屋から出て行った。すかさずレイが操作パネルを触る。健二が逃げ出さないよう、ドアのロックでもしているのだろうか。

「さあ。じゃあ、さっそく検査を始めようか」

 リウが健二に向き直った。

「あ、あの、検査って何をするんですか?」

 健二は不安で押しつぶされそうになりながら、勇気を振りしぼって尋ねてみた。だが、リウはそれを無視して部屋の奥に機器を取りに行ってしまい――レイも彼に手を貸すためにそちらへと向かい――健二の切実な疑問に対する答えは得られなかった。
 そこから先はひたすら、体にあらゆる機器を取りつけられたり、様々な質問を次から次へとぶつけられる時間が続いた。
 しかし幸いなことに、そこで行われたことは彼らの言葉どおりの正真正銘の“検査”に違いなく、健二が心配していたようなものではなかった。痛みを感じた瞬間といえば、血液を採取するために腕に針を刺されたときくらいだろう。それも、病院で血液検査や予防注射をする際に注射器の針で刺されたときの方が痛いくらいの、ごくわずかなものだった。
 リウはまず健二の顔写真を撮影し、そのデータを読み込んだタブレット端末――この部屋の棚から持ってきたもののようで、レイがコートに入れて持ち運んでいるものよりも大きい――を操作していた。それをレイが横から覗き込んでいる。健二は何が行われているのかわからないまま、黙って待った。

「該当する登録情報は無し。ここまでは予想通りだな」

 しばらく画面を見つめたあとでリウが呟く。
 次に指紋を調べられた。右手を固定され、同じように端末で指紋を撮影される。

「おや? こっちもヒットしないか。これは少し予想外だ。もしかしたら、ここは誰かと一致してるかと思ったんだけどな」

 またしばらくの後、リウが片眉を上げて健二の方を見ながら言う。
 それを聞いても健二には当然意味がわからず、検査を受けるたびに、何か彼らにとって悪い結果が出ないことを祈るばかりだった。
 持ち物の検査もされたが、鞄は目覚めたときから見当たらなかったし、健二はスーツのポケットには鍵束と前もって買っておいた帰りの電車の切符、そしてスマートフォンしか入れていなかった。そのスマートフォンも入れていたはずのポケットには無く、どこかで落としてしまったらしい。今までのことがすべて現実に起こったことなら、トラックに撥ねられたときの衝撃でズボンのポケットから飛び出したのだろう。今はどこにあるのかわからないが、壊れてしまったかもしれない。結局、探られて出てきたのは鍵束と切符、そして左腕につけていた腕時計だけで、リウはレイと二人でそれらを軽く持ち上げたりひっくり返したりして眺めたあと、自分のスラックスのポケットにしまった。
 検査の途中でゆかりが戻ってきた。ドアの横のパネルが電子音を発し、レイがパネルを操作してドアを開ける。入ってきた彼女は手にコップを一つ持っていた。

「リウ先輩、ボスは今からこちらに来られるそうです。それまで検査を続けておくように、ということでした」

 リウが「そうか」と応じる。
 ゆかりは健二に近づくと、持っていたコップを彼に差し出した。

「どうぞ。喉、渇いてるでしょう?」

 彼女が椅子の傍らに立つと、花のような、柔らかくほのかないい香りが鼻腔をかすめた。
 突然、不審者に対するものとは違う普通の対応をされたことに驚き、健二はすぐには反応できなかった。健二の戸惑いを感じとったのか、ゆかりは微笑を深くしてつけ足す。

「安心して。これは検査とは何も関係ないから。薬も何も入ってない、普通のお茶よ」
「ありがとうございます!」

 ようやくコップを受け取ると、中の液体を口に含む。冷たい麦茶だった。まろやかな味が口内に染みわたり、なじみのあるそれが喉を潤して食道を流れていくのが感じられた。ゆかりの言うとおり喉はカラカラだった。一気に飲み干してしまうと、ほぅ、と息を吐く。心地よさが全身に広がって、緊張がいくらかほどけた。
 健二が麦茶を飲み終えて顔からコップを離すと、ゆかりが手を差し出していた。もう一度心からの礼を言ってコップを彼女に返すと、検査が再開された。
 その後は血液検査だった。採血を行ったのはゆかりだった。彼女は専用の器具をそっと健二の腕に当てて力を込める。その器具は従来の注射器とは形が異なり、針が外側からあまり見えない仕様となっているようだ。そのため、見た目からは注射器の独特の怖さは感じない。また、扱いも通常の注射器よりも簡単そうな印象を受けた。
 結果はすぐに出たようだった。血液から何を調べていたかにもよるのだろうが、ずいぶんと早い。もし健二が想像しているとおりの血液検査ならば、通常の病院などではまずありえない早さだろう。だが、健二には検査の結果は知らされなかった。
 最後の検査は頭にヘルメットのようなものをかぶせられ、指先にも器具をつけられた状態でリウからの問いに答えていくというものだった。
 名前や生年月日や住所、そして職業のような基本的なこと。この場所に見覚えがあるかどうか。自分たちに見覚えがあるかどうか。ここがどこか知っているか。
 その中には先ほどすでに話したことも含まれていたが、再度答えるように言われた。
 ここに来た目的などもちろん無い。はじめにレイとゆかりと対面したときのように、気がついたらこの建物の庭にいたとしか言いようがない。
 改めて聞かれることが不可解に感じる質問もあったが、彼らはこの特殊な機械で健二が嘘をついていないか調べているのではないだろうかと思い至った。
 リウは表情を変えず、淡々と質問を繰り返す。
 健二は時折答えに詰まり、考え、意味の汲み取れなかった質問の詳細をたずね返しながらも、一つずつ正直に答えた。
 生年月日を答えたときにわずかな間があっただけで、ヘルメットと指先の器具が繋がった機器の液晶と、健二の様子を交互にうかがっているリウもレイもゆかりも、健二のその都度の返答に対しては何も反応しない。
 質問の内容は、重ねられるたびにどんどん奇妙なものになっていった。

