未来への追憶 第三話 - 06

* * *


 レイは、医療研究所のまっ白い廊下を力の限りに走った。自分の荒く激しい呼吸と足音が耳に響く。しかし、息があがっているのは走ったためではなく、恐怖と緊張によるものだった。
 金髪の青年が追ってくる。時々後ろを振り返ると、軽い足取りで走る彼の姿が見えた。レイとの距離はどんどん縮まっている。これではたちどころに追いつかれそうだ。目の前に現れる角を次々と曲がり、がむしゃらに進む。とにかく青年から離れなくてはならない。幸い、向こうはもう予備の銃や弾倉は持っていないようだ。
 彼はなぜ、自分ばかりを追ってくるのだろうか? 先ほど、レイが撃った麻酔銃のダートが青年の頬をかすめ、青年は小さな傷を負った。
 しかし、そんな理由で他のすべてをほうりだし、レイのことだけをここまでしつこく狙おうとしてくるだろうか? 本当に機械なのではないかとさえ思えるような、人間味のかけらも感じられない男が?
 今までも、金髪の青年は警察やSGAから数え切れないほどの攻撃を受けてきたはずだが、彼がそれをかわせなかったのを見るのは初めてだった。だからといって、レイの腕が特別よかったというわけではない。今までの金髪の青年の身体能力や反射神経から考えると、あれは本当にたまたまだった。
 次の角を曲がってすぐのところに、ドアが開いたままになっている部屋があった。小さな物置のような部屋らしく、電気は消えている。考える前に、レイはそこへ飛びこんだ。
 すぐに金髪の青年が角を曲がってくるのが見えた。
 廊下から差しこんでくる光の帯の中に影を落とさないよう気をつけながら、壁にぴたりと背をつけて闇の中に身をひそめた。ぜえぜえと騒々しい音を立てる呼吸を抑えようと、慎重につばを飲みこむ。その音さえ青年に聞こえてしまうのではないかと、レイはひやりとした。
 青年の影が、レイがいる部屋のドアの前を通りすぎる。廊下をゆっくりと歩く靴音が聞こえる。レイがこちらに来たことは明らかなので、レイのことを探しているのだろう。彼がどこかに隠れたことは、金髪の青年にもわかっているはずだ。
 もし、相手が赤外線センサーなどを持っていたら一瞬で見つかってしまう。そうでなくとも、これほどレイに執着を見せている青年が、このままあきらめるとは思えなかった。ここに隠れていることに気づかれるのは時間の問題だ。先手を打たなければならない。
 レイは意を決すると、右肩を壁につけたまま、顔の半分だけをそろりと入り口からのぞかせた。視力の失われていない左目で廊下の様子を確認する。金髪の青年はドアから数メートル先に立っていて、こちらに背中を向けている。レイは震える手に力を込めて麻酔銃を構えると、青年の肩の辺りに照準を合わせた。
 しかし、引き金を引くより早く、不意に金髪の青年がこちらを振り返った。アイスブルーの瞳と目が合い、凍りつく。今、レイがいるのは狭い物置だ。もし、青年に部屋の中に入ってこられたら、逃げることはできなくなる。
 次の瞬間、レイは猫のように敏捷な動きで部屋から飛び出し、廊下をもと来た側へと走ろうとした。
 しかし、これほどの至近距離にいながら、金髪の青年から長く逃げ続けることなど不可能だ。すぐに、背中にのしかかってくるような気配が迫るのを感じた。すばやく振り返りながら後退すると、ナイフの刃先がレイの体からわずか数センチのところで空を切った。
 間を置かずに手刀が飛んできて、麻酔銃を持ったレイの右手首を打つ。銃が飛んでいき、反射的にそれを目で追いそうになるが、青年が大きく動くのが見えて右後方に退いた。そのおかげで青年のひざ蹴りをまともに食らうことはまぬがれたが、かわしきれずに、相手のひざ先が左の肋骨の下辺りに当たる。それだけでもかなりの衝撃があり、呻きがもれた。
 休む間もなく、今度はまたナイフが突き出される。さらに後ろにさがってそれも避けようとしたが、足がもつれて仰向けに転倒した。
 痛みに耐えてすぐに起きあがろうとしたが、青年が馬乗りのように覆いかぶさってくる。両脚で体を固定され、左手で胸を押さえつけられて、身動きがとれない。ものすごい力だった。
 青年の右手のナイフが高々とかかげられ、それがレイを目がけて一気に振りおろされる。
 レイは思わず目をつぶった。完全に押さえこまれて、避けることも反撃することもできず、ただ死を待つしかない。無意識に叫び声を上げていた。
 しかし、そのまましばらく経っても痛みも衝撃も、何も襲ってこない。
 不思議に思って目を開けると、ナイフの鋭利な切っ先がすぐそこに迫っていてぎょっとした。いったいどういうつもりだ? 全身から冷や汗が噴き出してくる。
 ナイフの先の青年は、冷たい無表情のままで人形のように固まっていた。まるで、エラーを起こした機械のようだ。
 同じように固まっていたレイははっと我に返ると、どういうわけかレイに刃を突き立てる寸前で動きを止めている青年の顔に向けて、右手の拳を突き上げた。どう考えてもこの状況から勝てるとは思えないし、それどころか相手に傷一つつけることさえできないかもしれないが、何もせずにやられるわけにはいかない。
 青年は後ろに体をそらせてレイの拳を避けると、彼の上からどいた。
 レイは上体を起こして青年の攻撃に備えようとしたが、そのとき、廊下の向こうから麻酔銃のダートが飛んできた。クレイグだ。
 青年はそれをかわすと、突然踵を返した。反撃するでもなく、来たのとは逆方向へ廊下を走りだす。クレイグが二発目のダートを撃ったが、それが届く前に青年は曲がり角の向こうに消えた。

「ストレイス、無事か?」

 周囲に目を配りながら、クレイグが小走りに近づいてくる。

「はい。……すいません、役に立たなくて」
「いや、いい」

 クレイグは簡潔にそれだけ答えた。相変わらず何を考えているのか読み取れないが、彼にレイを責める気が無いことだけは確かだった。

「劉、ストレイスと合流した。彼は無事だ。ストレイスを狙っていた金髪の男が、唐突に我々の前から走り去っていた。彼がどこへ向かったのかを確認してほしい」

 クレイグが通信機で劉に伝えるのを聞きながら、レイは立ちあがった。金髪の青年のひざが当たった脇腹がずきずきと痛む。おそらくひどい痣になるであろう箇所を手でさすりつつ、青年が姿を消した方向に目を向けた。

「あいつ、ずっと俺を追いかけてたのに、急に行っちまいましたね。どうしたんすかね」

 レイは敵の意図が読めず、いくらかの不安も感じながら言った。

「お前が何かしたわけではないんだな?」
「違います。俺は、あと少しでほんとに殺されるところでした……」その瞬間のことを思い出して、ぞくりと身を震わせる。「それなのに、俺を殺す直前でいきなり、壊れたロボットみてえに固まって動かなくなったんすよ。それで、反撃しようとしてたところでした」
「そうか……とにかく、我々も倉庫に急ごう」
「あっちはどうなってるんすか?」

 少しの間、自分のことで精一杯で頭から吹き飛んでしまっていたが、和泉かおるがロボットとともに現れ、地下倉庫が攻撃されたのだった。
 そのことを思い出した途端、ジャンとゆかりが考えるのも恐ろしい状況に陥っているのでは、と危惧する気持ちがよみがえってきた。クレイグの顔色や声音からすると最悪の事態が起こった様子ではなさそうだが、彼の感情はどんなときも表に出にくいので油断はできない。

「ベルティエたちは和泉かおるが連れてきたロボットと戦っているが、大きな怪我を負った者はいない。動きを見ている限りでは、ロボットはわざと致命傷を与えない攻撃しかしていないように見える」
「よかった」レイは安堵の吐息をついた。「でも、わざとそんなもてあそぶようなことをするなんて……なんのためにやってるんすかね。ほんとに何考えてんのかわかりませんね、阿久津賢士は」

 金髪の青年や和泉かおるの行動は、阿久津賢士の命令の結果だろう。彼らは洗脳されて戦わされているだけなのだ。彼らが勝手に動いているとは考えにくい。
 クレイグはうなずいた。

「様子を見ながら慎重に動くしかないな。倉庫に逃げた犯行グループの男二人の方は、和泉かおるに殺された。彼は最初からそのつもりでやってきたのかもしれない」
「そうですか……」

 レイは眉を寄せて考えてみたが、敵の不可解な行動を説明できるようなことは何も思いつかなかった。

「行くぞ。和泉かおるの攻撃によってトラックが炎上している。消防には連絡したが、そちらにも気をつけろ」
「はい」

 クレイグが走りだす。レイも緊張を抱え、まだ痛む脇腹に顔をしかめながらそれを追った。


* * *


 ジャンやゆかりたちSGAがロボットと交戦している間、かおるは高みの見物を決めこんでいるようだ。自分は通路から一歩も動かず、ロボットに攻撃を任せている。
 ジャンは舌打ちを一つしながら銃を撃った。
 今のところ、SGAは敵のロボットをまだ一体も破壊できずにいたが、武装部隊の隊員も含め、敵の攻撃に倒れた者もいなかった。全員の状態を確認する余裕などないので、もしかすると小さな怪我を負った者はいるかもしれないが、致命傷にはなっていないはずだ。ゆかりもいつものしっかりとした態度を取り戻し、戦っている。
 理由はわからないが、やはり敵はジャンたちを殺そうとはしていないようだ。
 だが、これでは埒があかない。まず、ロボットへの指令を出しているかおるを止めなくてはならない。そうすれば、彼が持っている端末を取り上げてロボットを停止させることも可能だろう。
 もしかすると和泉かおるは、あの金髪の青年ほどの身体能力の強化はされていないのかもしれない、という考えもあった。

「ゆかり」

 ジャンはゆかりだけに通信を繋ぎ、抑えた声で言った。

「俺は一度倉庫から出て、上の通路に行く。こっそりかおるに近づいて、あいつを止める」
「何言ってるの? だめよ!」
「そうする方が早い。大丈夫だ。俺が出て行ったことに気づいてない振りをしてくれ」
「ジャン!」

 ジャンは通信を切った。
 いつ、和泉かおるの、もしくは阿久津賢士の気が変わり、本気で自分たちを殺そうとしにくるかわからない。迅速に行動しなくてはならない。自分がそばを離れても、今のうちならおそらくゆかりは大丈夫だろう。
 ロボットの攻撃を防ぐため、そして、かおるに自分の動きを見られないようにするため、身を低くかがめて棚の陰から陰へと移動し、倉庫の入り口の扉に向かって少しずつ後退していった。一体のロボットが追ってきているが、動きはジャンの方が速い。
 扉にたどり着くと、片手で銃を構え、体は倉庫の中央に向けたままで壁の開閉ボタンを押した。後ろ向きに廊下に出ると、今度は廊下側のパネルを叩くように押す。扉が閉まると同時に廊下の先にある階段を目指して走り、その勢いのまま一階まで駆け上がった。
 階段を上がったところで立体マップを表示し、通路へと続く入り口を探す。そのドアはすぐそばにあった。かおるに気づかれないようできるだけ静かに行動したかったが、もしロックがかかっていれば、ドアを破壊しなければならない。しかし幸いにも、こちらのドアも倉庫の入り口と同じように、ドア横のパネルのボタンを押すだけで開いた。
 中に入ると、再び炎から押し寄せてくる熱気に包まれる。通路の先に和泉かおるの姿が見えた。
 倉庫全体を見渡せる高い位置にいるかおるは、倉庫内にジャンの姿が見えないことに気づいているはずだ。だが、特にそのことを不審がっているようでもなく、ジャンを探している風でもない。先ほどまでと変わらず、片手をポケットに入れたまま突っ立ち、眼下に視線を注いでいる。どこか、棚の後ろにでも隠れていると思っているのだろうか?
 通路の壁には太いパイプが伸び、床には制御装置やモニター、小さめの棚などが並んでいる。ジャンはそれらの陰に隠れながら、そろそろと通路を進んでいった。

「かおる! かおる……!」下から、ゆかりが叫ぶ声が聞こえた。「わからない? ゆかりよ、あなたの姉よ! 思い出して!」

 心の底から弟に訴えかけるような、必死の叫びだ。
 通常は、事件に関わっている親族などがいる職員はその事件の担当から外されるものだが、阿久津賢士の事件を担当するチームは違う。
 その理由の一つに、洗脳された人間に対して、こうして家族や友人など親しかった人間が呼びかけるため、ということがある。
 洗脳を解く確かな方法については、いまだよくわかっていない。もちろん、専門の技術者の手によって、記憶を取り戻させる洗脳を再び施すのがもっとも確実に近い方法だろう。だが、それ以外の道もあるかもしれない。
 洗脳で意識の底に沈み、ふたをされて出てこなくなっている記憶は、脳から完全に消えてしまっているわけではない。阿久津賢士が通常の洗脳を行ったのなら、被害者――かおるたちも、外からの何らかの刺激によって記憶を取り戻し、洗脳から解ける可能性があるのだ。その望みにかけ、大切な人との接触によってすべてを思い出すことを願って、彼らに呼びかける。

「姉? あなたが、私の?」かおるはせせら笑った。「知りませんよ、あなたのことなんて」

 おもしろがっているような調子で冷たく言い放つ。ここからはゆかりの姿は見えないが、いくら洗脳されているとはいえ、実の弟の今の言葉にゆかりは傷ついただろう。そのことに体の内側で怒りが燃えあがるのを、ジャンはどうしようもなかった。
 ゆかりは尚もかおるに言葉を投げかけ続けているが、ロボットから攻撃を受けている状態でそちらに意識をそらすのは危険すぎる。
 ジャンはかおるに近づく足を速めた。棚や制御装置にさえぎられない位置まで来ると、麻酔銃を構える。かおるとの距離はたった二メートルほどしかない。敵がこれほど近くまで来ているというのに、まだ気づかないのか? ジャンは訝しく思いながらも、麻酔銃の引き金を引いた。
 その瞬間、かおるが体を反転させ、ジャンの目前に飛んできた。実際には飛んできたのではなく走って来たのだろうが、ジャンにはそう見えた。麻酔銃のダートはかおるの脇を飛んでいき見えなくなる。かおるの手にあった端末はいつの間にか白衣のポケットの中にしまわれていた。先ほどまでの、どこかけだるそうな雰囲気さえ感じる佇まいからは想像がつかない動きだ。
 獲物に飛びかかる蛇のような速さで右腕がさっと伸ばされ、その手がジャンの首をつかんだ。喉が絞められ、呼吸が苦しくなる。

「私が気づかないとでも思ったんですか? 本気で?」

 かおるは嘲笑うように言うと、ジャンの首に巻きつけた指にぐっと力を込めた。そのまま、右腕をゆっくりと上げる。ジャンの体も一緒に持ち上がり、両足がわずかに床から離れた。本格的に首が絞まり、ジャンはかおるの腕から逃れようともがき、左手でかおるの腕をつかんだが、その腕はびくともしない。
 九十キロを超えるジャンの全身を片手で持ち上げているというのに、かおるは表情一つ変えていなかった。にたあ、とした、生理的に嫌悪感を覚えるような不気味な笑みを広げ、下から見上げてくる。

「あなたが考えていたことは最初からわかってましたよ。ぜーんぶね」

 彼がそう続けるのが聞こえるが、脳の酸素が足りなくなり、言葉の内容はあまり頭に入ってこない。かろうじて右手に持ったままの麻酔銃を構えようとしたが、体が言うことを聞かなかった。

「そいつを放せ」

 そのとき、誰かの声が言った。その男の声は通信機を通してではなく、ジャンの背後から直接空気を振動させて伝わってくる音だ。命令口調の割りに、声自体は静かで穏やかなトーンだった。
 かおるが視線をジャンから、ジャンの後ろに立っているらしい人物に移し、鼻で笑った。

「フランツ、ミスをしでかしたあなたが、この私に命令ですか?」

 フランツとはいったい誰だ? 首を絞められたままのジャンには、後ろを振り返って確認することができない。そうしている間にも意識はどんどん薄れてきた。
 しばし、沈黙があった。

「マスターの命令を忘れたのか」

 また、後ろの声が言う。かおるの挑発的な物言いにもまったく動じていないのか、冷静な口ぶりは先ほどと微塵も変わっていなかった。

「私は、マスターの命令に反するようなことをした覚えはありませんよ。あなたとは違ってね」
「俺はマスターから、お前の行動に注意していろ、という命令も受けている」
「どの口が言うんですか?」
「そいつはもうすぐ死ぬ」
「殺すつもりはありませんよ」

 直後、ジャンの首を締めあげていた手が突然離された。床にどさりと崩れ落ちる。解放された気管に一気に空気が流れこみ、ジャンは大きく咳きこんだ。視界はまだかすんでいる。

「ほら、死んでないじゃないですか」

 頭上からかおるの声が降ってくる。肩をすくめているのが目に見えるかのような調子だ。

「マスターはちゃんとわかってますよ」

 かおるは足元に横たわるジャンの存在を無視して、もう一人の人物との会話をさらに続けようとしていた。視界の端に、かおるの向かいに立っている男の茶色いブーツが見える。
 その隙に、ジャンはいまだ力の入らない体を叱咤し、床に両ひじをつくと喘ぎながらもなんとか体を起こそうと試みた。

「それに、マスターからは何も言われてません」
「マスターは――」
「ああ、もう、うるさいですねえ」

 かおるが苛立ったような声を上げたかと思うと、ジャンの体にすさまじい衝撃が走った。
 前触れもなく、かおるがジャンの体を蹴りあげたのだ。一瞬、声も出なかった。筋肉に力を込めて攻撃に備える余裕もなく、腹にまともに蹴りをくらってしまい、再び床に転がる。痛みが腹部から全身に広がっていく。ジャンは腹を抱えるようにして体を折り、呻いた。
 耳障りなかおるの笑い声が響き渡る。
 その声と下からの銃声に混じって、バタバタという足音が聞こえてきた。誰かが倉庫内に入ってきたようだ。

「おや」

 かおるが愉快そうな声を上げた。

「はい。……了解しました、マスター」

 フランツと呼ばれていた男が言ったが、かおるに向かって言ったのではない。通信機か何かを使って、この場にいない人物と話しているような様子だ。

「ジャン!」

 自分を呼ぶ声が聞こえる。あれはレイの声だ、と痛みで遠のく意識の片隅でぼんやりと思った。


* * *


 地下倉庫に飛び込んだクレイグは、視界に広がった光景に思わず息をのんだ。劉からの報告や送られてくるカメラの映像で状況はわかっていたはずだが、実際に直接目にすると、想像以上の惨状だった。
 高々とそびえる炎の柱から発せられる熱が、肌にまとわりつき、呼吸を圧迫する。ごうごうという音が倉庫内を満たしていた。
 それに被さり、いくつもの銃声が鳴り響いている。ゆかりと武装部隊の隊員たちが、阿久津賢士のロボットの攻撃から逃れるべく、隠れたり逃げ回ったりしながら、ロボットに向けて必死で銃を撃ち返している。死んではいないようだが、倒れている隊員が一人いた。足をやられたようだ。ゆかりは一人離れたところで、時々頭上の様子を気にしながら一体のロボットの相手をしている。
 クレイグに続いてレイと二名の武装隊員――一度、三階の研究室の方に来るよう指示したものの、すぐに引き返させた二人だ――が、倉庫内に駆け入った。

「ジャン!」

 レイが頭上を見上げて叫んだ。クレイグもその視線を追うと、頭上の通路には和泉かおると金髪の青年が並び、その足元の床にジャンが倒れているのが見えた。
 倉庫に入ってきたレイやクレイグたちの存在を感知したのか、近くにいたロボットがこちらを向く。先の方が細い筒のようになった腕が上がった。その、ライフルの銃身のような腕の先から弾が発射されるのだ。
 クレイグはホルスターの拳銃に手をかけたが、ロボットは弾を撃つ前に動きを止め、腕を下ろした。突然、倉庫内の音が減った。見ると、すべてのロボットが同じように止まっている。
 ゆかりや武装部隊の隊員たちは何が起こったのかすぐには理解できない様子で、警戒しながらまだ銃を構えている。
 通路の上で、和泉かおるが手に持った端末を操作していた。おそらく、彼が何らかの指令をロボットに与えたのだろう。
 彼はその端末を白衣のポケットにしまったかと思うと、しゃがみこんでジャンの髪をわしづかみにし、無理やり顔を上げさせた。金髪の青年が自分の持っていたナイフをかおるに差し出し、かおるはそれを受け取るとジャンの喉元にあてた。下にいる武装隊員たちの間にざわめきが走る。

「ジャン!」ゆかりが空気を切り裂くような、悲鳴に近い声を上げた。「かおる、やめて!」

「全員、動かないでください。言うことを聞かなければこの男を殺しますよ」

 かおるが言った。しゃべり方は丁寧で声質も柔らかであるのに、彼の声からはそこはかとない残虐さと冷酷さを感じた。だが、そこからドロドロとした悪意は感じ取れない。表情は心から楽しそうな笑顔で、無邪気な子供のようだとも思えた。笑顔で蟻の巣を壊し、蝶の羽をもぐ子供のようだと。
 そこに、おとなしい青年だったという和泉かおるの面影は無い。それほどまでに、彼は変わってしまっていた。
 金髪の青年は感情などまったく存在していないように見えるのに、かおるの方はむしろ感情豊かに見える。なぜ、こうも違うのだろう。二人とも洗脳されているのは同じはずだが、そのような差が生じることなどあり得るのだろうか。
 倉庫内の全員が微動だにしなかった。クレイグの耳に装着したイヤホンから、聞き慣れない男の声が流れてきた。

「クレイグさん。今、研究所の建物前に着きました。指示をお願いします」

 ほんの一瞬のことだったが、柄にも無く、彼が誰で何のために来たのかを思い出せなかった。武装部隊の増援だ。

「絶対にそこを動くな。指示を出すまで待機しろ」

 マイクのスイッチは先ほどから入れっぱなしになっていたので、クレイグは体を動かさず、通路の三人に目を留めたまま答えた。口もなるべく動かさないようにして声を出す。

「え? ああ、はい」どこか怪訝そうな返事が返ってきた。
「劉、増援隊へ状況の説明を頼む」

 クレイグは劉に向けて言った。
 金髪の青年が柵に片手をついてふわりとそれを乗りこえ、下に飛びおりてきた。全身の筋肉を上手く使い、体重を感じさせない身軽さで着地する。彼は背筋を伸ばすと、一、二歩クレイグたちに近づいてから口を開いた。

「お前たちに、マスターから提案がある」

 初めて聞く青年の声は抑揚が無く静かだったが、全体的な雰囲気ほどの冷たさはない。もしかすると彼は話せないのではないかとも考えていたため、彼の口からごく普通に言葉が流れ出てくることに少しの意外さを感じた。青年は続ける。

「俺たちは今からこの場を去る。それを見逃せば、こちらもこれ以上の手出しはしない。そうすることが、お前たちにとっても最善の選択だというのが、マスターの考えだ」
「どういうつもりだよ! そんな――」

 怒りと困惑もあらわに言いかけたレイを、クレイグは「待て」と制した。レイは一瞬、どうして止めるんだ、と言いたげな顔をクレイグに向けたが、命令どおりに口をつぐんで金髪の青年に視線を戻した。
 しかし、一秒も経たないうちに今度は別の声に思考をさえぎられる。

「ふざけんじゃねえ!」

 かおるに押さえつけられたままのジャンが、かすれた苦しげな声を絞り出していた。

「てめえらを黙って逃がすなんて馬鹿なこと、俺たちがするわけねえだろうが!」
「あなたにそんなことを言う権利はありません。あなたは人質なんですよ?」

 かおるがジャンの髪をさらに強く引っ張り、苦痛に歪んだ顔を覗きこむようにして言った。それでもジャンは黙らず、自分が少しも怯んでいないことを見せつけるかのように、さらに声を大きくした。

「阿久津の野郎の言いなりになるくらいなら死んだ方がマシだ! そうだろ、ボス! 俺が殺されようが構わねえで、こいつらを止めろよ!」
「ジャン!」ゆかりがまた叫ぶ。

 ジャンは目だけをなんとか下に向けて、クレイグを睨みつけていた。瞳は凶暴な獣のようにぎらついている。
 阿久津賢士との戦いは、今、この場での戦いだけがすべてではない。重要なのは敵の言いなりになるかどうかではなく、敵を逃がすことによって何が得られ、どんな損失があるのかを考えること。そして、阿久津賢士の企てや意図を探ることだ。
 ここまで自分たちを追いつめておきながら、わざわざ交渉を持ちかけてくる意味はなんなのだろうか? 阿久津賢士の目的が読めない。
 クレイグは、目の前に立ってじっとこちらを見ている金髪の青年をまっすぐに見返した。

「マスターというのは、阿久津賢士のことか」

 そうに違いないのだろうが、念のため確認する。

「そうだ」

 阿久津賢士は拉致して洗脳し、部下とした者に自分のことを“マスター”などと呼ばせているのか。その異様さに、クレイグは背筋に薄ら寒いものを感じた。
 すべての判断はクレイグにゆだねられている。その場にいる全員が彼の言葉を待つ中、クレイグはかおるに捕らえられているジャンに目を向けた。
 外にいる武装部隊の増援とともに立ち向かえば、もしかすると金髪の青年かかおる、もしくはその二人を捕らえることもできるかもしれない。だが、敵には四体のロボットもいる。被害がさらに広がるのは間違いないだろう。
 それに、この場にいない日向虎太郎とシンディー・オルコットのことは救えない。阿久津賢士の“提案”をSGAが拒否することで、彼らが殺されるということも考えられる。
 加えて、SGAの職員であるジャンが命を落とすようなことがあれば、少なからず騒ぎになることも避けられない。そうすれば、一般の人々に阿久津コーポレーションの悪事を知られず、阿久津賢士を逮捕することが難しくなってくる。
 ここでジャンを――仲間を一人犠牲にしても、そうするだけの価値があるものは何も得られない。
 阿久津賢士の方も、圧倒的な力の差があるにもかかわらず、この場で正面からSGAとやり合おうとしないのには、おそらく何か重要な訳があるはずだ。

「わかった。では、その通りにしよう」

 クレイグははっきりとした声でそう言った。
 金髪の青年が小さくうなずき、彼とかおる以外の全員がクレイグに目を向けた。その表情は一様に驚愕を示している。

「何考えてんだ、あんた! 正気か、おい!」

 愕然と目を見開いていたジャンが、怒りに声を震わせながら怒鳴った。

「フランツ、この男はどうしますか?」
「縛っておけ」

 かおるが下に向かって声をかけると、金髪の青年が顔を上げて答えた。フランツというのは青年の名前のようだ。ジャンの腕を背中に回したかおるが、手錠のようなものを彼の手首にかけるのが見えた。当然、ジャンは激しく暴れようとしていたが、かおるはそんなジャンをいともたやすく押さえ込んでいた。彼も金髪の青年――フランツと同じく、洗脳によって通常の何倍もの力が出せるのだろう。
 ジャンを拘束し終えたかおるが立ち上がって端末の操作をすると、停まっていたロボットが再び動きだした。それを見届けてから、かおるは壁に開いた穴の方へと通路を歩きだす。フランツはこちらを一瞥したあと、トラックの出入り口に向かった。四体のロボットも彼に続く。
 レイは眉を寄せ、視線を床に落としていた。複雑な気持ちながらも上司の考えを理解し、その判断に納得したことがクレイグにはわかった。武装隊員たちも黙って状況を見守っていたが、ジャンだけは、まだクレイグへの抗議の叫びを上げ続けていた。ゆかりはどこかほっとしているようにも見える。婚約者が人質にされ、しかも自分の弟に殺されそうになっていたのだから、当然だろう。
 フランツは炎の横を平然と通りすぎると、出入り口に続く通路を進んでいった。やがて、地上に伸びる通路の先の扉が開いた。先に外へ出たかおるが、あらかじめ手に入れていた研究員のカードか何かを使って開けたらしい。かおるが乗ってきたトラックにフランツとロボットが乗り込むと、車は走り去っていく。もちろん、誰も止めない。
 今回は外にいる武装隊員にも警察にも、敵を追えとは命じなかった。ただ、本部にいる劉にだけ、敵が向かった先を街のカメラで確認するようにと伝える。
 広い倉庫にはSGAの人間と、燃えさかる炎だけが残された。遠くから、消防車のサイレンの音が聞こえてきた。


* * *


 昨日の事件についての説明を聞き終え、健二は一度大きく息を吸って、静かに吐き出した。知らずに息をつめていたようで、体は緊張している。机に置いた手や腕にも無意識に力を入れていたらしい。肩はひどく凝っていた。
 拠点の会議室で、十日ほど前と同じようにクレイグが前に立ち、レイとゆかりが顔をそろえている。健二もSGAの捜査に協力していくということで、阿久津賢士の事件で何か進展があった際には、健二にもその都度知らされることに決まったようだ。

「どうやら、阿久津賢士の方も我々と正面から敵対しようとは思っていない節がある。警察は二名殺害されたが、SGAには殺された者はいない。その理由はわからないが、彼らの攻撃は明らかに手加減されていた。これらのことから、阿久津賢士に対処する方法を探れないかと思っている」

 クレイグは最後にそうまとめた。

「今回はいろいろまずい場面もあったけど、阿久津賢士に狙われてる犯罪者を確保できたってのも、俺たちにとっては大きかったですね」

 改めて事件のことを思い出しているのか、レイが一人うなずきながら言い、クレイグが同意する。

「ああ。彼らの言動からすると、何か裏がありそうだったからな。阿久津賢士とその他の犯罪との関係や一連の事件について、重要なことがわかる可能性もある」
「その人は何か話したんですか?」健二はクレイグにたずねた。
「いや、まだだ。今聞き出そうとしているところだが、なかなか口を割らない」

 以前、健二が未来に来た直後で敵側の人間ではないかと疑われていたとき、クレイグはSGAは拷問などはしない、と言っていた。あのときは劉がふざけているなどとは夢にも思わず、健二は本気で怯えていたのだが。おそらく、今回捕まえたという犯罪者についても荒っぽいことはせずに、相手が話しだすのを待っているのだろう。

「目の前で仲間が次々に殺されるのを見たので、そのショックで混乱しているというのもあるのかもしれませんね」

 ゆかりが憐れむような声で言った。クレイグも首肯する。犯行グループのメンバーは全員が若く、まだ少年と言ってもいい年頃の者もいたらしい。
 すべての出来事についての仔細を聞いたわけではないが、先ほどレイも言っていたように、今回SGAの面々はかなり危険な状況に陥ったようだった。彼らのショックも大きいだろうが、日頃から特殊な犯罪に対しているだけに慣れているのだろうか。レイやゆかりたちからは、そういった動揺のようなものは何も感じられない。ゆかりは、敵として現れた弟と対面したことについては、自分からは触れなかった。
 健二は初めて、彼らの仕事が時には命をかけたものであるということを実感した。今、そばにいる彼らが――いつも健二に笑いかけ、安心させてくれる彼らが――わずかな時間でも死と隣合わせの時を過ごしたかと思うと、腹の底が冷えていくような恐怖を感じた。
 だが、健二の中に生まれた恐れが膨れあがる前に、クレイグが再び話し始める。

「犯罪が起きてから、敵が姿を見せるまでの時間が短すぎる。現場付近に現れるまで誰にも気づかれないように移動していることから考えても、周到に準備をしているとしか思えない。現場を立ち去る際も、調査部にだけは街中に設置しているカメラなどで敵の行方を追わせていたが、トラックはSGAがカメラの映像を取得できない駐車場に入り、その後見失った。事件が起きる場所などの情報を前もって知っていなければ、このように逃げることもほぼ不可能だろう」

 たしかにそうだ、と話を聞いていた健二も思った。だが、それが意味するところは何なのだろうか。

「そこら辺は、捕まえた男が話してくれるのを待つしかなさそうっすね」

 レイが言い、クレイグが「ああ。まずはそこからだろうな」と答えた。

「今回の事件では、阿久津賢士と接触する新たな手段が見つかるかもしれない、ということがわかったのも大きな収穫だ」

 クレイグは続けた。彼らは、和泉かおるや金髪の青年――フランツという名前だとわかった男と会話を交わしたというのだ。以前、フランツという青年と出くわしたときにはとても話ができるような相手には見えなかったので、一度敵の姿を見ただけの健二にもこれは予想外だった。
 そのとき――阿久津賢士が“提案”を持ちかけてきたとき、クレイグはそれを受け入れた。そのクレイグの決断を、レイもゆかりも正しい判断だったと思っているようだ。彼らがクレイグに絶大な信頼を置いていることがわかる。

「阿久津賢士の言葉をフランツという男が伝えてきたということは、こちらの言うことも阿久津賢士に伝わる可能性がある。少なくとも、洗脳された者に話しかけることは意味のあることだとわかった」

 そう言うと、クレイグは何気なく、といった調子でスクリーンを見た。健二もその視線を追う。そこには、フランツやかおるの静止画像が表示されていた。昨日の事件のときのものだ。フランツは人形のような無表情だが、かおるの方は口元をいやらしくゆがめている。その様子は以前に刑務所で説明を受け、目にした“洗脳を施された人間の状態”とはずいぶんかけ離れているが、その理由はクレイグもわからないと言っていた。
 健二は、白衣を着たかおるの映像や写真を初めて見たときに頭に浮かんでいた疑問を口に出した。

「そう言えば、かおるさんの白衣には何か意味があるんでしょうか」
「無いと思うわ」ゆかりが答えた。「もともと、白衣を着るような職業に就いていたとか、そういうのじゃないから」
「フランツって男と同じでさ、強い印象を与えるためっつーか、目立たせるためにそういう格好させてんだろ? きっと」レイが言う。
「阿久津賢士のことを“マスター”って呼んでたんだよな。それも、何かそういう演出的なものなのかな」
「わっかんねえけど……なんつーか、悪趣味だよな」