「君は整形をしたかい?」
「い、いえ、してません」
「何か、普通とは違う特殊な能力がある? たとえば、筋力を強化されててものすごく強かったりとか」
「ありません……」
「洗脳をされたことは? もしくは、洗脳された可能性を感じるような場面に覚えはある?」
「い、いいえ……」

 健二は、自分の眉間にだんだんしわが寄っていくのを感じた。声にも戸惑いが現れてしまう。整形に洗脳。自分はどんな裏の世界に巻き込まれてしまったのか。
 リウの瞳はすべてを見透かすような強い光を放って健二を見据えている。

「少しでも思い当たるところや、断片的なイメージみたいなものでも、思い出すことは何も無い?」

 畳みかけられて少し考えてみるが、当然そのようなことなどあるはずが無かった。

「はい……ありません」

 妙に思いながらも健二が答えると、それ以上の追求は無かった。
 手術を受けたことがあるか、特別な治療を受けたことがあるかという質問が続く。今まで大きな怪我や病気はしたことがなく、手術の経験も無かったのでそう伝えた。

「君と同じ“阿久津健二”という名前の人物について知っているかい?」
「いえ、知りません。……たぶん、同姓同名の人物に出会ったことは今まで一度も無かったと思います」

 彼らにとって、“阿久津健二”という人物は非常に重要な存在らしい。それが良い意味でなのか、悪い意味でなのかはわからないが。なんらかの理由でその“阿久津健二”を警戒している人々がいる場所に、同姓同名の自分が突然姿を現すことになったということか。偶然にしては出来すぎているような気がした。誰か――たとえば、自分をここへ運んだ誰か――の陰謀なのだろうか。それとも、もっと以前から仕組まれていたことなのかもしれない。
 彼らの言う“阿久津健二”とはどんな人間なのだろう。どちらにせよ、健二には迷惑な話だった。
 最後に、阿久津賢士(さとし)という人物を知っているかともたずねられた。「賢者の賢に、学士の士」と、わざわざ漢字まで説明される。健二の記憶にはその名前も無かったので、知らないと答えた。

「嘘はついてないみたいっすね」

 結果がそこに表示されているのだろうか、健二からは見えない位置に置かれた液晶画面を睨みながらレイが言う。
 健二が思ったとおり、彼に取りつけられている機器は嘘発見器のようなもので、今のは健二が本当のことをしゃべっているかどうかを確かめる検査だったようだ。

「だけど、この検査は洗脳されてる場合は効果が無いからなぁ」

 リウが腕を組んで嘆かわしげに言った。

「洗脳を解く方法があればいいんですけど……」

 そう呟いたゆかりの声はやりきれない思いをにじませたような、心底残念そうな響きを帯びている。
 不意に、リウが意地悪い笑みを浮かべて健二を見た。

「これは、少し痛い思いをしてもらうしかないかな。そうすれば、もしかするとショックで洗脳が解けるかもしれない」

 拷問をほのめかすその言葉に、一気に体の温度が下がったように感じた。検査の間に薄れていた恐怖心が、またもや強烈な渦となって腹の底から込み上げてくる。

「俺、ほんとに洗脳なんてされてません! 誤解ですよ!」

 健二は半ばパニックに陥りかけ、怒ったように叫んだ。
 ヘルメットや器具をまだ体につけたままだったため、本体の液晶画面に変化があったのだろう。お、という顔でレイが画面に目をやった。

「俺の家族や友人の連絡先を教えますから、彼らに確認してください! そしたら真実がわかるでしょ!」

 その時、入り口のドア横のパネルが光った。すぐに自動ドアが音を立てて開く。部屋にいた全員がそちらに顔を向けた。



>> To be continued.



ごめんなさい、「第一話」は今回の更新で最後だと書いたのですが…

終わりませんでしたorz

申し訳ないです…!!;
前回の更新時にはまだまったく続きを書いてない状態だったので、
残りは一回分に収まるだろうと考えていたのですが思ったよりも長くなってしまって><

次回で今度こそ「第一話」は完結します!本当に!(笑)

拍手をくださった方々、ありがとうございました!(ボットさんかもしれないけどw)
読んでいただけてものすごく嬉しいです(*´▽`)


未来への追憶 第一話 - 04

「ちょ、ちょっと待ってください……!」

 喉から搾り出した声は情けなく震えていた。意識するより先に、手のひらを相手の方へ向けて両手を頭の上に挙げている。
 フィクションならともかく、日本国内で当たり前のように銃が出てくるなどにわかには信じがたい。もしかして彼らは警察なのだろうか。そうでなければ、社会ではその正反対の位置に分類される人々ということになる。
 自分はとんでもなく危険で、非合法的な集団と関わってしまったのかもしれない。健二のこめかみを冷や汗が伝い、背中がぞくりと粟立つ。
 突然銃を向けられたことへの混乱と疑問が頭の中を渦巻いていたが、実際には純粋な恐怖心の方が勝っていた。それらすべてを押しつぶすほど遥かに大きく冷たい恐怖の感情が湧きあがり、健二の脳と肉体を支配する。とてつもない緊張感に全身が硬直し、五感が急に研ぎ澄まされたような感覚に陥った。心臓が早鐘を打っている。毛穴から滲み出る汗にさえ恐怖の匂いが感じ取れるかのように思えた。

「リウさん……」

 ゆかりという名の女と白人の青年は目の前で繰り広げられる光景を心配そうな表情で見守っていたが、青年の方がやはり心配そうな口調で銃を構える男に呼びかけた。リウというのが男の名前らしい。あまり聞きなれない響きだ。りゅう、のようにも聞こえたが、どちらかというとやはりリウだった。
 青年の声の調子は、男に何か言いたいことがあったが、言葉を続けるかどうか悩んだ末に遠慮がちに名前を呼ぶだけに留まった、といった感じだった。

「ああ、心配しなくても今すぐ殺しはしないよ、レイ」

 しかし、男――リウはそれだけで青年の心境を察したのか、緊迫感の欠片も感じない声で答えた。だがその間、鋭い視線が健二から外されることは一度も無い。

「お、俺は本当に怪しい者じゃないんです! 信じてください!」

 ほとんど泣きそうになりながら健二は叫んだ。掲げた指先がぶるぶると震えている。

「それは君じゃなく、今から君が受ける検査が決めることだよ」

 健二の必死の訴えにも表情一つ変えず、健二に銃口を向けたままでリウという男はさらりと言った。そして、そのまま健二に近づいてくる。
 本能的に後ずさりたくなって思わず右足を半歩ほど後ろに下げるが、下手に動いて引き金を引かれることを恐れ、なんとか踏みとどまる。男が近づくたびに体の震えが激しくなった。
 健二の側までやって来ると、リウは銃を持っていない方の手でスラックスのポケットから発炎筒のような筒状の物を取り出した。発炎筒よりは小さい黒色のそれを、懐中電灯で照らすように健二の顔に向ける。すると、健二が怯えるよりも先に、その先端から赤色の光が放たれた。
 強烈な光が目を直撃し、まぶしくて目をつぶる。全身がびくりと跳ねた。
 いよいよ何かされるのかと思ったが、しばらくしても痛みもしびれも感じない。恐る恐る固くつぶった目を開くと、まるでレーザービームのようなその光は、筒の先端から扇形に広がって健二の体を照射していた。昼間の屋外でも光の線がくっきりと見える。
 だが、健二の肌やスーツが赤く照らされた他は特に何も起こらなかった。普通のライトが体に当たっている状態とさして変わらないように思える。
 ライトは健二の頭の先からつま先までをくまなく舐めるように動かされ、全身を照らし終えると青色に変わった。
 それを見て満足げに「ふむ」とうなずき、いったい何をされたのかまるでわかっていない健二には一言の説明も無いまま、リウはライトを消してポケットに戻した。それから彼は健二の背後に回ると、銃口を健二の背中――肩甲骨の間の辺り――に押し当てた。
 背中に銃の硬さを感じ、強くなった恐怖感にあえぐ。心臓は狂ったようにドクンドクンと激しく脈打っていて、息をするのもやっとだ。

「両手を頭の後ろで組むんだ」

 健二は素直にその通りにした。

「これから君のことを調べさせてもらう。いろいろ聞きたいこともあるしね。さあ、一緒に来てくれるかい」

 穏やかだが寒気がするような冷たい声音でリウが言い、銃口で背中を押されて歩くように促される。両足も手と同じように、わざとらしいほどガクガクと震えている。
 一歩踏み出せばその場に崩れ落ちてしまいそうに思えたが、幸いそうはならなかった。ゆっくりと前進する。
 その一連の流れの間、レイもゆかりも警戒と心配が入り混じった表情で健二たちの様子を見ているだけで、何も言わなかった。おそらく、彼らよりリウの方が立場が上なのだろう。レイの方は、右手をコートの内側の腰の辺りにわずかに差し入れていた。万が一健二が抵抗した際、自分も銃を取り出して応戦できるようにするためだろうか。
 皆が出入りしていたドアの前まで来ると、健二の気配を感知した自動ドアが横滑りに開いた。