 顔をひそめ、レイがぼそりと呟く。健二も同感だった。

「その辺りのことも含めて、阿久津賢士の目的については今後も調査を進めていく」

 クレイグはそう言ったあとで、健二に視線を向けた。

「他に、何か質問などは無かったか」
「はい。大丈夫です」

 健二のその返事を合図にして、ミーティングは終わった。
 会議室の壁に投影される形で時刻を示している時計を確認すると、ちょうど正午を回ったところだった。レイたち三人は仕事があるので、これから本部に戻るようだ。健二の方は昼食をとりにい行くつもりだった。一緒に食べようと、アマンダがダイニングで待っているはずだ。
 席を立ってドアへと向かうとき、健二は最後に部屋の中を見回した。ミーティングが始まったときから心に引っかかっていたことがどうしても気になり、近くにいたレイに言ってみる。

「今日はジャンさんはいなかったんだな」

 危険な目に遭ったと聞いたので、彼の身を案じる思いがあり、無事であることを確かめておきたかったのだ。
 だが、それを聞いた途端、レイは吹き出した。

「“さん”なんてつけずに、ジャンでいいって」

 彼はこの場にいないジャンの意思などお構いなしに、さも自分のことのように言う。健二は戸惑いつつも、それに従うことにする。

「じゃあ、えーっと、ジャンは……彼はどうかしたのか?」

 健二が改めて問うと、レイは少し表情を曇らせた。

「あいつは、ちょっと怪我しててさ」
「怪我を!? 大丈夫なのかい?」
「ああ、まあ、その……」

 そこで、クレイグにちらりと目を向ける。クレイグはレイを見返しただけだったが、レイはその目から何かを感じ取ったようだ。再び口を開いた。

「怪我自体はたいしたことねえよ。ただ……」

 しかし、すぐにまた言葉をにごしてしまう。

「ベルティエは今回の現場で、自分の軽率な行動が原因で怪我を負ったり、チーム全体に不利な状況を引き起こしたことによって、言わば精神的に不安定な状態だ。事件のことを冷静に思い出して話すのは、今のベルティエには難しいだろうと判断した。だから、少し休ませるためにも、今日のミーティングには出席させないことにした」

 続けたのはクレイグだった。

「そうだったんですね」

 ミーティングに参加できないほど大きな怪我を負ったりしたわけではないのだとわかり、ほっとする。
 しかしどういうわけか、見るとレイとゆかりは二人して苦笑いを浮かべている。詳しい事情のわからない健二は、ただ首をひねるしかなかった。

「健二くんは優しいのね」

 廊下に出たところで、ゆかりがいつもの穏やかな笑みをたたえて言った。そんな風に正面からほめられると気恥ずかしい。

「いえ、そんな……正直、ジャンのことはちょっと怖いんですけど、でも、何かあったんじゃないかと思ったら心配になります」
「怪我はマジでたいしたことねえんだ。さっき、ボスも軽く説明してただろ? あいつ、敵に一人で突っ込んでいったんだよ。ボスの命令も無視してさ」

 レイが腰をかがめて健二の耳元に顔を寄せ、内緒話でもするかのように声をひそめて言った。

「それで、ボスにむちゃくちゃ厳しく注意されたみたいで……まあ、当然だけどな。でも、ジャンも素直に反省したりするタイプじゃねえから、結構激しくぶつかりあったらしい。だから、ミーティングで事件について話すことで、刺激されてまた怒りだしたり、前みたいに余計なこと言ったりするんじゃないかってことで、今回は頭を冷やさせるためにも、ボスがジャンには参加させなかったっつーこと」
「なるほど……」

 今度は健二もひきつった笑みを浮かべずにはいられなかった。ゆかりがくすりと笑う。
 今日のミーティングにジャンを参加させなかったのは正解だろう。前回健二が参加したミーティングのことを思い返すと、その方が健二にとってもありがたい結果になったように思う。
 レイが体を戻したとき、彼の髪を結ぶリボンがほどけかかっているのが目に入った。

「リボンが外れそうになってるみたいだよ」
「お、ほんとだ。サンキュ」

 健二が教えると、レイはぱっとリボンに手をやり、その場で結びなおし始めた。
 最初は気がつかなかったが、彼は一つに束ねた長髪に、いつも淡いピンク色のリボンをつけている。男がピンクのリボンというのは珍しく感じたが、2148年では普通のおしゃれの一つなのだろうか。
 リボンを結び終えたレイは、健二の視線に気がついたのか、少し照れくさそうな笑みを浮かべた。頭の後ろで蝶々結びになっているリボンに手を触れる。

「これ、シンディーからもらったんだ」
「シンディー」

 その名前に聞き覚えはあったが、すぐには思い出せない。

「ほら、前に言った、俺の友達だよ。虎太郎と三人で、いつも一緒にいたんだ」

 そうだ、彼女はアマンダの姉だ。そして、阿久津賢士によって拉致された被害者の一人で、レイの親友だったという人物だ。前に写真で見た、愛らしい微笑みを浮かべた彼女の顔が、おぼろげながらも頭に浮かんだ。

「俺も髪なげえけど、その虎太郎ってやつも長髪でさ。特に、そいつなんてもともと結んでもなかったからかなりうっとうしかったんだけどな」彼はそこで笑う。「シンディーが俺たち二人におそろいでくれたんだ、このリボン。まあ、男にピンクのリボンなんてちょっと可愛すぎるけど……シンディーにもらったもんだし。それからは虎太郎も俺も、ずっとつけてんだよ」

 そう言って、レイは昔を懐かしむように目を細めた。目の前の健二でも拠点の廊下でもなく、どこか遠いところを見ているようだ。
 その微笑はとても寂しげで、このときのレイの表情がしばらく頭から離れなかった。


 室内は暖かい湯気に覆われ、視界に映る落ち着いたクリーム色の壁も淡く光る照明も、白くぼやけて見える。深めの浴槽にもたれると、熱い湯の中に肩まで体を沈みこませる。筋肉がゆっくりと弛緩していき、健二はほう、と小さく息を吐いた。
 今日も一日の終わりに、あてがわれた部屋に備えつけられている浴室で疲れを癒していた。とはいえ、外に出て汗をかくわけでもなく、一日中室内で過ごしているため体はたいして汚れていない。だが、これまでの習慣もあり、風呂に毎日入らないのはどうにも気持ちが悪く感じた。
 額に貼りついた髪を濡れた手でかきあげる。お湯がはねるぴちゃり、という音が鳴り、やがて心地よい静寂がおとずれた。浴槽のふちに頭をあずけ、目を閉じる。
 今日のミーティングで聞いた事件のことを考えた。
 犯行グループの一人を逮捕することに成功し、阿久津賢士の部下とされた者たちと話ができるかもしれない、ということもわかった。彼らを使って、阿久津賢士が初めて言葉を伝えてもきた。それらのことから、クレイグたちは新たな作戦や対処の仕方などを考えていくのだろう。
 自分にできることは、何かあるだろうか。
 もちろん、SGAはこれまでも洗脳された者たちと話そうと試みてきた。彼らが阿久津賢士と通信を繋いでいたのなら、そのことは阿久津賢士にも伝わっている可能性が高いだろう、とクレイグは言っていた。洗脳された人間に普通の会話が可能であるなら、後ほど阿久津賢士に報告しているということもあり得る。
 それでも、今まではフランツたちがSGAや警察の呼びかけに反応することも、阿久津賢士が応じることもなかったのだ。いくらSGAがフランツやかおるを通して阿久津賢士に語りかけようが、無視をされては意味が無い。
 何か、あちらの興味を引くようなものがなければならない。阿久津賢士が関心を示すものとはいったいなんだろうか。
 浴槽に張ったお湯には入浴剤が入れてあり、お湯は薄紫に染まっていた。数日前、リラックスできるから、健二くんもどう? と、ゆかりが分けてくれたものだ。2015年の生活の中では入浴剤などほとんど使ったことがなかったが、せっかくもらったので入れてみたのだ。
 深呼吸すると、ラベンダーの香りが鼻腔に広がる。さざ波が静まっていく水面のように、心が徐々に落ち着いていく。お湯に浸かっているのがいつもより気持ちよく感じた。たしかに、入浴剤には心身のリラックスを促進させる効果があるようだ。
 そんなことを思っていたとき、健二の頭に一つの考えがひらめいた。ぱっと、頭の中で光がともったような感覚だった。あまりにも単純で、なぜ今まで思いつかなかったのかが逆に不思議なくらいだ。そして、それは単純であると同時に、あまりにも危険な作戦でもある。
 しかし、もしクレイグたちが賛同してくれるなら、試してみる価値はあるのかもしれない。実行するには健二にとってもかなりの勇気を必要とすることだったが、それくらいしか今の健二にできることはない。
 SGAと阿久津賢士が実際に戦っている、という実感はまだあまり無かった。一度、フランツという名の青年の姿を見たというだけで、その他はミーティングなどで話を聞いただけだからだ。それも、自分のアイデアをクレイグに話せば、これからは違ってくるだろう。
 健二はゆっくりとまぶたを開けた。子孫である阿久津賢士を止める危険な戦いに、文字どおり自分自身も身を投じる覚悟を固めながら。



-- Episode 03 Fin. --



読んでくださってありがとうございます!!
「第三話」も無事に完結することができました!

また、とんでもない長さになってしまいました(笑)
06は8,000字くらいで終わるだろうと思っていたのに、倍以上になってしまった…

いつも拍手等下さる方々も、本当にありがとうございます!
四話以降もがんばりますね!!

未来への追憶 第三話 - 05

* * *


 研究室では、犯行グループと阿久津賢士の仲間である金髪の青年との戦いの最中であり、クレイグはレイとともに、廊下でドアの脇に身をひそめていた。
 この研究室には反対側にもう一つ出入り口があるが、そちらにはジャンがついている。クレイグがいる側よりも大きなそのドアは、先ほど金髪の青年がやって来たときに武器で壊されたらしく、中途半端に開いたままになっていた。
 もちろん、ドアにはめ込めれているガラス窓から中を覗き見るという危険を冒したわけではなく、それらの様子は劉から送られてくる、研究室内に取りつけられたカメラの映像で確認したものだ。
 SGAは必要に応じ、一部を除いた国内の防犯カメラや監視カメラの映像をリアルタイムで受信することができるようになっている。
 室内には研究のための大きな作業台がいくつも並んでおり、金髪の青年と犯行グループの男たちは、それぞれが向かい合う別の作業台の陰に身を隠してハンドガンで撃ちあっていた。床には精密機器や本などがめちゃめちゃになって散乱している。
 事件が起きる前、研究室では五人の研究員が仕事をしていたようだが、殺されたのは最初に撃たれた二人だけだった。彼らの死体は床に横たわったままだ。そのすぐそばには、犯行グループの男も一人倒れていた。褐色の肌をした、まだ若い男だ。
 生き残った三人の研究員は部屋にいる他の面々と同じく、部屋の隅の作業台の後ろで飛び交う銃弾から身を守ろうとしていた。弾がかすったのか、それとも銃弾で砕け散った何かの破片があたったのか、怪我を負っている者もいる。
 今回は犯人の人数が多いためか、金髪の青年は前回のジュエリー店での強盗事件のときのような放胆な攻めは見せず、慎重な動きを続けていた。

「どうなってんだよ! 話が違うじゃねえか!」

 仲間とともに作業台の足元に身を縮こまらせたまま、犯行グループの一人が叫んだ。

「くそっ! はめられたってことかよ!」

 別の男が作業台の端から金髪の青年に向けて発砲し、またさっと身を引いて飛んでくる相手の銃弾をやり過ごしながら、悔しさと苦しみが入り混じった声で言った。

「どういうことだ……?」

 レイが眉間にしわを寄せて呟き、困惑の浮かんだ顔をクレイグに向けてきた。

「今の、どういうことっすかね」

 クレイグも疑問に思った。やはり何かあるようだ。

「犯人を生きたまま捕らえ、確かめる必要があるな」
「そうっすね」レイはうなずく。「でも、このままだと全員殺されちまいそうですよ」

 そう言ったレイは、痛々しいものでも目にしているかのような声だった。

「タイミングを見て、武装部隊とともに阿久津賢士の仲間へ攻撃を仕掛ける」

 クレイグが答えたとき、イヤホンからゆかりの声が聞こえた。

「研究所内にいた人たちの避難はすべて完了しました」
「今どこにいる?」クレイグは彼女にたずねる。
「一階です。正面玄関から一番近いエレベーターの横の、階段のところです。警察の方々が研究所のスタッフと一緒に、建物から出るのを確認していました」

 クレイグは手首に装着した通信機から研究所内の立体マップを表示させ、彼女の位置を確認した。実際の建築物の構造を3Dで正確にモデリングしたもので、内部を全方位から見ることができる。コンピューターで自動的に測定して作られており、調査部で管理されているものだ。

「その階段を使って三階まで上がれ。犯人たちがいる研究室の、東側のドアの前にジャンがいる。お前はそこまでは近づかず、少し離れたところで待機するんだ。何かあったとき、すぐに身を隠せそうな場所にいろ」
「はい」

 それから数秒もしないうちに、武装部隊の隊員の一人である男の声が、同じくイヤホンを通して呼びかけてきた。

「クレイグさん。今、自分たちも現場に到着しました。警察に周辺の道路を封鎖させ、半径三十メートル以内の建物にいる人々の避難も、順次進めるよう指示を出しています」
「わかった。部隊の人数は何人だ?」
「十八人です」
「では、何人かは外に残して、建物の周囲を警戒させてくれ。残りの隊員は半分に分かれて、正面入り口と裏口の二方向から、それぞれ三階中央の研究室を目指してほしい。犯人たちはまだ全員その中にいる。我々の援護を頼みたい」

 クレイグは武装部隊への指示を伝えた。

「了解しました」

 その直後、ついに研究室内の状況に大きな変化があった。
 それまでは防御に徹していたかのように思われた金髪の青年が、突然、作業台の裏から飛び出した。そのまま、彼は隣の作業台に向かって大胆に移動する。
 すかさず、犯行グループの男たちがここぞとばかりに続けて発砲するが、青年にはあたらない。彼は避けようともしていなかった。
 銃弾の嵐が止まないうちに、青年は銃を構えなおして撃ち返し、その弾が犯行グループの男の一人を捉えた。弾は額にあたったようだ。男の体が後ろに倒れ、他の者たちが倒れた仲間の名前を叫ぶのが聞こえる。
 青年は、移動した先の作業台の陰に再び身を隠した。
 部屋の一番奥の作業台――クレイグのいる西側の出入り口の近くだ――に隠れていた研究員の一人が、金髪の青年が自分たちの方に近づいてくるのを見て、裏口から逃げるチャンスは今しかないかもしれないと思ったらしい。他の二人を連れてドアへと走りだした。
 たいていのドアは、入るときにはカード認証などが必要な場合であっても、内側からはボタン一つで開くようにできている。

「こっちに出てきますよ!」レイが言った。

 それとほぼ同時に、ドアが開いて研究員たちが逃げ出してくる。
 クレイグは自動ドアが閉まる前に、コートの内ポケットから取り出したペンをドアの隙間に素早くはさんだ。
 強張った表情の研究員たちは恐怖に支配されていて、誰が味方で誰が敵かをとっさに見分ける余裕などないのだろう。部屋の外にいたレイとクレイグを見てひどく驚き、怯えた様子を見せた。無理もないことだ。

「大丈夫、俺たちはSGAです。この建物にはもう、ここの部屋以外にはSGAの人間しかいないので安心してください」

 レイが目の前の研究室を指差して言った。次に、自分たちがやって来た廊下の先を指す。

「非常階段を使って一階まで下りて、裏口を目指してください。SGAの武装部隊が同じルートでこっちに向かってますので、安全に外に連れ出してもらえます。焦らず、慎重に」

 早口ながらも安心させるような声で言うと、レイは途中まで彼らを誘導した。
 クレイグは通信をつないだ。

「今、取り残されていた三人の研究員が自力で脱出してきた。裏口の方に向かわせたから、武装部隊の隊員は途中で保護し、警察に引き渡してほしい」
「了解です」

 そして、またすぐに手元に浮かんだカメラの映像に視線を戻す。
 金髪の青年が、またもや作業台の後ろから躍り出たところだった。さっきと同じように、犯行グループの男たちが青年に銃弾を浴びせかける。
 青年は、今度は身をかがめるようにして避けた。ひざを折ってしゃがむような姿勢になったとき、彼がひざまでのブーツから左手で何かを抜き取る動きを見せたのがわかった。
 そのままの体勢で、右手に持った銃を何発も続けて撃つ。犯行グループの男たちが怯んだ。青年はその間に立ち上がり、さらに横へ移動するかのように見せかけて、立ち上がりざまに左手に持っていたものを男たちに向かって投げつけた。
 きらりと光ったそれはナイフだった。ナイフは矢のように鋭く風を切って飛んでいき、青年の攻撃が止んだ隙に反撃をしかけようとしていた犯人の一人に突き刺さった。刃は胸の、心臓のあたりに深く刺さり、男は声もなく床に崩れた。
 それを冷めた目で見ながら、金髪の青年は先ほどまで研究員が身を寄せていた作業台を回り込んだ。細く――クレイグがはさんだペンの太さ分だけ――開いたドアの間から、青年の体がわずかに見えた。
 これで、研究室内で生き残っている犯人は四人だけとなった。だが、クレイグたちが金髪の青年を狙うにはまだ早い。もう少し犯人の人数が減ってからでないと、巻き起こる混乱に上手く対処できないだろう。
 青年の動きを見てとうてい勝ち目がないと悟ったからなのかどうかはわからないが、不意に、ジャンがいる側のドアの近くにいた二人の男が、そのドアに向かって逃げ出した。
 まさか、外にはSGAが待ち構えているなどとても考えが及ばないようで、一目散に出口へと突進する様子だ。冷静な判断力を失っているのか、敵である青年に完全に背中を向けているため、すぐにでも彼に殺されてしまうように思える。
 しかし、金髪の青年は動かない。阿久津賢士の仲間が犯罪者以外の人間に見向きもしないのはいつものことだが、彼はどういうわけか、逃げ出したその二人の男たちのことも追わなかった。
 研究室内の様子はジャンもカメラの映像を見て確認しているはずなので、自分の方に向かってくる犯人たちを迎え撃つ準備をしているだろう。
 クレイグは早口でジャンに指示を出した。