「でも、どうして警報が作動しなかったんだろう」

 健二がドアをくぐった時、背後でリウが不思議そうに呟いた。

「もしかして警報がいかれちまってるんすかね」

 レイの声が不安げに言い、リウが「後で点検しておかないとなぁ」と言うのを聞きながら、健二は背中から伝わる力に従って歩を進めた。レイとゆかりはリウの後ろからついてきているようだ。
 足を踏み入れた先は廊下だった。床は落ち着いた茶色のフローリングで、壁には淡いクリーム色の壁紙が貼られている。健二が革靴のまま上がっても咎められることはなく、後ろの三人も靴を脱ぐそぶりを見せなかった。どうやら室内も土足らしい。
 外観と同じく、廊下は窓枠から室内灯、観葉植物の鉢に至るまでもが、明るさと洗練された上品さを兼ね備えた色味やデザインでまとめられている。掃除が行き届いているのか、清潔感があった。
 だが、中庭から建物全体を見たときとは違い、今度ははっきりと異質な点に気がついた。
 家の基本的な造りそのものは見慣れた洋風の一軒家に違いなかったが、高い天井の隅や壁に、見たこともないような様々な小型の機械が取りつけられていたのだ。機械には詳しいはずの健二でも、一見しただけでは何の用途があるのか検討もつかない。唯一、監視カメラのような物もいくつか存在していることだけはわかった。
 丁度そのうちの一つが首を動かし、健二の方を向いた。レンズの瞳にじっと見つめられ、まるで無機物であるはずのカメラが意思を持っているかのような錯覚を覚える。レンズの横の青い小さなライトが二度点滅した。

「左だ」

 真後ろに立っているリウが言った。一瞬――時間にしたら一秒も経っていなかっただろう――室内の様子に気をとられて銃をつきつけられていることを忘れかけていたが、銃口で背中を小突かれて再び体に力が入った。
 指示に大人しく従う他にはどうすることもできず、左へと進む。健二たちが今歩いている廊下は、途切れることなく長方形の中庭をぐるりと一周回って取り囲んでいるようだ。
 一刻も早くこの状況が終わることを願いながら上手く動かない足を半ば無理やり前へ運んでいると、廊下の先から何かがこちらに向かって来るのが見えた。今度はなんだろうか。また新たなものの出現に脳が警戒信号を発し、健二はごくりと唾を飲み込んだ。
 やって来たそれはロボットだった。柔らかく丸みを帯びたフォルムをした光沢のあるグレーのボディのそれは、床をするすると滑るように近づいてくる。体の上には球形の白い頭が乗っており、正面についた大きなレンズをきょろきょろと上下左右に動かしていた。足のような機能を果たす部位は無い。片方の腕は先の方が筒のようになっているが、もう一方の腕には三本指の手がついている。すぐ近くまでくると、かすかにモーター音のような小さな音が聞こえた。
 ロボットは健二たちを気に留めることなく、街中ですれ違う人々のように、健二のすぐ横を通り過ぎていった。カクカクとした不自然な動きは一切見られず、すべてが流れるような動作だった。
 視界の端からロボットの姿が消えてしまうと、振り返りたい気持ちを必死で抑え込んだ。
 正確な場所さえ未だわからない場所で、得体の知れない人々に自分の命を握られているにも関わらず、ロボットの存在には興味をかき立てられずにはいられなかった。そのことに自分でも少し驚く。
 あのような高性能のロボットが、なぜこんな場所にあるのだろうか。新しいロボットが開発されれば、その分野に詳しい健二は知っていて当然のはずだ。だが、今目にしたような姿形の、そしてあんなに滑らかな動きを可能とするロボットなど見たことがないし、話に聞いたこともない。もちろんフィクションの世界を除いてだが。しかも、見たところ実用化されているようだ。
 試作品であろうとも、あれほどの出来のものはまだ存在していない。否、たった今現にこの目で見てしまったのだから、存在していないはずである、と言うべきか。
 やはりこれは夢か、死後の世界なのか? しかし、健二自身は天国や地獄を信じていたわけではないが、ここは一般的な天国のイメージとは似ても似つかない。地獄の方も同様だ。もとより、健二には自分が地獄に送られるほど神の怒りに触れることをしでかした覚えはなかったのだが。



>> To be continued.



読んでくださってありがとうございましたm(*__)m
拍手を下さった方もありがとうございます!

前回の更新からだいぶ間が空いてしまって申し訳ないです…!

この「第一話」は次回の更新分で完結となります^^*


未来への追憶 第一話 - 03

 弾かれたように音がした方に体を向けると、そこには白人の男が立っていた。
 長身で、ハリウッドスターのような二枚目だ。右目は黒い眼帯で覆われており、黒いロングコートを羽織っている。街を歩けばさぞかし注目を集めるに違いないという格好だ。まるで、そのまま映画の世界から抜け出してきたかのような雰囲気だった。もしかしたら、本当に仕事中の俳優なのかもしれない。両手に一つずつ持っている変わったデザインの植木鉢だけが、彼がまとっている独特の空気の中でひどく浮いていた。
 男の背後で、ガラス戸が先ほどと同じ音を立てて横にスライドする。どうやら、この建物は庭へと通じるドアが自動ドアのような造りになっているらしい。
 男はたった今建物の中から出てきたところのようだ。そして、健二を見つけた。驚きに見開かれたグリーンの瞳が自分に向けられていることに気づき、健二は我に帰った。時間にするとわずか数秒のことだったのだろうが、思わず相手を凝視したまま硬直してしまっていた。
 急いで立ち上がると、とにかく何か言おうと口を開く。だが、言葉を発しかけたところで思い直し、再び口を閉じた。
 見たところ彼は外国人だ。果たして日本語で話しかけて通じるのだろうか? そもそも今のわけの分からない状況では、ここがまだ日本の中であるのかさえ怪しいのではないか。
 一瞬の迷いの後、健二の口から出たのは英語だった。「すみません」と、英語で話しかける。
 大学時代の留学経験もあり、幸い英語は得意分野だった。仕事として扱えるほどではないが、日常会話程度の英語なら問題なく話すことができる。

「すみません、ここはどこですか?」

 英語で問うと、もしあなたの家なら申し訳ないのだが、と断り、ついで自分のことや今の状況を簡単に説明しようとした。そうすれば、恐らく目の前の彼は健二の言葉に耳を傾けた後、質問に答えてくれるだろうと思っていた。
 ところが予想に反し、健二が話し始めると今度は相手の方が突然慌てたそぶりを見せた。先を続けようとした健二を制するように、植木鉢を持ったままの片手を軽く上げる。

「待てよ、日本語でいいぜ」

 とても流暢で自然な日本語だった。
 健二があっけに取られて言葉に詰まると、彼は照れくさそうな笑みを浮かべた。

「悪ぃ、俺、そんな英語得意なわけじゃねぇんだ」

 そう言って明るく笑うと、健二に近づいてきた。
 てっきり留学や仕事などで短期滞在中の外国人だろうという先入観を持っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。彼の言葉は英語圏の出身ではないという意味だったのかもしれないが、もしかすると日本生まれなのかもしれない。それくらい、彼の日本語には何の違和感も無かった。日本人以外が完璧な発音とアクセントで日本語を話す場面を間近で見る機会が今まで無かったため、面食らってしまう。
 しかし、少なくとも自分が気を失う前と同じく日本にいることがわかり、その点についてはいささか安堵する。
 彼は健二から少し距離をあけて立ち止まった。相手の方が十センチ以上は背が高く、近くに来られると自然とこちらが見上げる形になる。
 健二は、「まあ、やっぱたまにあるんだけどな、こういうこと」と話す男を呆けた表情で眺めていた。
 いかにも女受けのよさそうな甘いマスクで、黙っているとクールな印象も与える男だったが、笑顔になると途端にとても人懐っこい印象になるようだ。
 しかし、男はそこでふと気がついたように真剣な表情になった。

「つーか、それよりお前誰だ?」
「あ、えっと、俺は……」

 今度は突然の質問で話を戻され、すぐには返答が出てこなかった。そもそも、先ほど自分から説明しようとはしていたものの、何と言えばいいのだろうか? 自分でも事態が把握できていないために、そうやって相手の方から問われるとどこから話し始めればいいのかわからない。
 健二が言葉を探している間に、男は右手に持っていた植木鉢を左腕で挟むように持ちかえると、自分のコートの内ポケットをごそごそと探った。そして、何やら手のひらよりも小さいサイズの黒いカードのようなものを取り出す。それを健二に向かってかざすような動作をした。その様子が何かに似ていると思い、すぐに思い至る――スマートフォンで写真を撮る姿だ。

「SGAの人間……じゃねぇよな」

 カードをじっと見つめると、男はカードの上で親指を少し動かしてから確かめるようにぼそりと呟いた。その様子から察するに、やはりそれはスマートフォンかタブレット端末のように見える。しかし、だとするととんでもない薄型だった。近くで見ても、ただの紙だと言われた方がしっくりくる薄さだ。
 男はそれを再びポケットの中にしまうと、少し警戒する顔つきになって一歩後ろに下がり、健二から距離をとった。怯えなどの感情的な理由ではなく、そうするべきだと冷静に判断してとった行動といった感じだった。

「お前、何なんだ? なんでここにいる? どこから入った?」
「い、いや、俺はその、えーっと……」

 立て続けに質問を浴びせられ、緊張感からしどろもどろになってしまう。何せこの男――変わった格好をした白人で、その上健二が日常生活では目にしたことのない機器のようなものを扱っている――が出てきたことにより、より混乱が深まってしまったのだ。
 健二の態度に、最初は朗らかだった相手の顔にだんだんと不信感があらわになってきた。
 果たして、こんな非現実的な話を信じてもらえるだろうか。余計におかしな人物だと思われるかもしれない。だが話し始めなくてはまずいと思い、健二は唾を飲み込むと口を開いた。