「ベルティエ、今そちらに行った男たちをそのまま行かせろ」
「は?」

 あまりにも予想外のことを聞いてあっけにとられたかのような、間の抜けた返事だった。
 ジャンは、信じられない命令――と彼は思ったらしい――を聞いて、とっさに動くことができなかったようだ。二人の犯人は半開きになったドアの隙間を抜けて部屋の外に出たが、新たな銃撃戦の始まりを示すような音は何も聞こえなかった。
 男たちはジャンの存在に気がつくこともなく、そのまま通りすぎたのだと察せられた。

「研究室から逃走した二人は、廊下の突き当りを右に曲がりました。その先には地下倉庫への専用エレベーターがあるので、それに乗るつもりかもしれませんね」

 研究所内のカメラを監視している劉が言った。

「どういうつもりだ」

 次に聞こえてきたジャンの声は怒りに満ちていた。

「彼らは非常に追い詰められた状態だ。攻撃すれば、必死に反撃してくるだろう。狭い場所で二人を相手にするのは危険すぎる。様子を見ながら追いかけて捕らえるんだ。武装部隊の隊員も向かわせる」
「だったら、そいつらに任せりゃいいだろ。俺が行かなくても十分じゃねえか」
「いや、彼らが間に合わない可能性もある。それに、今回はやはり、今までとは何か違う。藤原とともに犯人を追い、武装部隊を指揮しろ」

 ジャンがさらに反論しようとしたのが、息を吸う音でわかった。だが、彼が次の台詞を発することは敵わなかった。

「ジャン、従って」ゆかりが言った。「ここで、本当に犯人を逃がしてしまったらまずいわ」

 そのあとに続く沈黙が、ジャンが渋々ながらも了承したことを示していた。
 研究員たちの避難誘導をしていたレイが、クレイグの隣に戻ってくる。基本的に、現場での任務の際は、通信機を通した会話はチームの全員に聞こえるようになっている。その場にいなかったレイも状況は理解しているはずだ。

「犯人たちは思った通り、エレベーターに乗ろうとしてるみたいだな。廊下を二度、左に曲がった先に小さい階段があるから、それを降りれば倉庫の入り口の前に着ける」

 劉がゆかりとジャンの二人に伝える。
 クレイグは立体マップに目を落とした。SGAのメンバーが制服につけた発信機の光が、マップ上で彼らのいる位置を示している。
 クレイグは、ジャンとゆかりの光が移動し、エレベーターに向かうのを見届けた。


* * *


 本部の調査部のオフィスには数えきれないほどのディスプレイが並び、だだっ広い室内では、たくさんの人々がそれぞれ自分の仕事をこなしていた。
 その中でディスプレイを見つめている一人――新人の職員であるその若い男は、思わず自分の目を疑った。
 今年の春にSGAの一員となったばかりの彼は、先輩職員の仕事のアシストを行っていた。入職して三年に満たない者は、犯罪捜査部のチームに専属の担当として加わることなどはできない。そのため、普段は街のカメラの映像をひたすら監視したり、時折、街に出て様々な情報を集めたりなどといった退屈な業務を行うのが主だった。だが、先輩の職員が担当している事件に大きな動きがあり、一人では間に合わないときには今のように新人が仕事を手伝うことがある。
 しかしこうした場合、新人はたいてい、“最も異変が起こりそうにないところ”の監視などを任されるものだ。現に、今まで彼が何度か手伝った別の仕事の際は、彼が監視していた範囲では特に何も起こらずに終わった。
 ところが、今回は違った。たった今、自分が見ていたカメラの映像の一つが信じられない光景を映し出したのだった。
 彼の背後では、この事件の担当であり、十五分ほど前に彼に仕事の指示を出した劉が、複数のディスプレイに目を配りながら通信機のマイクに向かって何か言っていた。現場にいるチームのメンバーに、こちらでわかった情報を伝えているのだろう。

「り、劉さん!」

 新人職員の青年は振り返ると、この異常事態を彼に報告するべく呼びかけた。すっかり動転してしまっていて、情けなくうわずった声になってしまう。

「どうした?」

 それに対し、劉の方はいつもと変わらない声色だった。忙しく複数の仕事を処理する間で、青年の方に顔を向ける。

「あの、これ……」

 青年はディスプレイを指差した。劉は席を離れ、青年のすぐそばまで来ると少し身をかがめてディスプレイを覗きこむ。
 そこには、ついさっきまで立ち入り禁止を示す表示を掲げ、道路を封鎖していた警察車両の残骸が映っていた。
 彼は見たのだ。突然、トラックに乗ってやって来た何者かに攻撃を受け、警察車両が爆破される様子を。トラックはそのまま道路を通り抜け、研究所の方へと向かった。

「今、ここで爆発が……トラックが来たかと思ったら、人が窓からこう、顔を覗かせて、武器を発射したんです。それで、その、警察官達が……トラックは研究所の方に……」

 焦りのあまり、何度も詰まりながら言った。報告の仕方としては最悪だ。だが、劉はそれを指摘することなどはせず、すぐに自分の席に戻った。コンピューターを素早く操作して、ディスプレイの表示を切り替える。

「どんな形状のトラックだった?」

 劉は肩越しに青年を振り返ってたずねた。

「普通の、どこにでもあるようなトラックです。無人タイプのものではなくて、工場から荷物を出荷するときに使うような」
「乗ってた人っていうのは?」
「見た感じは普通の人だったと思います。トラックがすごいスピードで走ってたのであんまり見えなかったんですけど、白い服を着てて、たぶん、武装とかもしてませんでした。トラックの窓から身を乗り出して、大きな武器を肩にかついで……」

 あの、ロケットランチャーのような武器はなんだったんだ? あんな武器を、国内で警察やSGAに見つからずに所持することなど、普通ならできないはずだ。
 いったいどこの誰が、こんな大がかりなことができるのだろう。
 犯罪捜査部、とりわけ特別犯罪捜査課が扱う事件は機密性が高いため、たとえSGAの内部であっても、同じ事件を担当しているチームメンバー以外には、事件の詳細を話してはならない決まりになっている。だから、彼には事件の内容も、関わっている人物なども一切わからなかった。
 劉はもう青年の方を見ていなかった。彼は、鋭い目で数秒間じっとディスプレイを見ていたかと思うと、今度は振り返らずに言った。

「君はこのまま同じ場所の監視を続けててくれ」
「あ、はい、わかりました」

 青年は慌てて返事をしたが、不安と、いったい何があったのだろうと興味を引かれる気持ちで、劉の背中とかすかに見える横顔からすぐには目を離すことができなかった。
 緊張のうかがえる面持ちとなった劉は、再び通信機のマイクをオンに切り替えた。


* * *


「あいつが残りの犯罪者を相手にしてる間に、麻酔銃で狙いますか?」

 横から、レイが小声でたずねてきた。あいつとは、金髪の青年のことだ。彼が犯人を逃がすという予想外の行動をとったために、二方向から挟撃するという手が使えなくなってしまった。

「いや、無理やりドアを開けようとすると向こうに気づかれる。我々の方を先に攻撃してくるかもしれない。彼が立ち去ろうとするときを狙うのがいいだろう」

 クレイグは、通信機が映す映像から目を離さないままに答える。
 言い終えたとき、最後に残されたうちの一人が青年の前へと堂々と走り出た。予備の弾を装填したばかりの彼は、やけになったようにむちゃくちゃに銃を撃ちながら、叫び声をあげて部屋の中を走りはじめる。金髪の青年はそれをかわしながら、男をしとめようと追いかけた。
 すると、今度はそのすきに、もう一人が作業台の裏から駆けだした。仲間が無事に脱出に成功したのを見て、自分もそれに続こうと思ったようだ。盾がわりに隠れていた作業台から近い方の、裏口側のドアに向かってくる。

「ボス」レイが、判断をあおぐようにこちらに目を向けた。
「ああ」クレイグは視線を合わせてうなずく。「武装部隊に任せよう」

 彼らのすぐ後ろには、裏口から進んできた六名の武装隊員が到着していた。
 先に二人の犯人が倉庫へ逃げたときとは違い、一瞬、青年は逃げた男を追おうとする様子を見せた。だが、次々に弾を撃ってくる男の方を優先することにしたらしく、その場にとどまる。
 逃げてきた男がドアに辿りついたとき、クレイグはドアの隙間に手を差し入れ、本来は自動で開閉するドアを手の力で無理やり開いた。
 ドアに体当たりするくらいの勢いでロックを解除しようとしていたらしい男が、つんのめるようにして廊下へと飛び出してくる。そこを、武装部隊の隊員二人がすかさず取り押さえた。男の顔は血と汗で汚れている。
 得体の知れない金髪の青年に無残に殺されるより、SGAに捕まる方がまだマシだということだろう。男は抵抗するそぶりは見せなかった。

「外へ連れ出せ。拘束し、車で見張っていろ」
「はい」

 二人の武装隊員はうなずくと、男に手錠をかける。そして、男の体の両脇からそれぞれ腕をつかむと、廊下をもと来た方へと引っ張っていった。
 クレイグは、今回はこのまま退くべきだろうかと考えた。
 今、ここにいる武装隊員は四人だけだ。犯行グループの男が倉庫へ逃げたことを報告したとき、裏口から入ったチームのうちの二名をこちらへ回すよう指示を出したが、それでも少ない。
 たったこれだけの人数で青年に立ち向かうのは危険が大きかった。最初に逃げた二人の男もまだ捕らえられていない。
 もちろん最初の作戦通り、金髪の青年が立ち去ろうとする隙を見て攻撃するのがベストだが、すでに犯人を一人確保することができている。
 今までは、阿久津賢士に狙われた犯罪者は全員殺されてしまっていたので、犯人から直接話を聞けるだけでもかなりの収穫だと言えるだろう。今回の犯人たちの言動から、クレイグの脳裏をかすめた可能性について確かめることができる。
 だが、その判断を下す余裕はたちまちなくなってしまった。
 ドアは先ほどクレイグが開けたときから開きっぱなしになっていたので、クレイグたちはドアの陰から室内の様子を見ていた。
 ついに、最後まで抵抗を見せていた犯人の男の銃が弾切れを起こし、カチッという音が鳴った。彼はなおもわめきながら部屋の中を逃げ回ろうとしたが、武器もなしで青年から逃げ切れるわけがない。
 金髪の青年は男の背中に向けて銃を撃ち、その弾は男の心臓の辺りを貫く。
 そして、男の体が倒れきる前に、青年はさっさときびすを返してクレイグがいるドアの方へ向かってきた。犯人の一人がこちらへ逃げてきたときの様子から考えて、あの男を追おうとしているのかもしれない。

「まずい!」レイが叫ぶ。
「突入して、麻酔銃で撃て」

 クレイグは背後の武装部隊へ指示を出した。こうなってしまっては、もう戦うしか道は残されていない。
 武装隊員たちが研究室になだれ込み、いっせいに麻酔銃を撃ち始めた。
 金髪の青年は武装隊員が部屋に入ってきた瞬間、彼らの動きを読んだかのように後方に飛びすさり、作業台の裏へ身を隠した。
 研究室の中は再び銃撃戦の戦場となる。
 武装部隊は、金髪の青年にまるで歯が立たなかった犯行グループよりもさらに少ない人数だが、彼らは身を守るための頑丈な防護服を装着している。

「我々も武装部隊の援護をする」
「了解」

 クレイグもレイとともに、武装部隊に続いていよいよ研究室へ足を踏み入れようとしたが、そうする直前で通信機から呼びかけられた。

「ボス」

 劉の硬い声を聞いたとき、クレイグはすぐに嫌な予感がした。劉はどんなに緊迫した場面であっても、たいていは淡々と報告してくる。その彼が緊張を声ににじませているときというのは、よほどのことが起こったときだ。

「何があった」クレイグはたずねた。
「道路を封鎖中だった警察車両の一つが攻撃を受け、研究所から半径三十メートルの範囲に侵入されました」

 全身の血が凍りつくように感じた。

「何者だ?」
「まだわかりません。トラックで移動していて、顔は確認できません。今、研究所の前に――」

 そこで言葉が切れた。

「どうした」
「停車したトラックからロボットが二体出てきました。戦闘用のロボットです。研究所の外で待機していた武装隊員と撃ち合いになっています」

 ロボット――それを聞いて、クレイグは悟った。阿久津賢士だ。阿久津賢士の仲間以外にありえない。いや、実際には劉から通信を受けた瞬間に、すでに頭の片隅では感づいていたのかもしれない。
 クレイグは劉の報告を聞きながら、研究室の中にも意識を向けていた。まだ誰も負傷していないし、金髪の青年にも傷一つつけられていない。状況には今のところ変化はなかった。
 そのとき、爆発音のようなものが聞こえた。クレイグが立っている床や、周囲の壁がかすかに振動する。
「なんだ?」とレイが周囲を見回した。何が起こったのかクレイグが問う前に、劉が説明する。

「トラックの内部からロケット弾のようなものが放たれて、研究所の建物の壁が一部破壊されました。破壊された場所は倉庫の一階部分です」

 劉の声は聞きやすい落ち着いたペースはたもっていたが、さすがに焦りの色がうかがえた。倉庫にはゆかりとジャンがいる。

「トラックから、さらにロボットが四体と……人が一人降りてきました」

 劉が続ける。そのあとで少し間があった。トラックから降りてきた人物の顔を確認しているのだろう。

「和泉かおるです」

 次に劉が告げてきた名前を聞いた途端、ぞくりと、冷たいものが背筋を這いのぼるかのような感覚を覚えた。
 今の通信は当然、レイにも聞こえている。彼も衝撃を受けたらしく、クレイグを振り返った。片側しか見えていないその目は大きく見開かれている。
 藤原とベルティエが危険だ。
 クレイグは通信機ごしに、先ほどから応答のない二人に呼びかけた。

「藤原、ベルティエ、聞こえているか。気をつけろ。今――」

 しかし、それ以上続けることはできなかった。
 金髪の青年が作業台の陰から飛び出し、研究室に散らばって青年を囲むようにしていた武装隊員に向けて、連続で発砲した。その弾の一つがドアを突き抜けて廊下まで飛んできたため、クレイグは反射的に身をかがめた。
 青年の撃った弾があたり、二人の武装隊員が床に倒れこむ。一人は足に、もう一人は胴体にあたったようだ。上半身に弾を受けた隊員の生死はわからない。いくら防護服を身に着けているとはいえ、それを着ていれば絶対に銃弾を防げるという完璧なものではない。場所によってはもろい箇所も存在する。
 クレイグは金髪の青年に狙いを定め、麻酔銃を撃った。
 青年はそれをかわすと、近くに倒れていた犯行グループの男の胸から、先ほど自らが投げたナイフを抜いた。その勢いのまま大きくジャンプをするように移動し、青年の後ろに回ろうとしていた武装隊員の背後へと逆に回りこむ。
 彼は武装隊員の体をぐいと自分の方に引き寄せると、隊員の体を盾のようにした。そして、もがく隊員を押さえつけ、防具の肩の隙間からナイフを差し込んで深く肉をえぐる。叫び声が上がった。

「くそっ」レイがドアの脇から銃を構え、麻酔薬の入ったダートを二度撃った。

 二発目のダートが青年の頬をかすめる。武装隊員の肩からナイフを抜き、その体を突き飛ばしていた彼の顔が、かすかな衝撃に横を向いた。痛みのためか顔をしかめる様子は、彼がはじめて見せる人間らしい反応のような気がした。
 かすり傷を負わせた程度では、薬の効果を期待することなどとてもではないができない。
 しかし、わずかではあるが多少なりとも青年にダメージを与え、調子を乱すことはできた。同時に、彼の注意は自分たちだけに集中することとなったが。
 青年の冷たい空色の瞳がこちらに向けられ、まっすぐにレイとクレイグを射抜いた。レイがはっと息を呑んだのがわかった。
 青年の目の中では、まるで高温の青い炎がゆらめいているように見える。これまで感情など存在しないかのように見えた青年は、今、たしかに怒りをあらわにしていた。
 青年がクレイグたちに向かって銃を構え、クレイグはとっさに、飛びのくようにしてドアの前から離れた。銃弾は薄いドアや壁など、たやすく貫通する。
 レイも同じようにしていることを祈る間も無く、何発もの銃弾が壁を突き破って飛んでくる。すさまじい音が鼓膜を震わせ、砕かれた壁の破片が宙を舞う。
 クレイグの脳裏に、自分とレイはここで死ぬかもしれない、という思いがよぎった。
 五感はクリアに周囲の音や光景をひろい、一つ一つがはっきりと意識できる。すべてがゆっくりと起こっているようにさえ思えた。
 わけもわからないままに死を迎えると思ったのは間違いで、何か外の力によって殺されるときというのは、自分の身に起こったことを理解しながら死んでいくのかもしれない。
 ジャンとゆかりのことが気になるが、どちらにしろ、自分たちが死ねば彼らも確実に死ぬだろう。
 しかし、こちらを圧倒する攻撃は突然止んだ。