「き、気がついたらここにいて……」

 ところがすぐに、よく通る女の声が健二の言葉をさえぎった。

「どうしたの?」

 健二を注意深く見つめていた男は声のした方を振り返ると、「ゆかりさん」と呟いた。その声にはわずかに柔らかな響きが戻っている。男が体を反転させたため、彼が長髪で、豊かなその髪を後ろで一つに束ねていることがわかった。
 健二も男の視線の先に目をやる。先ほど男が出てきたのと同じドアから、ちょうど一人の女が庭に足を踏み出してきたところだった。彼女も男と同じような黒いロングコートを着ており、片手には小さめの植木鉢が一つ収まっていた。
 今度は日本人のようだ。歳は三十前後だろうか。東洋人らしい、どこか控えめで柔らかい顔立ちをしている。一言で言ってしまえばとても美人だった。こんな緊迫した状況だというのに、一瞬見とれてしまう。

「外に出たらこいつがここにいたんだ」

 男は健二を親指で指し示して言った。
 女はそれを聞くと不思議そうな顔で小首をかしげ、長い黒髪を揺らして健二と男に近づいてくる。その隙に健二は必死で口を開いた。

「あ、あの! 事故に遭ったと思ったんですけど――交通事故です、歩道を渡っていたらトラックにはねられたんです。でも、なぜか目が覚めたらここにいて……その間のことは何もわからなくて……ほんとに、自分でも何がなんだかわからない状態なんです。本当にすみません!」

 一息に言いきると頭を下げる。やはりこの場所は彼らの私有地か何かのようで、ひどく怪しまれている。詳しい説明よりも、とにかくまずは自分が彼らに害をなしたり、犯罪を行うためにここにいるのではないということをわかってもらうのが先だと思った。
 顔を上げると、二人ともじっと健二に視線を注いでいた。女は驚いた表情を浮かべている。隣に立つ男とちらりと顔を見合わせると、また健二に視線を戻した。

「何も覚えていないの?」

 しばらくして、健二の頭のてっぺんからつま先までを観察するように見つめていた女がそう問いかけてきた。先ほどの、早口でまとまりの無い内容では上手く伝わらなかったようだ。
 健二は落ち着いて答えられるよう、一度大きく息を吸うとゆっくりと吐き出した。

「いえ、あの、自分は会社員なんですけど、東京で会議に出席していたんです。それ以前の記憶は全部あるんです。ただ、会議から帰る途中に事故に遭ったところから、いったいどうなったのかがまったく思い出せなくて……」

そこで一旦息をつく。

「気がついたらここにいたんです」
「気がついたらここに?」

 女は、健二の答えにさらに目を丸くした。

「はい。そこに倒れてたみたいで」

 そう言って、健二は自分が仰向けに寝ていた辺りの地面を指差した。
 目の前の男女は再度顔を見合わせる。眉をしかめたその表情から、二人が健二が話す内容を心底奇妙に感じていることが見てとれた。健二の脳内は正常な状態にはないと思われたかもしれない。

「変な話だっていうのはわかってます。確かに事故には遭ったはずなのに、なぜか怪我もしてなくて……でも、嘘じゃないんです。この場所にも見覚えはありません。あの……ここはどこですか? 町の名前とか」
「詳しい住所とかは言えねぇけど、東京だよ。もちろん日本のな」

  さりげなく一番気になっていることを尋ねると、男が答えた。今度こそようやく回答を得られてほっとする。東京。ということは、事故の現場からさほど離れていないのかもしれない。
 またしばらくの間があり、女が男の方に顔を向けた。

「彼、本当に困っているように見えるわ。ひょっとしたら、何かの事件か事故に巻き込まれたのかも。記憶障害も起こしてるみたいだし。彼が言ってる、交通事故とは別の何かに」

 それを聞くと、男は難しい顔で考え込む様子を見せた後、独り言のように「……演技かも」と呟いた。健二はとっさに否定しようとしたが、女が男との会話を続けたためにそれは叶わなかった。

「でも、そこまで怪しい人には見えないわ」

 そう言って健二に目をやる。男も女の視線を追うように健二を見ると、戸惑い気味にうなずいた。

「俺にもそう見える。……けど、見かけじゃわかんねぇよ。もし、ほんとは怪しい奴だったら? 簡単に信用すんのは危険だぜ」

 それは決して女を責めるような調子ではなく、純粋に心配している口調だった。そして、「それに、もしかしたら……」と言葉を濁すと、「あいつにどんなことができるか、わかるだろ」と抑え気味の声で続けた。
 健二には何のことだかさっぱり読み取れなかったが、彼らがある事柄についてひどく警戒しているようなのはわかった。
 女は「そうね」とうなずくと、強張っていた表情を少し和らげた。