「無事ですか、ボス!」

 クレイグがレイの無事を確認しようとするより先に、彼に声をかけられた。
 体を起こして後ろを見ると、レイは床にうずくまるようにして顔だけを上げ、恐怖でこわばった表情でクレイグを見ていた。見たところ、怪我はしていないようだ。クレイグの方も、飛びのいて廊下に倒れたときに手をすりむいた程度だ。

「ああ」

 クレイグはうなずくと、ドアににじり寄り、研究室の中をおそるおそるうかがい見た。
 金髪の青年は、右足のホルスターに銃をしまうところだった。
 自分たちが死んだと思ったのだろうか? いや、おそらく阿久津賢士の仲間がそんな軽率な判断をすることはないだろう。
 彼はかなりの弾を撃っていたから、弾切れだろうか。予備の弾もなくなったのかもしれない。
 だが、その左手にはまだ、蛍光灯を鋭く反射して光るナイフがある。
 青年は顔を上げてレイとクレイグの姿を認めると、あっという間に入り口までやってきた。それに反応する余裕などまったく与えられない、驚くべき速さだ。
 廊下に出てきた青年は、クレイグが麻酔銃の照準を合わせる前に、くるりと体を回転させながら蹴りを繰り出した。高く上げられたその足が、構えた銃をクレイグの手から弾き飛ばす。
 青年はすぐにレイに向きなおり、きらめくナイフを振りかざした。
 刃が身を裂くすんでのところでレイはなんとか身をかわしたが、息をつく暇もなく、青年の次の攻撃が襲いかかる。それを避けようとし、レイはよろめいた。
 クレイグは迷いなく、腰のホルスターから弾の込められた拳銃を引き抜いた。足など、致命傷にならない箇所を狙って動きを止めるしかない。
 クレイグは青年の足元に向けて発砲した。しかし、相手の動きが速すぎてあたらない。レイにあたっては困るということもあり、狙いをつけにくかった。
 弾は青年のすぐそばの床を穿ち、青年はクレイグに目を向けた。その隙にレイは体勢を立てなおし、青年から距離をとる。
 それでも、青年はなおもレイの方を追いかけた。

「くそ!」

 レイは今日何度目かの悪態をつくと、さらに後退して青年から離れながら麻酔銃を撃った。焦っているためか、ダートは青年をかすりもしない。青年の方は怯む気配すらない。
 クレイグは二発続けて、青年の長い脚を目がけて発砲した。今度も惜しいところで青年にはあたらなかったが、こちらに注意を引きつけるためでもある。
 青年は再びクレイグの方に顔を向けると、射るような、怒りに燃えているようにさえ見える視線でクレイグを突き刺した。銃をしっかりと構えて再び発砲したが、それはかわされ、青年は飛ぶような速さでクレイグに近づいてきた。また、蹴りが飛んでくる。
 避けようとしたが、青年の速さには追いつけない。硬いブーツで胸を蹴り飛ばされ、衝撃に肺の中の空気が一気に吐き出された。息がつまる。
 体が後ろに倒れて二度目の衝撃が走り、握っていた銃が手からこぼれ落ちた。

「ボス!」レイが叫ぶ声が聞こえる。

 金髪の青年の蹴りがかなり加減したものだったということに気づいたのは、上体を起こしたときだった。彼が本気の力を出していたら確実に骨が折れているか、もっと悪ければそれどころではすまないだろうが、痛みはそこまでない。だが、なぜ手加減されたのかはわからない。
 クレイグは足元に転がっていた銃を拾った。
 青年は一瞬無防備になったクレイグにとどめをさすこともせず、またレイに近づこうとしていた。

「なんなんだよ!」うろたえたようにレイが言う。

 廊下は狭くて戦いにくい。レイは青年に背中を向けないようにしながら廊下を駆けだした。
 それを金髪の青年が追いかけていく。レイだけを執拗に追うその様子は今までの彼とは違い、ひどく感情的な行動に見えた。

「ストレイス!」

 思わず遠ざかっていくレイの名を呼ぶが、それでどうなるわけでもない。
 クレイグはレイと金髪の青年を追うべく立ち上がった。動揺や焦りは判断のミスを招く。ゆっくりと息を吸って、呼吸を整えた。

「ボス、大丈夫ですか?」

 通信機からそう問いかけてきたのは劉だった。クレイグが今いる廊下にはカメラがついていないので、本部にいる彼にも何が起こったのかわからないのだ。

「大丈夫だ。レイが敵に狙われている。研究所内のカメラで彼を探し、状況を確認してくれ」
「わかりました。今は一緒じゃないんですね?」
「ああ。倉庫の藤原とベルティエは――」
「今のところは全員無事ですが、このままだとまずいですね……」

 劉が声を曇らせるのを聞きながら、クレイグは落ちていた麻酔銃を拾うと廊下を走りはじめた。
 今すぐ倉庫に向かうべきだが、レイをほうっておくわけにはいかない。超人的な力を持つ人間を相手に一対一で勝てるとは思えないので、このままほうっておけば、おそらくレイは殺されるだろう。

「倉庫の詳しい状況を教えてほしい。カメラの映像を私の通信機に転送することはできるか?」
「はい、できます」
「それと、武装隊員の数が足りない。応援を要請してくれ」
「わかりました」

 クレイグは長い廊下を走る足を速める。今はまず、レイと金髪の青年を追わなければならない。そっと近づいて麻酔銃を使い、青年を捕らえるのが先だ。
 廊下の先に彼らの姿は見えなくなっていた。急いで、しかし、いつ曲がり角の向こうから金髪の青年が現れるかもしれないので、慎重に先へと進んだ。


* * *


 倉庫の天井近くで爆発が起き、ジャンは箱がぎっしりと積まれた棚の一つに隠れた。耳を聾さんばかりの轟音が広い倉庫に響きわたり、反響する。
 倉庫には同じ形をした棚が規則正しく並んでいて、どの棚にも荷物が載っていた。本来ならそれらの荷物を運搬するロボットがいるはずだが、研究所の職員の手によって、避難する前に停止されたようだ。
 たった今、ジャンは逃げ出した犯行グループの二人を追いかけて、地下一階にある倉庫まで来たところだった。少し送れて、ゆかりがそれに続く。研究所内を駆け抜けていると、途中で武装部隊が合流し、自分たちのあとについて走ってくるのがわかった。
 ジャンが倉庫に飛び込んだとき、犯行グループの男二人は、倉庫の反対側の端に停めてあるトラックを目指していた。どうやら、トラックで脱出しようなどと考えていたらしい。外へ出るためのスロープの先は扉が閉まっていたが、開ける手段を用意しているのかもしれない。
 そうはさせるか。絶対に自分が捕まえてやる。
 この期に及んで往生際の悪い彼らに追いつこうと、ジャンは走るスピードを上げた。全身をアドレナリンが駆けめぐるのを感じた。
 しかし、銃を構えたちょうどそのとき、道路を封鎖していた警察が攻撃されて一台のトラックがこちらに近づいているという知らせを聞いた。
 ついで、建物の外で銃声が続く。一瞬、そちらに意識がそれて足が止まった。見ると、犯人たちも同じ状態だった。
 ジャンははじめ、犯行グループの仲間が助けに来たのだと思った。すでにトラックの近くまで来ていた二人の男はまたすぐに走り出し、一人が運転席側に回り込もうとしている。
 なんとかしなくては。このまま逃がすわけにはいかない。ましてや、この自分が近くにいながら、あっさりと犯人を取り逃がすなど許されない。
 怒りの感情からすさまじいエネルギーが湧いてくるのを感じ、ジャンも走りながら再び銃を構えようとした。
 だが、その勢いは長く続かないうちにそがれることとなった。
 爆発とともに倉庫の壁の一部が弾け飛ぶように崩れ、そこから光がほとばしったかのように見えた。
 倉庫は地下から一階までを使った造りになっているので、地上から攻撃されたのだ。
 背後で武装部隊の隊員たちが叫ぶのが聞こえ、振り返る。ゆかりも彼らとともに、ジャンから少しさがったところにいた。

「隠れろ!」

 ジャンは声を張りあげると、自分も近くの棚の陰に隠れた。
 そこから様子をうかがうと、天井近くの壁には大きな穴が開き、周囲の建物の向こうに曇った空が見えていた。白い光が目を突き刺す。
 まぶしさに目を細めたとき、イヤホンから流れ込んできた報告に戦慄が走った。
 和泉かおるが現れた。
 背後の別の棚のそばにしゃがみこんでいるゆかりに目をやると、彼女は恐怖の表情で硬直していた。弟の名前を聞いたためだろう。
 和泉かおるはどこだ? ジャンは大きく開いた穴の向こうに目をこらそうとしたが、その姿は確認できない。
 通信機からクレイグが何か言うのが聞こえたが、その声はすぐに途切れる。
 壁に開いた穴から何かが飛んできたのを見て、ジャンは床に身を伏せた。一度目の攻撃をはるかに超えるすさまじい爆発音が倉庫全体に響きわたる。床から、衝撃による振動が伝わってきた。前方で、ぱっとオレンジの光が広がり、倉庫内が明るく照らしだされた。
 後ろを振り返り、ゆかりの無事を確認する。
 耳に装着したイヤホンからは今も様々な会話や声が聞こえていたが、内容も、それが誰の声であるのかすらも認識できなくなっていた。ひどい耳鳴りのせいだけではない。
 もう一度棚の陰から状況を確認すると、ついさっきまで通路の先にあったトラックが、そばにいた男たちも巻き込んで炎上していた。天井のスプリンクラーが作動して派手に水を撒き散らしているが、そんなものではとても消火できそうにない。
 トラックまではまだ距離があったが、息苦しくなるような熱が、ジャンのいるところまで伝わってくる。そのあまりの迫力に茫然としかけたとき、立ちのぼる炎と煙の向こうから声が聞こえてきた。

「おやおや、本当に逃げられると信じてたんですねえ。そんなわけないじゃないですか」

 大声というわけではなく、あざけるような調子ながらも穏やかですらあったが、その声は空気を震わせるような不気味な響きを帯びてジャンの耳に届いた。
 頭上の、倉庫を壁に沿ってぐるりと囲む柵のついた通路に、一人の男が立っていた。
 風にはためく白衣に、記憶にあるよりも伸びた髪。ウェーブのかかったくせの強い長髪を、無造作に一つにたばねている。片手にロケットランチャーのような武器を持った彼の後ろには、二足歩行のロボットが四体控えていた。見たことのないロボットだ。
 男は、片方の口の端をつり上げた、にやにやとした笑みを顔に貼りつけている。
 その表情や雰囲気は、写真で見た彼とはあまりにかけ離れていて、とても同一人物とは思えない。だが、顔立ちなどはたしかに、ゆかりの弟――和泉かおるに違いなかった。

「かおる……!」

 ゆかりが叫ぶような声をあげ、かおるの方に駆け寄ろうとした。ジャンは手を上げてそれをさえぎったが、ゆかりは自制心を働かせ、ジャンの手に届く前に自力で足を止めた。
 彼女を見ると、不安と焦燥に駆られた瞳でかおるを一心に見つめている。
 ゆかりは強くて聡明な女性だったが、かおるのこととなるとそれがたちまちもろく崩れ去ることをジャンは知っていた。
 阿久津賢士の仲間となった和泉かおるがこうして姿を見せたことは、これまでにはまだ一度しかなかった。だが、ゆかりはその一度目のときに、危うくかおるに殺されかけているのだ。
 かおるが、激しい火柱を上げ続けるトラックからジャンたちの方へ視線を移した。こちらを見下ろす顔は、鮮やかな炎の色に照らされている。暗い喜びにひたっているかのような笑顔のままだ。瞳も炎の光を受けて爛々と輝いてはいたが、その奥は底の見えない湖のようにうつろで冷ややかだった。
 ゆかりのことは自分が守る。
 ジャンは、かおるの視線からゆかりを隠すかのように、彼女の前に立ちはだかった。ぎろりと、下からかおるを睨みつける。
 ゆかりにとっては愛しい弟でも、ジャンには違う。ジャンにとってかおるは、ゆかりを苦しめる憎い存在でしかなかった。
 さすがに口にはしなかったが、ジャンは心の中では、阿久津賢士に洗脳された者たちは殺すべきだと思っていた。無傷で捕らえようとするから余計に難しくなる。
 たとえもともとは罪のない普通の人間だったとしても、今はもう悪人の仲間だ。それが洗脳によって起こったことだとしても、気の毒ではあるがどうしようもない。もし、彼らを捕らえることに成功したとても、もとに戻るかはわからないのだ。悪事を重ねる前に、せめてさっさと殺してやるのが本人のためでもあるだろう。
 そうしようとせず、他の者に提言もしないのは、ひとえにゆかりを悲しませることになるからだ。ゆかりの泣き顔を見るのは、全身が痛みに苛まれるかのように辛い。
 かおるはジャンに視線を定めると、ゆがめた口の端をますますつり上げた。

「そんなに怒らなくても、今からあなたたちとも遊んであげますよ。……たっぷりとね」

 彼は見当違いのことを言ったが、その馬鹿にするような口ぶりからして、わかっていて言っているような気がする。
 かおるは手に持っていた大きな武器を床に立てて置くと、白衣のポケットから薄いタブレット型端末を取り出した。いたずらを思いついた子供のような笑顔で操作する。

「クレイグさん! 和泉かおるが倉庫内に……! 犯行グループの男二人は殺されました! クレイグさん、応答お願いします!」
「なぜ返事がないんだ?」
「わからん。あっちでも何かあったのかもしれない」

 気がつくと、ジャンのすぐ隣では武装部隊の隊員たちがうろたえたように言い合っていた。
 こういう場合、本来ならクレイグに状況を報告するのは部下であるジャンやゆかりの役目だ。ジャンが報告を怠るのはいつものことだが、ゆかりも放心したようにかおるに釘づけになっていて、こちらの状況を知らせることを忘れている。弟に向かって走り出さないようにするだけで精一杯なのだろう。
 そのとき、頭上の通路からロボットたちが柵を乗りこえて飛び下りてきた。硬い足が地面に着地するときのガシャン、という重い音が、四回続けて鳴る。

「ベルティエさん、どうしますか?」

 武装隊員の一人がジャンにたずねてきた。

「クレイグさん! どうされました? クレイグさん!」

 別の隊員は、なおも返事のないクレイグに呼びかけている。それに答えたのはクレイグではなく、劉の声だった。

「ボスはさっきから応答がなくなった。カメラのついてない廊下にいるから、本部でも状況は確認できない。たぶん、あの金髪の男と戦ってるんだと思う」

 ジャンはその言葉にはっとした。まさか、二人とも金髪の青年にやられたのか……?
 だが、考えている暇はなかった。かおるの手元のタブレットによって命令を受けているらしいロボットは、どんどん近づいてくる。
 ジャンは麻酔銃をホルスターにしまい、代わりに拳銃を取り出した。
 先ほどジャンの判断をあおごうとした隊員は、まだジャンの方を見ていた。

「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。どうするって、戦うしかねえだろうが」

 そちらを見もせずに低い声で言うと、ジャンは手にした銃をしっかりと構えた。迫りくるロボットを見据え、一番手前にいる一体に照準を合わせる。

「は、はい」

 武装隊員たちもそれにならい、自分の銃を構えた。
 かおるは通路の上で、宙を見つめたまま一人で呟いていた。

「わかってますよ。約束は守ります」

 どこかむすっとした、不機嫌そうな表情になっている。
 独り言を言っているように見えるが、向こうもこちらと同じように通信機器で会話をしているのかもしれない。だが、洗脳を施された脳は明らかに普通の状態とは言えないので、本当にただの独り言の可能性もある。
 ジャンたちの方へ視線を戻したかおるは、またにやりとした笑みを浮かべて再びタブレットの上で指を動かした。
 ロボットの右腕がいっせいに上がる。こちらに向けられたその腕の先は、銃口のようになっていた。

「ゆかり!」

 ジャンが名を呼ぶと、途端に我に返ったようになった彼女も、銃を素早くロボットに向けた。
 ロボットたちが発砲を開始する。腕の先から放たれた弾は、ジャンの足元や肩をかすめるように飛んできた。わざと急所を避けようとしているかのような攻撃だ。
 訓練ではロボットを相手にしたこともあるが、実戦で戦った経験はまだなかった。戦闘用ロボットと言っても、一種類ではない。今、目の前にいるのは見たことのないタイプだ。向こうがどんな攻撃が可能なのかも、拳銃で対抗できるのかもわからない。
 関節の継ぎ目などのもろそうな箇所を狙うことにし、ジャンは銃を撃ち返した。
 ロボットは反応して避けようとしたが、弾は頭部と胴体をつなぐ首の部分をかすめた。関節を覆うケースの表面がえぐれて、ぱっと小さな火花が上がる。少しだけ頭部がぐらついたが、大したダメージは与えられなかったようだ。
 それでも、とにかく戦うしかない。いつだってそうだ。行く手に立ちふさがる敵には、たとえ勝ち目などなくとも向かっていくしかないのだ。
 あまり意味がある行為とは言えないが、ジャンは手近な棚の後ろに身を隠す。積まれた箱の間から銃の狙いをつけて引き金を引き、ロボットの右足のひざを破壊した。



>> To be continued.



今回は17,000文字を超える恐ろしい長さになってしまいました…
読んでくださった方、本当にありがとうございますm(*_ _)m

この05では同時進行する二つの場面を描かなくちゃいけなかったのですが、
それがなかなか難しく、途中で何度も心が折れそうになりました。ちゃんと書ききれてよかった!!

戦いのシーンが続いているので、「これ、読んでる人は退屈じゃないかな?」とか、
「わかりにくくないかな?」とか、ひそかにいろいろ不安だったりします。
でも、完結さえできれば後からいくらでも直せるので、今はがんばって進めていこうと思います!^^*

一回の更新分の長さはとりあえず今のままで進めていくということで、アンケートの方はいったん下げさせていただきました。
ご協力くださった方々、ありがとうございました!(*´▽`)

未来への追憶 第三話 - 04

* * *


 マーカス・クレイグは、犯罪捜査部の指令室で目の前のモニターを注視していた。室内には先ほどから警報が大音量で鳴り響き、赤いライトが明滅している。
 健二も交えたミーティングを開いてから一週間後のことだ。
 モニターには、現場に設置してあるカメラからの映像が流れていた。研究室のような場所で、六、七人の男たちが銃を乱射したり、白衣の人間に銃を向けて脅すようなそぶりを見せている。
 国内で殺人や強盗などの凶悪犯罪が起こると、その内容や規模、場所にかかわらず、すべてが犯罪捜査部に知らされる仕組みになっていた。その後、警察とSGAのどちらの、どこの支部が対応するのかなどが迅速に決められる。
 たった今起こっている銃を携帯したグループによる殺人は、SGAが扱うような特殊な事件というわけではないので、現場にはすでに警察が向かっていた。
 しかし、現在クレイグが担当しているのは通常の犯罪そのものではなく、その後に犯罪者を粛清しようとやってくる者たちを捕らえる任務だ。彼らが出てきてから向かうのでは遅すぎる。
 阿久津賢士が狙う犯罪者の特徴には、今のところほとんど一貫性は無い。だが、洗脳された者たちが現れる事件の状況には一つだけ共通点があった。それは、昼間に堂々と行われる派手な犯行だということだ。今は午後一時を少し過ぎたところだった。
 それに、犯人たちの動きがどこか不自然なのだ。彼らの目的がまったく読めない。
 殺人などという暴力的行為に及ぶ人間が果たして正常な思考をしているかは定かではないが、たいていは犯人にも何か目的があり、それを成し遂げると捕まる前にさっさと逃走しようとするものだ。
 彼らはすでに研究所の人間を二人ほど撃ち殺しているが、いまだに立ち去る気配は無かった。かといって、その場にいる全員を殺す気も、何かを奪うつもりも無いように見える。
 クレイグはチームのメンバーに通信をつないだ。彼らには警報が鳴った直後、少し様子を見るから指示を待つようにと伝えていた。

「クレイグだ。聞こえるか? 各自確認しているとは思うが、医療研究所を襲った犯人はまだ現場を離れる様子は無い。動きが妙だ。何かあるかもしれん。全員現場に向かい、建物の外で待機しろ」
「わかりました」

 レイとゆかりの声が答えた。ややあって、ジャンの「……わかった」という返事が聞こえてから、クレイグは通信を切った。

「ボス」それと入れ替わりで、左腕につけた通信機からは今度は劉の声が聞こえてきた。

「研究所を襲撃してるグループのデータです」

 クレイグが応答すると、劉は犯行グループのメンバーそれぞれの、登録されている個人情報のデータを送ってきた。クレイグはまだ指示を出していなかったが、彼はいつもやるべきことを心得ていた。
 この通信機は普段は主に時計の役割を果たしているが、簡単な情報を受信して閲覧したりすることもできる。
 通信機を操作してそれらの資料をホログラフィディスプレイで表示すると、クレイグは一人ひとりの情報に素早く目を通していった。ほとんどの者が無職で、逮捕歴がある者も数名いる。登録されている住所は様々だったが、恐らくはスラム街の出のならず者たちだろう。現代では、国内で起こる犯罪はスラム街の出身者か、不法滞在の外国人が起こすものが大半を占めていた。
 空中に浮かんだ画像を消すと、クレイグは自分も現場へと向かうべく指令室を後にした。


* * *


 その医療研究所は、拠点と本部をつなぐトンネルの第二ゲートからすぐのところにあった。ゲートは建物の車庫などを模して造られており、知らない者にはそれとわからないようになっている。
 拠点にいたジャン・ベルティエはゆかりとともに車で現場に駆けつけると、正面玄関が面した側の道路の、建物から少し離れた位置に車を停めた。
 街の中心部とは違って、この辺りの人通りはそれほど多くない。それでも、建物の周囲には騒ぎに気づいた通行人が集まり始めていて、現場での対応にあたっていた警察がそんな野次馬たちを下がらせている。
 車内からその様子を睨みつけていたジャンは、ふつふつと沸き立ってくる苛立ちを静めるよう努めなければならなかった。知らず、貧乏ゆすりを始めている。
 ジャンからすれば、なぜわざわざ警察と役割を分担するなどという面倒なことをするのか理解できなかった。こうして自分たちが現場に来ているのだから、担当の事件かどうかにかかわらず、SGAである自分たちが突入してさっさと犯人を逮捕してしまえばいいのだ。そうすれば、阿久津賢士による被害も抑えられるではないか。
 今まさに目の前で犯罪が起こっているというのに、阿久津賢士の仲間が姿を見せるかどうかわからないからといって、何もせずにいることは耐えがたかった。

「うざってえなぁ。あんな連中に任せず、俺らが行きゃあいいものを」

 我慢できなくなり、ジャンは口に出して言った。

「だめよ」

 横から、ゆかりが優しくさとす声が聞こえた。彼女の方に顔を向けると、ゆかりは真剣なまなざしでジャンをじっと見ていた。

「私たちの任務はあくまで、洗脳された人たちに接触することなんだから。彼らが現れるまで待たなくちゃ」

 ゆかりの言うとおりだ。それはジャンとてわかっていたが、ただ見ているだけというこの状況はもどかしく、どうにも気に入らない。
 間もなくレイも到着し、彼は裏口側に回って車を停めたようだ。

「ボス、現場に到着しました。俺は建物の裏口側で、ゆかりさんとジャンは正面で待機しています」

 レイが通信をつなぎ、クレイグに言うのがジャンにも聞こえた。通信機の音声は片耳に装着したイヤホンからの出力に切り替えてあった。

「わかった。私もあと数分で着く」すぐにクレイグの声が答える。「もし彼らが現れたら、まずは私に連絡しろ」

 そのとき、その人影が見えた。

「あいつだ!」

 ジャンは、研究所の隣の建物の屋上に立つ、その人物を指差しながら叫んだ。鮮やかな金髪に真紅の衣装。洗脳を施された阿久津賢士の仲間の一人だ。
 ゆかりも身を乗りだし、青年に目を留めたまま緊迫した声でマイクに伝えた。

「ボス、阿久津賢士の仲間が現れました。この間の強盗事件のときの青年です」
「またか。こっちでは、また確認できなかった……」

 本部の調査部のオフィスから通信をつないでいる劉が呟くのが聞こえた。
 街中に設置されているカメラの映像はSGAの本部に送信されていて、事件が起きると調査部の方でそれをチェックし、現場周辺を監視する。だが、阿久津賢士の仲間が現れるときはいつも、彼らの姿をギリギリまで確認できないようなのだ。
 どうやら彼らは、カメラの死角を正確に選んで移動し、姿を現す直前までは注意深くどこかに隠れているらしい。阿久津賢士はすべてのカメラの位置まで把握しているというのだろうか。
 ジャンが見ている間に、金髪の青年は隣の建物から研究所の屋上へとジャンプをして移った。いくら隣接する二つの建物の隙間が狭かったとはいえ、普通の人間には到底できないことだ。
 青年は、地上から何かを呼びかけてくる警官たちには目もくれず、彼らが見ている前で堂々と屋上のドアの鍵を銃で吹き飛ばし、研究所内へと侵入した。

「警察を退かせ、交代で研究所内に入れ。相手に姿を見られないよう慎重に進むんだ。隙があれば、陰から麻酔銃で狙え。わかっているとは思うが、絶対に正面から戦おうとはするな」

 クレイグがいつもの淡々とした声で指示を告げていたが、ジャンは最後まで聞かずに行動に移っていた。攻撃のタイミングを遅らせるということは、それだけチャンスを失うということだ。

「ゆかりはあとから来い」

 そう言い残し、銃を引っつかんで車外に飛び出す。

「ちょっと! ジャン、だめよ! ジャン!」

 背後で叫ぶゆかりの声がだんだん遠ざかっていく。だが、彼女も追ってくるのがわかった。

「くそ!」

 通信の向こうでレイが毒づいた。声の調子や息づかいからして、彼も車から降りて走り出しているらしいが、ジャンはそんなことには意識を向けることなく、一人で正面玄関へと突っ込んでいった。

「研究所のデータを送るよ」
「お願いします!」

 劉とレイが交わす声がイヤホンを通して、走るジャンの耳にも届く。
 現場が今回のような大きな建物の内部の場合、建物内を進むにはマップが必要だ。もちろん簡易なものはすでに確認していたが、実際に現場を動く際はもっと正確なものを使う。合わせて犯人や仲間の位置も確認できるので、通信機で表示し、それらの情報を見ながら移動することができる。
 ジャンの知ったことではないが、国の管理している建造物でない場合、調査部がそれを用意するには少々面倒な手順を踏まなくてはならないらしい。
 入り口付近にいる警察官を突き飛ばすほどの勢いで押しのけると、ジャンは奥へと進んだ。エントランスを抜けてエレベーターホールの近くまで来ると、壁に身を寄せて立ち止まり、周囲の状況を確認した。
 研究所にいた人々が警察に誘導され、出口へと向かっている。偵察用のロボットも何台かいたが、SGAが来たため、警察官とともに引き上げていく。
 ここには敵の姿は無かった。

「おい、おせえんだよ、早くしろ!」

 ジャンは通信機に向けて怒鳴った。もちろん劉に言ったつもりだったが、それに対してはなんの返事も無い。ジャンは軽く舌打ちをした。
 レイが通信機で自分の今いる場所を報告していたが、ジャンはいつも、仲間がいる位置をほとんど気にしていなかった。自分の邪魔にさえならなければ、それでいい。
 仲良しごっこをしているような連中と協力する気は無い。判断の遅いクレイグの指示などに従うよりも、自分一人で行動した方がはるかに上手くいく。ジャンは、今の自分が所属しているチームのすべてが気に入らなかった。
 唯一、ゆかりの存在を除いては。ジャンがSGAにいるのは彼女のためだ。
 間もなく届いたマップを表示して、犯行グループのいる研究室までの最短ルートを確認すると、ジャンは目の前の階段を駆け上がった。
 二階の踊り場を過ぎて最後の階段に差しかかったとき、上から物音がした。ジャンははっとして動きを止める。銃を構えた格好で、とっさに壁に張りついて身をかがめた。
 上の階から誰かが下りてくる。軽やかに階段を駆け下りる靴音。その数で、相手は一人のようだとわかる。声は発していなかった。
 あの、金髪の青年に違いない。緊張が高まり、額を汗が流れ落ちた。
 だが、そうだとすればおそらくこちらには来ないだろう。彼は、犯罪者に用があるのだ。これまでのことから考えると、下には下りずにそのまま三階の研究室を目指すはずだ。
 ジャンは、彼が通りすぎるのを待った。
 ところが、金髪の青年は四階から三階へと至る階段の途中で、突然ぴたりと足を止めた。ちょうど、二階の踊り場と三階との間にいるジャンと並ぶくらいの位置だ。急に、相手の気配が強烈に感じられる。
 まさか、自分の存在に気づかれたのか?
 さして厚さの無い壁をはさんで、わずか数十センチのところに彼はいた。
 どっと汗が滲み出る。すでに激しく脈打っていた心臓の鼓動がますます速くなり、体内に響くその音がうるさかった。
 しばらくその状態が続いた。音は何も聞こえない。青年はまるで、小さな物音を聞きつけて、じっとしたまま周りの様子をうかがう動物のようだ。相手の様子が見えているわけではないのに、なぜかそれがわかった。
 ジャンも息を殺し、全神経をそちらに集中させた。
 高い壁にさえぎられているので、金髪の青年のいる位置からは下を覗きこむようにしなければジャンのいる場所は見えない。わずかに顔を傾け、頭上に目をやっても何も見えなかった。単純に考えれば、向こうからも自分の姿は見えていないはずだ。だが、目で直接見て確認せずとも、ひそんでいる敵を見つける方法などいくらでもある。
 いったい、どうなっているのだろう。確かめようにも、ここで下手に動いて物音を立てるわけにはいかない。
 ジャンは、いつ青年が動いてもすぐに反応できるよう、銃を握る手に力を込めなおした。
 しかし、その緊張した時間は数秒しか続かなかったし、青年がこちらにやって来て撃ち合いになることも無かった。
 金髪の青年は残りの階段を下りきると、最初ジャンが予想した通り、三階の廊下の奥へ――犯人たちのいる研究室の方へと向かった。
 足音が離れていくと同時に、圧迫されるような気配からも解放されるのを感じた。
 息ができるようになり、ジャンはそこで初めて、自分が息を止めていたことに気づく。それでも、すぐには動けなかった。
 ようやく体を動かして青年が去った方向をうかがうと、廊下の角で、燕尾服に似た真紅の服のすそがひらりとひるがえったのが見えた。


* * *


 クレイグは、劉やレイたちからの通信に耳を傾けながら車を走らせていた。サイレンを鳴らしているため、道路を通行中の車はクレイグのために道を空け、信号で停まることもなく進む。
 先ほど阿久津賢士の仲間の一人が現場に現れたと聞き、さらにスピードを上げた。犯罪捜査部の武装部隊にも連絡したので、まもなくサポートに駆けつけてくれるだろう。必要に応じて、彼らには協力を要請することになっている。
 今、一番気がかりなのはジャンのことだ。
 クレイグも、常日頃からジャンの無鉄砲さと、彼が命令を無視することについては内心で辟易していた。彼がチームワークを乱すこともわかっている。
 だが、彼のパワフルな身体能力や勇気が捜査に非常に役立つことも事実だ。それに、ゆかりのこともある。もちろん、だからといって彼の態度に関して、なんの対応も指導もしないというわけにはいかないが。
 ジャンの長所をもっと上手く活かすことができれば、彼は仲間にとって欠かすことのできない重要な戦力となり得るかもしれない。しかしそうなるためには、ジャンが上司であるこの自分に信頼を置いていないことも、大きな障害の一つとなっていることをクレイグは理解していた。
 クレイグが現場に着いたときには、SGAの偵察ロボットが研究所の上空を旋回し始めていた。銃を手に車を降りると、建物の裏口へ急ぎながらそれを見上げた。
 遅い。このロボットを使えば、監視カメラの死角を補って全方向を見張ることができるが、敵の出現に間に合わないのではなんの意味も無い。
 しかし、実際はSGAの対応が遅すぎるというわけではなく、阿久津賢士の反応が早すぎるのだ。
 阿久津賢士は、あらかじめどこで犯罪が起こるのかを知っているのか? それとも――
 クレイグは、一瞬脳裏をよぎった考えを振り払った。今は考えるときではなく、行動するときだ。

「ボス、犯人たちのいる研究室があるフロアにはなんとか辿りつきましたけど、部屋の中では銃撃戦になってるようで、今はこれ以上は近づけません」

 通信機を通してレイが報告してきた。

「私も裏口に着いたところだ。中で合流しよう。それまでは無理に動くな」
「はい」

 一般的なカード認証式のドアは、すでに警察によって外から無理やりこじ開けられていた。クレイグは狭く簡素な入り口をしっかりと見据えた。
 常に五感をとぎすまして目の前のことに集中していなければ、たちまち訳もわからないままに死を迎えることとなる。超人的な能力を駆使して立ちはだかる者たちを前に、自分たちには成すすべが無いも同然なのだから。


* * *


 健二は、落ち着かなげに拠点の廊下を歩きまわっていた。
 いつものように、そろそろダイニングに下りて昼食をとろうと思っていたのだが、それどころではなくなってしまった。
 健二が自分の部屋にいると、突然、拠点中に響くような大きな音が鳴り始めたのだ。警報以外の何物でもない、すべてを凍りつかせるけたたましい音に、健二は座っていた椅子から飛び上がるほどの勢いでおどろいた。次いで、心臓が止まるかと思うような恐怖にとらわれる。
 何かあったのだろうか? まさか、この拠点が敵に見つかったのか? 今、まさに襲撃を受けているのでは?
 一瞬で様々な憶測が脳内を駆け巡った。
 何事か確かめようと思い急いで部屋の外に飛び出すと、ちょうどゆかりが健二の部屋の前を駆けていくところだった。