「でも、とにかくちゃんと話を聞いてみましょう。どちらにしてもこのまま追い出すわけにもいかないし」

「そりゃそうだな」と男が眉をしかめて唸り、女は健二に向き直ると優しげな微笑を浮かべた。不安で満たされている健二に、わずかながら安心感をもたらしてくれる笑みだった。

「このままちょっと待っててもらえるかしら?」

「あ、はい」と、半ば反射的に答える。
 女は何かを語りかけるように男の目を見た。それに答えて男が首肯し、女は植木鉢を芝生の上に置くと室内へと引き返した。彼らは目顔で意思の疎通ができるような近しい間柄のようだ。
 男も植木鉢を地面に下ろし、腕を組んだ。困惑の色が浮かんだ顔は相変わらず健二に向けられていたが、二人きりの間、彼は何も言わなかった。健二が言葉を発することができる雰囲気でもなく、緊張感をあおる沈黙が続いた。
 程なくして、ゆかりと呼ばれていた女が戻ってきた。
 彼女は東洋人の男を伴っていた。外見からは三十代後半くらいに見える。細く鋭い目が蛇を思わせる男は、黒いスーツに同じ色のネクタイを締めていた。
 彼は健二の姿を捉えると、「ああ、君が侵入者か。へえ。そうかそうか」と軽い調子で言い、懐に手を入れた。そして、そこから取り出した鈍く光る塊をまっすぐに健二に向ける。
 健二の口から、ひっと引きつったような悲鳴が漏れた。
 現実の世界では武器などとは縁の無い生活を送ってきた健二にも、それがどう見ても銃であることだけはわかった。



>> To be continued.



またもや更新予定日を過ぎてしまい申し訳ないですorz
そして、またもや予定より文章量が多くなりました(笑)

前回、前々回の記事に拍手をくださった方々、ありがとうございます!!><*
読んでくださっている方がいるだけでとっても嬉しいです!励みになりました!
頑張って更新続けていきますね!(*´▽`)

次回も一週間後の更新を目指します!


未来への追憶 第一話 - 02

* * *


「私も、自分の用事くらい自分でできたらいいんだけどねぇ」

 老いのために車椅子生活となった健二の祖母は、健二が十一歳の時にそう言った。
 それは、デスクに置いてある祖母の虫眼鏡を取るため、健二が彼女に背を向けた時に呟かれた言葉だった。
 母と共に、一人暮らしの祖母の家に手伝いに来ていた時だ。祖父はすでに他界しており、その頃は家事などの手伝いをするため、よく母と二人で祖母の家を訪れていた。とは言え、小学生だった健二は祖母と話をしたり、一緒に花札などの簡単な遊びをしたりすることが中心だったのだが。祖母にとっては健二が来てくれるだけで幸せだったし、健二の母もそれをわかっていた。
 リクライニングベッドに体を預けて本を読もうとしていた祖母は、離れたデスクの上に置きっぱなしになっていた虫眼鏡を自分で取ることができず、側で遊んでいた健二に頼んだのだ。
 ふと漏らしたといった具合の祖母の声は寂しげで、まだ幼かった健二にも何かを感じさせた。
 簡単なことでさえ、いつもいつも人に手を貸してもらわなければならないことへのもどかしさや申し訳なさがあったのだろう。
 普段の祖母はそんなことを微塵も感じさせない明るい性格だったために、その言葉はより強く健二の記憶に残ることとなった。健二が虫眼鏡を手渡すと、彼女が「ありがとう」の代わりに「悪いねぇ」と言ったことまで覚えている。
 その後まもなく祖母は施設への入所が決まり、ほぼ寝たきりの状態となった彼女は大好きな孫の名前も、やがては自分の名前さえも思い出せなくなった。
 祖母の死後、高校を卒業した健二は大学へと進学した。
 健二の父は工作好きで、健二が幼い頃はよく自慢の手製のおもちゃを与えていた。その父の影響もあり、もともと物を作ることが好きだった健二が工学の道に進んだのは自然な流れだった。
 そして、その頃には健二の目指すものはすでに、徐々に形を成しつつあった。
 健二の心にあったのは一つ。元気だった時の祖母の笑顔と、あの日、ベッドの上で悲しそうに漏らした祖母の言葉。
 今は介護が必要とされている人々も、彼らがそれを望んでいるなら、もっと自分の力で自由に生活することが可能になればいいのに。
 そのための助けとなる機械やロボットを、自分の手で作り上げる。
 それが健二の夢であり、必ず実現できると信じている未来だった。