「どうしたんですか?」

 健二が声をかけると、彼女は足を止めて振り返った。その緊迫した表情から、すぐにひどく重大なことが起こったのだということが察せられた。

「事件が起こったのよ」彼女は言った。「健二くんはここにいて。私とジャンは現場に行くかもしれないけど、アマンダはここに残るから。もし何かあれば、ボスがアマンダを通して健二くんに連絡するはずだから。それ以外は何があっても絶対外に出たりしないでね」

 彼女は早口で――最後の言葉を強く言い聞かせるように言うのは忘れなかったが――言うと、ほとんど言い終わるか終わらないかのうちにまた踵を返して走り出した。

「わかりました」

 健二は彼女の背中に向かって答えた。一言、そう返事をするのがやっとだった。
 そしてついさっき、クレイグからの指示があったらしく、ゆかりは同じく拠点にいたジャンとともに慌しく出て行ったのだ。
 この拠点で二週間ほど過ごした中で、こんなことは初めてだった。
 今の自分にできることは何も無いのだが、健二はどうすればいいのかわからなかった。まさか、こんなときに普段どおりのんきに食事をするわけにもいかず、部屋でじっとしている気にもなれない。どうしても不安が襲ってくる。
 そういうわけで、健二は少しでも動揺を抑えられないかと廊下を歩いていたのだった。廊下の窓から確認できる天気は相変わらずの曇りだ。雨でないだけマシだろうか。ゆかりたちが向かった現場がどんな場所かはわからないが、雨だときっと動きにくいだろう。

「あれ? 健二、どうしたの?」

 窓の方に目を向けていると、前方から声をかけられた。向かいから歩いてきたアマンダだ。
 いつの間にかエレベーターの近くまで来ていたらしい。アマンダの方はエレベーターを降りたところのようだった。

「さっき、警報が鳴っただろ?」
「うん。それでゆかりたち、出てったよね」

 健二が一階でゆかりたちを見送ったときにはアマンダはいなかったが、彼女も知っていたようだ。

「ああ。今までこういうことって無かったから、ちょっとびっくりしちゃって」

 健二が正直に言うと、アマンダはうんうんとうなずいた。

「わかるよ! 警報の音ってドキッとするよね」

 どう考えても、自分の反応は“ドキッとする”程度ではなかったのだが、健二はいささか恥ずかしさを覚えたので、それについては口に出さなかった。

「俺が来てからしばらくは無かったみたいだけど、あの警報は事件が起きたときに鳴るんだよな?」
「ううん。本部みたいに全部の事件で警報が鳴ってたら大変なことになっちゃうから、ここの拠点の警報はクレイグさんが鳴らしてるの。今のクレイグさんのチームが出ていかなくちゃいけないかもしれない事件のときだけだよ」
「そうだったのか。てっきり、スマホ……じゃなかった、携帯の通信機みたいなもので連絡するのかと思ってたよ」
「もちろん、通信でも連絡は来るよ。でも、ここって普通の家みたいでしょ? ここに住んでるからさ。だから、仕事中じゃないときもいっつも緊張してることなんてできないし、シャワー浴びてるときとか気づかないことがあるかもしれないじゃん。だけどそれじゃ困るから、全員がちゃんと気づくように警報を鳴らんすんだよ。自分のチームが担当する事件が起きたら、もちろん夜中でも対応しなきゃだめなんだよ」
「夜中に鳴ったこともあるのかい?」

 寝ているときにあれを体験していたら、さっきの二倍は度肝を抜くことになっただろう。

「うん。まだ一回だけだけど。でも、そのときは阿久津賢士の仲間は来なかったみたい」
「そうか。洗脳された人たちがやってくるかどうかは、事前にわからないんだもんな……」

 それでは、洗脳された者たちに接触したり阿久津賢士に近づくのは、なかなか大変だろうと改めて思った。

「ねえ、それより健二、お昼ご飯食べに行こうよ。私、お腹すいてきちゃった。健二のこと呼びに行こうと思ってたんだよ」

 そう言うと、アマンダは健二の腕に自分の腕を絡ませてぐいぐいと引っ張った。
 いくら無邪気で子供っぽいとはいえ、アマンダは若い女性だ。そんな風に激しいスキンシップをされると心拍数が上がってしまう。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! ご飯を食べるって……こんな、みんなが犯罪に立ち向かってるときに、俺たちだけそんなことしてていいのかい?」
「もー! 健二ってば!」

 アマンダは健二の腕から手を離すと、今度は両手を腰にあててふくれっ面になった。ころころと変わる表情が本当の子供のようで愛らしい。

「そんなに心配することないよ!」

 彼女は、心の底からそう信じているのが感じられる、自身に満ちた声で言った。

「だって、レイもクレイグさんも、みんな強いんだよ? だから大丈夫! 健二のことはちゃんと守ってくれるよ」

 健二が不安を感じているのは決して自分の身を案じているからだけではなく、レイたちに守ってもらいたいと思っているわけでもない。そう訂正しようとしたが、アマンダは健二が口を開く前に次の台詞を口にしていた。

「健二は、私のお姉ちゃんのことも聞いたんだよね?」
「ああ」

 その話をアマンダとするのは初めてだった。

「私、お姉ちゃんのことも絶対助けられるって信じてるんだ。きっと、みんなが洗脳されちゃった人たちのことを助けてくれるし、私もお姉ちゃんを助けるためにがんばるから。だから心配しなくても、健二も私も、敵の仲間になっちゃってる人たちも、チームのみんなも大丈夫だよ」

 そう語るアマンダからは、まるで日光のような力強い陽のエネルギーがあふれ出るかのようだ。だが、その言葉のいくらかは、どこか自分に言い聞かせているようにも聞こえる。

「それに、ちゃんと食べられるときに食べてエネルギーを充電しとかないと、ここが襲われて逃げなきゃいけないとか、いざっていうときに力が出ないかもしれないじゃん」
「たしかに、それはそうかもしれないけど……」

 健二が思わず同意すると、アマンダは屈託のない明るい笑顔を浮かべた。

「でしょ? だから、ね? 行こうよ、ほら!」
「あ、ああ……そうだな。わかったよ」

 きっと、彼女の言うとおりにするのが一番いいのだろう。不安のかたまりが今も胸にわだかまっているのを感じながらも、健二はかすかに笑みを浮かべると、再びアマンダに腕を引かれて歩きだした。



>> To be continued.



読んでくださった方、前回の記事等に拍手を下さった方、ありがとうございます!

今回から視点の切り替えを行ったので、困惑させてしまっていたら申し訳ありません。
「未来への追憶」が三人称形式をとっているのは、この視点の切り替えを行うためでもあったりします。
そうでないと書けないシーン、そのようにして書きたいシーンがたくさんあるので。

それにしても、今回のような事件(?)のシーンは難しいですね!!
至らない点が多々あるかとは思いますが、これからもがんばっていきますので、
少しでも楽しんでいただけていましたら幸いです♪^^*

未来への追憶 第三話 - 03

 健二は二日前から新たな生活空間となった個室に戻り、ベッドに腰かけていた。当然ながら、そうしていても沈んだ気持ちは一向に晴れない。
 室内は間接照明の落ち着いた暖色の光にほの明るく照らし出されている。だが、その柔らかな灯りも健二の心までは温もりを届けてくれなかった。
 監禁されていた留置部屋とは違ってこちらの部屋には窓もあり、そこからも光が差し込んでくる。窓の外には、まるで今の気持ちを反映したかのような曇り空が広がっていた。
 阿久津賢士の行いに関しては刑務所でいくらか聞いていたが、そのときにも予想以上の犯罪にショックを隠しきれなかった。
 しかし、今回のミーティングで聞いた内容は健二にそれ以上の衝撃をもたらした。
 これからどんな顔をしてゆかりやアマンダと顔を合わせればいいのか。ミーティングが終わった後はゆかりに話しかけられる前に、逃げるように部屋に帰ってきてしまった。
 クレイグの説明は詳しく、多くの疑問が解決したが、それでもまだわからないことだらけで混乱もひどかった。
 今後、SGAはいったいどのように阿久津賢士に対抗していくつもりなのだろう。そして、そのとき自分には何ができるのだろうか。今の状況では、道はすべてふさがっているようにしか思えない。
 何も思い浮かばずに絶望感が募ってきたとき、部屋にチャイムの音が響きわたった。普通の住宅の形をしているものの、実際は組織の拠点という、複数の他人と共有する場所だからだろう。この部屋にはドアチャイムがついている。
 健二は立ち上がってドアに向かうと、壁のパネルにタッチしてドアを開いた。ここ数日で何度か操作したおかげで、もうこの時代のドアの開閉方法についてはばっちりだ。
 開いたドアの向こうに立っていたのはゆかりだった。その顔を見た途端、ミーティングの最中に感じた罪悪感のようなものが、再び一気に込み上げてくる。

「ゆかりさん、すみません! その、俺、全然知らなくて……弟さんのこと……」

 健二が勢いのままにまくし立てると、ゆかりはおかしそうに笑いながら、「待って待って」と健二を制した。そして、明るい笑みを浮かべてドアの外を示す。

「よかったら、少し部屋の外で話さない?」

 その申し出を断る理由は無かった。
 二人は廊下に出ると、ゆったりとした足取りで廊下を進んだ。

「どうして健二くんが謝るの?」

 しばらく歩いたところで、ゆかりが先ほどの健二の言葉への問いを返してきた。

「俺は、犯罪者である阿久津賢士の親族なんです。正直、実感はないですけど……でも、いろんな検査とかの結果が正しいなら、その事実に変わりはないです。さっきクレイグさんから聞いたような、あれだけのことをやった人間と関わりがあるのに、平然と知らない顔なんてしてられないですよ」
「阿久津賢士のやったことは、健二くんには関係がないことよ」
「でも……」
「だって、阿久津賢士と健二くんは、たとえ血の繋がりはあったとしても、まったく別の人間だもの」

 ゆかりははっきりと言い切った。少し声のトーンを落として続ける。

「確かに、悪人の家族も同様に悪だと見なして責める人たちもいるし、そういう場合もあるかもしれない。でも、私は一概にそうは思わないの」彼女は隣を歩く健二に顔を向けた。

「私は、健二くん自身の人間性とか、そういうものを信じるわ」

 そう言った後で、「もちろん、健二くんが本当に阿久津賢士の仲間じゃないのなら、だけどね」と付け足していたずらっぽく笑う。
 その笑みと、健二を信じているからこその冗談に気持ちが少し楽になり、健二も「そうですね」と笑った。
 廊下の片側には、中庭に面した大きな窓が続いている。そこからも、重く垂れ込めた雲が空を覆っているのが見えた。
 ゆかりは不意に歩く速度を落とすと、やがて足を止めて窓の外に目をやった。健二もそれにならう。

「なんだか雨が降りそうね。朝の天気予報では晴れになってたんだけど」

 呟いたゆかりの声は、空と同じく曇っていた。
 彼女が最後に放った言葉は健二にとっては小さな驚きで、彼は思わずゆかりを見た。

「この時代の天気予報も外れるんですか?」
「ええ」
「そうなんですね。2015年の天気予報もしょっちゅう外れてましたよ」
「ふふふ。ほとんどは当たるんだけど、今でもたまに外れることはあるわよ。……でも、珍しいわね」

 それからしばらく、二人は無言で立ったまま空を眺めていた。
 このところ、先の強盗事件の影響でかみんな忙しかったようで、食事もアマンダと二人きりでとることが多かった。ゆかりとこうしてゆっくり話すのも久しぶりのように感じる。
 いつの間にか、ゆかりは空から中庭に視線を移していた。庭の一角には植木鉢やプランターがいくつか置かれているようで、彼女はそれを見ているようだ。

「そうだ。健二くん、ちょっと付き合ってもらえる?」

 ふと思いついたように、ゆかりが言った。

「え?」
「大したことじゃないんだけど……すぐ終わるから、ちょっとだけいいかしら?」
「あ、はい」

 何のことかは検討もつかなかったが、健二にはしなくてはならない用事や仕事があるわけでもないので、特に迷いもせずに了承する。
 これから彼女がしようとしていることをするには、どうやら下の階に降りる必要があるようだ。ゆかりはエレベーターを使わず階段に向かい、健二もそれに従った。健二の新しい部屋がある三階から一階まで降り、中庭に出る。
 この拠点の中庭に来るのは、ちょうどこの場所で目を覚ましたとき以来だった。あのときは爽やかで明るい印象だった庭も、今日は天気が悪いためか、どこか鬱々とした雰囲気が漂っている。
 ゆかりはプランターや植木鉢がまとめて置かれている場所にまっすぐに向かっていくと、その傍らにしゃがみこんだ。

「私、趣味でガーデニングをやってるの」

 色とりどりの花が植えられた植木鉢を一つ一つ持ち上げて土の状態などをチェックしながら、ゆかりが言った。
 それを聞いて、そう言えば初めて会ったとき、彼女は手に植木鉢を持っていたなと思い出した。レイも持っていた気がするが、何か手伝っていたのだろうか。

「ホログラムの植物なんかもあるんだけどね、私は自然の、本物の花や木の方が好きなのよ」

 健二は、心優しい彼女のイメージにぴったりの趣味だなと思った。
 花の種類には詳しくないので名前まではわからないが、一番手前にあった、少し大きめの鉢に植えられた白い花が健二の目に留まった。たくさんの小さな花が、植木鉢の上で顔を並べている。中央に線の入った六枚の花弁がついていて、真上から見ると星のように見えた。
 可愛らしい形だな、と思いながら健二がぼんやりとその花を眺めていると、ゆかりが呟くように言った。

「……かおるもそうだった」

 彼女に目を戻すと、その顔つきは穏やかで口元にはかすかに笑みさえ浮かんでいたが、伏せられた目元には悲しみが表れている。

「私の弟のかおるはね、すごく優しい子だったの」

 ガーベラだろうか――足元の鉢に咲いた鮮やかなオレンジ色の花にそっと触れながら、ゆかりは静かに語り始めた。

「子供の頃から自然や動物が大好きで、人にも親切だった。環境保全のボランティアにもよく参加してたみたいだし……自然を愛する人たちの社会運動の団体にも入ってた。普段は真面目でおとなしい子だったけど、そういうときだけすごく行動力が発揮されるみたいで」

 ゆかりはそこでクスリと笑ったが、その笑みは一瞬で消えた。下を向いて話し続ける横顔は、たちまち暗く陰る。

「その団体では、“本来の、ありのままの自然なもの”に価値を置く人たちが、自然界や人間の体に大きく手を加えるようなことに強く反対してたの。遺伝子操作やクローンもそうだし……人間の体を機械に変えてしまう、阿久津賢士の事業計画にも反対してた。阿久津賢士がどんな理由で洗脳する人間を選んだのかはわからないけど……もしかしたら、かおるはその団体に所属していることを阿久津賢士に知られて、目をつけられたのかもしれない」

 ゆかりの悲痛な声には、後悔の念もにじんでいた。姉として、弟を守ることができなかったことで、自分を責める気持ちがあるのだろう。
 ミーティングの時とは違ってプライベートな話題だけに、健二は質問を投げかけるのもはばかられて黙っていた。
 そのとき、健二の手の甲にぽつんと雫が落ちてきた。空を見上げると、続いて頬が濡れる。どうやら雨が降ってきたようだ。空はますます暗くなり、地上の陰も濃くなっていく。
 健二は地面に視線を落とした。
 ゆかりは、阿久津賢士の悪行について健二が責任を感じる必要はないと言ってくれたが、そう簡単にすんなりと気持ちを切り替えることはできない。しかし、いつまでもくよくよと落ち込んでいては、それこそ何の意味も成さないだろう。

「俺――」

 決意を固めると、健二は口を開いた。

「ゆかりさんの弟を、みんなの家族や友達を助けるために協力したいです。今は、まだ阿久津賢士がどんな人間なのかもわかってません。協力するためにいったい何をしたらいいのか、良い案も思いついてません。でも、血のつながりがある俺だからこそ、役に立てることもあるかもしれない。過去に戻るのはみんなを助けた後で構いません。俺にできることがあれば何でもします」

 言った後で顔を上げると、ゆかりは少し驚いたような顔で健二を見つめていた。だが、その表情はすぐにほころぶ。

「ありがとう……健二くん。そうよね。健二くんがタイムスリップして私たちの前に現れたのには何か意味があるのかもしれないし、私たちだけではどうしようもなかったような、健二くんがいるからこその策も見つかるかもしれない。一緒に、阿久津賢士に捕まってしまった人たちを助けましょう」

 ふわりと笑ったゆかりは美しかった。これまでは常に健二が励まされる側だったが、今の彼女の笑顔はいつもの健二を気遣った笑みとは違い、彼女自身の喜びに満ちている。突然未来にやって来て、訳もわからず混乱している健二に安らぎを与えてくれたゆかりに、今度は健二が優しさを返したい。彼女のために、必ず和泉かおるを助け出したいと思った。
 そうしている間にも、雨脚は徐々に強まっていた。
 いつもの朗らかな顔に戻ったゆかりは、立ち上がると手のひらで雨をすくうようにしながら、雨粒を落とす空を仰ぎ見た。

「結構降ってきたわね! さっさと終わらせて中に入りましょうか」
「そうする方がよさそうですね。俺は何をしたらいいですか?」
「ここにある花を全部雨の当たらないところに移動させるから、手伝ってもらえる?」