* * *


 目を開けると、視界には灰色を混ぜたような薄いブルーの空が広がっていた。小さな雲がいくつも浮かんでいる。
 眩しくて思わず目を細める。健二は自分が屋外に仰向けに寝ているのだとわかった。
 背中越しに伝わる感触は柔らかい。手触りから察するに、地面は芝生のようだ。
 しかし、なぜ自分はこんなところに寝ているのだろう。どうやら眠っていたらしいが、眠りに落ちる前、自分がいったい何をしていたのかが思い出せない。
 頭は霞がかかったようにぼんやりとしていたが、体は軽く、気持ちはとても落ち着いていた。不思議なほどの爽快感が満ちている。
 ゆっくりと上体を起こしてみる。辺りを見回すと、そこは建物の中庭のような場所だった。戸建ての一軒家のようにも見えるが、それにしてはいささか大きすぎるような気もする。豪邸か、それとも公共の施設か何かなのだろうか。
 庭をぐるりと取り囲んでいる建築物は三階建てだった。外壁はレモンイエローで、とにかく窓の数が多い。白い窓枠の大きな窓がいくつも取りつけられており、中庭へと通じる窓や扉も複数ある開放的な造りだった。ガラスがはめ込まれた扉もあり、窓枠と同じ白色をしている。
 ところが窓ガラスも扉にはめ込まれたガラスも、ガラス自体に特殊な加工でもしてあるのか、室内の様子は闇に包まれているかのように何も見えなかった。
 健二の丁度正面にはテラスがあり、ガーデンテーブルとイスが二脚あるのが見える。
 風変わりな形をした植木鉢やプランターから顔を出した花達が、テラスや芝生の上で庭を鮮やかに彩っていた。
 芝生の中央には飛び石が不規則に、だがバランス良く並んでいる。向かって右端の方には木造のベンチも一脚置いてあった。それらの間にぽつぽつと、数本の木が植えられている。
 建物も庭も上品で温かみを感じさせ、見る者に明るい印象を与えるデザインだ。だが、健二は同時に、全体的にどこか違和感のようなものがあることに気がついた。
 一見すると普通の家と変わらないように見えるのだが、何かしっくりこない部分があるのだ。だが、ぱっと見た時の印象のようなもので、具体的にどこがおかしいのかと問われてもすぐに答えられる類のものではない。
 それは窓枠のちょっとした形の違いであったり、見慣れた物たちの中に見慣れない物が混ざっていることであったりしたのかもしれないが、じっくりと細部を観察する余裕も無く、その違和感が何であるのかはわからなかった。
 自分の記憶が確かならば、まったく見覚えの無い場所だ。
 気がついたら見知らぬ場所にいた、という状況の原因として健二に思いつくのは、泥酔による記憶障害だけだった。
 健二はあまり酒を飲む方ではない。酒に強くないためであり、付き合いでたまに飲む程度で記憶を無くすまで飲んだことなど三十年生きてきてただの一度も無い。
 それゆえに信じがたかったが、考えられる可能性が過度の飲酒しか無い以上、それを疑うしかなかった。
 しかし、再び記憶を探ってみようとした瞬間、突如として健二の脳裏に一つの場面が浮かび上がった。
 スローモーションで近づいてくるトラックの無機質な顔と、鋭いブレーキ音。
 そうだ。自分はトラックに撥ねられたはずだ。
 そこから、まるで川の奔流のように記憶がよみがえってくる。
 いつもより早く起きて東京行きの電車に揺られ、本社の会議に出席し、プレゼンを行ったことが早送りの映像のように再生される。
 結局、全身全霊で挑んだプレゼンは失敗に終わり、ひどく落ち込んだ。神奈川に戻るために駅に向かっている最中はずっと上の空で考え事に耽っていた。
 そして、トラックに撥ねられた。
 慌てて自分の体を確認する。
 驚くべきことに傷一つないどころか、着ていたスーツには事故に遭ったことが伺える乱れや汚れすら無かった。当然、痛みを感じる箇所も無い。
 これはいったいどういうことだ。本来ならば、集まってくる人々の心配そうな視線に見守られて固い道路の上で呻きながら瞼を開けるか、病院のベッドの上で白衣の医師や看護士たちに見下ろされて目を覚まさなければならないはずだ。
 トラックに衝突された哀れな自分を、誰かがわざわざこんなところまで運んできて捨てるとは思えない。トラックの運転手が証拠の隠滅をはかったのなら別だが、それにしては中途半端すぎる気がする。
 何より、あれだけの衝撃を受けて無傷で済むとは到底思えなかった。
 まさか、ここは天国だろうか? あの事故で自分は死んだのかもしれない。
 焦るべきところなのだろうが実感がわかず、気持ちは依然として不自然なほど穏やかなままだった。
 それとも、ただの夢ということもあり得る。そう思うのが一番納得できる。
 だが、あれは確かに現実に起こったことだと頭の中の何かが告げていたし、今健二が体で感じている感覚――雲の隙間から光を注いでいる太陽の暖かさや、頬を撫でていく風の涼しさ――は、夢というにはあまりにもリアリティがありすぎた。
 広げた自分の手のひらを呆然と見つめていると、背後で物音がした。コンビニやデパートの自動ドアが開く時の音をもっと小さく、そしてもっと素早く凝縮したかのような音だった。



>> To be continued.



前回書いた更新予定日を過ぎてしまってすみませんでした…!;
でもその分、少しだけですが文章量が多くなりました。なかなかキリのいいところがなくて…(笑)

次も一週間後には更新する予定です♪
健二以外のメインキャラが何人か登場します…( *´艸`)

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