 ゆかりは周囲の芝生に置かれている植木鉢やプランターを指で指し示した。

「わかりました。じゃあ、俺はこっちの大きな鉢を持ちますね」

 二人は植木鉢を抱え、急ぎ足で室内へ向かった。


 それから数日は不安定な天気が続き、雨が降ることも多かった。
 ゆかりたちの忙しさはまだ続いているようだ。とは言え、もともとはそれが普通で、健二がタイムスリップして来た日からしばらくの間は、健二の監視のために拠点で過ごす時間を長くとっていただけの可能性もあるが。
 この日も、朝から勢いの弱い雨が絶えずしとしとと降り続いていた。
 昼食はすでに食べ終えた後だった。部屋ですることも特に無かったので、健二は気分転換にリビングダイニングに行ってみることにした。三階ならわざわざエレベーターを使う必要も無いと思って階段を降りていると、二階の踊り場に差しかかった辺りで階下から男女の話し声が聞こえてきた。
 本部に出勤したレイやゆかりが帰ってきたのかもしれないが、どうもいつもと雰囲気が違う。
 誰か来ているのだろうか? この拠点に、健二の存在を知られてはまずい相手が来ることがあるのかどうか、何も聞いていなかった。部屋の外に出るなとも言われていない。
 健二は迷いながらも、下の様子をうかがいながら階段を降りていった。念のため、そろそろと足音をしのばせる。
 一階に着いたが、階段の周囲には人の気配は無い。リビングダイニングの方へ向かうと、そちらからかすかに声がしていた。
 リビングにはドアがついていないので、健二は恐る恐る入り口から顔だけを覗かせてみた。
 部屋にいる二人の姿を見ると、すぐにそれが知っている人間だとわかる。ほっとして緊張がとけた。

「でね、試験がいよいよ来月だからがんばって勉強しなくちゃいけないのに、ついついテレビ見たりしてサボっちゃうんだ」

 アマンダが劉に語りかけている。

「特に外国語が上手くいかなくて、機械相手に一人でやっててもなかなかはかどらないし、やる気も出ないし困っちゃうよ」

 アマンダは盛大に溜め息をついた。

「なんの言語を選んだんだ?」
「フランス語だよ」
「フランス語かぁ。じゃあ教えられないなぁ。周りにフランス語が得意な人とか、教えてもらえそうな人はいないのか?」
「うーん。前にゆかりが、ジャンはフランスの出身だから、ジャンはフランス語を話せるって言ってたけど……」

 アマンダは、彼女からするとかなり年上であると思われる劉に対しても年の近い友達に接するような態度だ。劉もそれを気にする様子は無い。彼女はまだSGAに所属していないからかもしれないが、どちらにしろ、健二がこれまでに出会ったSGAのメンバーは皆、本当に仲が良さそうだった。もっとも、ジャンだけは例外のようだが。
 健二が部屋に入ると、劉とアマンダはすぐに彼に気がついた。

「あ! 健二が来た!」

 まるで子犬か何かが来たかのようにぱっと顔を輝かせて言うアマンダに、健二は苦笑する。

「こんにちは」
「そうだ、ちょうどよかった。僕、君に用があったんだよ」

 健二が挨拶しながら近づいていくと、劉が言った。

「え、俺ですか?」

 劉はうなずく。

「君が、タイムスリップする直前に事故に遭ったって言ってただろ? その事故のことで――立ってしゃべるのも変だし、あっちに座らないか?」

 彼はソファを指差し、三人はそちらに移動することにした。
 広いリビングには、三人が並んでもゆったり座れるくらいの大きなソファが二つ、コーヒーテーブルを挟んで対面する形で置かれている。
 健二が座った場所からは、全面窓の向こうで雨を落とす灰色の空が見える。細かい雨に光が反射して、白くもやがかかっているかのようだ。
 ソファから離れた場所では今日もロボットが掃除をしていた。

「ここで目を覚ます前の最後の記憶が、事故に遭ったことなんだよな。トラックにひかれたんだろ?」

 健二の向かいに腰を下ろすと、劉は話し始めた。

「はい」

 タイムスリップが現実に起こったことだという前提で話をするのにも、それほど違和感は感じなくなってきた。自分の理性が受け入れられる範囲をあまりにも超えた出来事だからだろうか、感覚が麻痺してしまったかのようだ。
 よく考えると、いくら機械技術や洗脳の研究など様々な面で発展している未来であろうと、それはSGAの面々も同じだろうと思った。

「あの時は君が何者なのかさっぱりわかってなかったから、君が言うことについては嘘をついてないかどうかとか、そういうことだけを調べてたんだ。まあ、事故のことは最初からあんまり信じてなかったけど」
「え、なんでですか?」
「車が人をひくなんて、わざとやらない限りはそうそう起こることじゃないからな」

 なるほど。健二はすぐに納得した。この時代の車は、2015年の車よりも優れた機能を持っているということを忘れていた。

「つまりあの日と、あの日から遡って、念のため一年前くらいまでの記録を調べたんだ。もちろん、そんな事故は無かったから調査はそこで止めた。でも、この間アマンダから並行宇宙の話を聞いて、ちょっと気になって」
「そうそう! 健二がいた世界は今のこの世界と繋がってるのかどうかっていう、あの頭が痛くなりそうなやつだよ」

 劉の横に座ったアマンダが言った。

「だから他の仕事の合間に、今度は2015年辺りにそういう事故が無かったかを、もっと詳しく調べてみたんだけど……」劉が続ける。
「はい」健二は思わず身を乗り出した。

「やっぱり、こっちでは何も見つからなかった。というか、そこまで昔の事故のデータなんてほとんど出てこなかったんだ」
「そうですか……」

 その答えに健二は落胆した。いや、この感情は落胆ではない。体の底から湧きあがってくるこれは、静かな恐怖だ。ぞくりと背筋が震える。
 やはり、トラックに撥ねられたときにもともといた世界の阿久津健二は死んで、別の世界に飛ばされたということなのだろうか? もう二度と、元の生活に戻ることはできないのだろうか。

「何せ130年以上も前の事故だからな」劉は続けた。

「そんなに大きな事故じゃなかったなら、記録が残ってないんだろうな。もし、軽い怪我ですんだなら尚更だと思う」
「でも、トラックにはねられたんですよ? それで大した怪我じゃないなんてことがあり得ますかね……」
「それはわからないけど、そういう奇跡的なことだってあるかもしれないだろ?」

 健二の心は不安で占められていて、とても明るい方向に考える余裕は持てなかったが、劉は軽い調子で言ってのけた。
 本当にそうだとしたら、どれだけいいだろう。もし、トラックにひかれたときに命は助かったのだとしても、ここが元いた世界と同じ時間の流れの中にある世界だとは限らないのだが。

「ねえねえ」二人の話を聞きながら何事かを考えている様子だったアマンダが口を開いた。

「健二のことをよく知ってる人――例えば親戚とかなら、健二が事故に遭ったかどうかとか、事故に遭ったのならその後どうなったか知ってるかもしれないよね?」
「うん、当然何か聞いてるだろう」

 だが、残念ながら肝心のその親戚がこの時代にはいない――と言いかけて、健二はすぐに気がついた。唯一、この時代で生きている近しい親族が一人いるではないか。

「じゃあさ、阿久津賢士なら……」

 アマンダは言葉を濁したが、健二には彼女が言いたいことがわかった。劉も理解したようで、彼は再びうなずいた。

「阿久津賢士に聞けば、何かわかるかもしれない」

 しばし、室内に沈黙が下りた。雨が窓ガラスや草木を打つかすかな音が聞こえる。阿久津コーポレーションの掃除ロボットが食器を洗浄機にセットする、カタン、という音が響いた。
 三人はそれぞれ考えをめぐらせていた。
 確かに、阿久津賢士に直接聞くことが何よりも確実だろう。事故のことだけでなく、何もかも。
 阿久津賢士には――健二のひ孫だというその男には、一度じかに会うことを健二は望んでいた。いろいろ話さなくてはならないことがある。問題は、その方法があるかどうかだ。

「まあ、なんとかなるだろ」

 劉が言った。その、今の話とは不釣り合いとも思えるような深刻さを感じさせない声に、健二は思考の渦からふっと解放された。

「いずれ、確かめられるときが来るかもしれない。収穫は無かったけど、今後何かの参考にはなるかもしれないから、一応君に教えとこうと思ったんだ」
「ありがとうございます」

 今、この場ではこれ以上そのことについて考えてもどうすることもできないので、健二は話題を変えることにした。ちょうど、先ほど気になったことをたずねてみる。

「そう言えば、この拠点に俺のことを知らない人が来ることってあるんですか?」
「無用心すぎるだろ、そんなの。今は阿久津賢士の事件を担当してるチームのメンバーしか来ないさ」

 では、この家の中なら自由に歩き回っても安全だということだ。少なくとも今のところは。

「チームのメンバーって、この拠点で生活してる人たちなんですよね?」
「うん。ゆかりとレイとジャンと、チームのボスのクレイグさん、それから劉さんの五人だよ。今度の試験に合格したら私も入れてもらえるんだ!」

 アマンダが言った。彼らがクレイグのことをボスと呼ぶのはてっきり上司という意味からかと思っていたが、“チームのボス”という意味合いの方が強いようだ。

「でも、劉さんはここで生活してるわけじゃないんでしたっけ」

 クレイグの話を思い出しながら、健二は劉に聞いた。

「僕とボスは違うよ。ボスは本部での仕事も多いからほとんどあっちにいるみたいだし、僕は調査部で、少し立場が違うから」

 そう言う彼は、今日も調査部の共通の服装らしい黒のスーツを身に着けている。彼は、「日向とも面識は無かったしな」とつけ足した。

「あの、俺……まだ捜査部と調査部の違いがよくわかってないんですけど、犯罪捜査部っていうのは警察のように、事件を犯した犯人を捕まえるために捜査をする部署なんですよね?」

「そうだよ」アマンダが答えた。「SGAの犯罪捜査部だけの権限とかもあって、大きな事件とか今回みたいにちょっと特殊な事件とか、一般の人には秘密で捜査を進めなきゃいけないような事件を担当するんだ」

「で、調査部は名前の通り、人とか建物とか事件現場とか、政府や捜査部からのそのときの依頼の内容によって、いろんなものを調べるのが主な仕事って言えばだいたいわかるか?」劉が言った。

「なるほど……少しイメージはつきます」
「基本的には捜査部とは別に行動するんだけど、事件によっては今の僕みたいに捜査チームに加わって、その事件の担当として一緒に仕事をすることもある。調査部以外の部署は、SGAが管理してる情報の一部しか見ることができないからな」

 この間のミーティングのときに、レイがそのようなことを言っていたなと思い返しながら、健二は相づちを打った。

「その代わり、調査部は捜査部みたいに強引なことはできなくて、あくまでこっそりと調査を進めなくちゃいけないし、犯罪者を逮捕したりすることもできないんだ」

 劉が話し終えたところで、健二はわざと恨みがましい表情を作ってみせた。

「あと、銃も許可が無いと使えないんですよね」
「あ、バレたか」

 劉がおどけて言う。健二が苦笑しつつ、「とっくにバレてますよ」と言ったところで、背後から声が聞こえた。

「あれ? みんな集まってんの?」

 振り返ると、入り口にはレイが立っていた。

「あ、レイ!」アマンダが声を上げた。

「さっき劉さんが来て、三人でいろいろ話してたんだ。パラレルワールドのこととか」
「へぇ。パラレルワールドって確かアレだな。前にゆかりさんが言ってたやつだよな」

 レイはアマンダが言うのを聞きながら部屋に歩み入る。彼は健二の方に歩いてくると、健二に一枚のカードのようなものを差し出した。

「ほらよ」
「なんだい? これ」

 健二はカードを受け取り、たずねる。しかし、間近でカードを見ると同時に思い出した。それはレイが持っていたのと同じ、グレーの個人認証カードだった。

「個人認証カード。健二の分も必要だって言ってただろ? 健二の個人情報の登録をするときに、一緒にボスに作ってもらったんだ。また本部に行くようなことがあれば、次からは普通にこのカードを受付で見せて、読み取り機に通してもらえばいい」

 レイたちとともにSGAの本部に行ったとき、確かアマンダがそのようにしてゲートを通過していた。あれはただカードを見せているだけなのかと思っていたが、機械か何かに読み取らせていたようだ。

「なんかの理由を作って、自由に出入りできる人のリストにも追加してもらえてるはずだからな。これで面倒な手順を踏まなくてすむぜ」
「でも、俺の個人情報を登録しても大丈夫なのか? 生年月日とかは変えてるんだろうけど、名前とかで怪しまれるなんてことは……」
「もちろん、全部偽の情報に決まってんだろ」

 レイは事も無げに言った。
 国家機関の偽装行為はこのようにして平然と行われるのか。国民のDNAの情報までもを管理できるほどの力を持ったSGAだからこそ、こんなことができるのだ。健二は、SGAが彼の味方で本当に良かったと思った。

「なんて名前で登録したんだ?」

 健二とレイの会話に耳を傾けていた劉が聞いた。

「えっと、なんだっけな……」レイは上着のポケットを探って携帯端末を取り出すと、いくつかの操作をしてから画面を確認した。

「ああ、そうそう。安達健一にしたみたいっすよ」
「安達健一?」

 健二はその名前を自分でも口に出してみた。

「なんか……阿久津健二と響きが少し似てないか?」

 少しどころか苗字も名前も最初の文字が同じだし、名前なんてたったの一文字違いだ。

「ああ。それはボスがわざとそうしたみたいだぜ。まあ、外で健二に呼びかけることなんて無いだろうけどさ、もし間違ってチームのメンバー以外の前でほんとの名前で呼んじまっても、似た名前にしとけばまだ、単に言い間違えたってことで逃れられるかもしれないってな」
「なるほどー!」

 アマンダが心底感動したというような調子で言う。

「僕、それやりそうだな。普通に健二って呼びそうだ。苗字は……安達だっけ? 本部に戻ったらもう一回確認しとこう」

 劉が言い、レイはその言葉で何かに思い至ったようで、ふと真顔になって劉に顔を向けた。

「あれ? そう言えば劉さん、今って仕事中じゃないんすか? なんでここにいるんすか」
「この近くの現場の調査で外に出てたから、ついでに遊びにきたんだ」
「怒られますよ」

 レイはそう言ったものの、真剣に非難したりするつもりはまったく無いようだ。おもしろがっているような笑みを浮かべている。

「でも、そろそろ帰らないとさすがにまずいかな」

 そう言うと劉は立ち上がり、健二に向かって軽く手を上げた。

「じゃあ、またな」
「あ、はい」

 健二がまともに何か言う間も無く、彼は部屋を出ていく。

「じゃあね!」アマンダが声をかけた。

「おもしろい人だな、劉さん」
「あれで仕事はちゃんとできてんだから、すごいよな」

 最後に、振り返ってアマンダと手を振り合う劉の姿を見送ってから、レイが笑いながら言った。

「レイは今日はもう仕事終わりなの?」アマンダがレイにたずねる。

「いや、もっかい本部に行かなきゃいけねぇんだ。でも、今日は久々に早く終われそうだぜ」
「そうなんだ! じゃあさ、戻ってきたら久しぶりにゲームで遊ぼうよ」
「おう、いいぜ」

 アマンダは健二にキラキラと輝く笑顔を向けた。

「健二も一緒にやろうよ。きっと健二の知ってるゲームとは全然違うと思うよ」
「へえ、おもしろそうだな。じゃあ、参加させてもらおうかな」

 健二は特別ゲームが好きというわけではなく、社会人になってからは久しくする機会も無かったのだが、未来のゲームには大いに興味がある。

「私もレイが仕事終わるまで勉強がんばろうっと!」

 アマンダが気合を入れた声を出すのを聞きながら、健二は自分の顔に自然と微笑みが広がるの感じた。
 2015年にはもちろん戻りたいし、そのことを考えると強い不安も感じる。しかし、今はこの拠点での彼らとの暮らしが健二の新しい生活となりつつあった。
 もしかすると、永遠に帰れない可能性だってあるのだ。そしたら、この先ずっとここで、この2148年で生きていくことになる。ここが健二の新しい世界になるということだ。
 今の不安定な状況の中で、SGAの面々と過ごす和やかな時間は何よりの癒しとなっていた。彼らとの日々を、健二は純粋に楽しんでいた。
 だが、その平穏はすぐにまた破られることとなる。



>> To be continued.



前回の更新からだいぶ時間が空いてしまいましたが、
待っていてくださった方がいらっしゃいましたら本当にありがとうございます!
読んでくださってとてもうれしいですm(*_ _)m

小説やその他の記事への拍手もありがとうございます!^^*
何かありましたら、一言頂けたりしますと大変励みになります!(もちろん強制ではありません)

未来への追憶 第三話 - 02

「弟?」

 搾り出すように告げられたその言葉に、健二は今度こそ大きな声を上げていた。体を衝撃が走り抜ける。
 ゆかりはそれには答えず、再び顔を伏せた。辛そうな横顔に胸が痛む。
 それまでは、相変わらずゆかりの隣で不機嫌そうに下を向いていたジャンが、初めて顔を上げてゆかりを見た。その視線は他の者に向けられるときとは違い、やはりどこか優しげだ。彼女のことを心配しているのだろう。
 健二は困惑しつつ、クレイグに視線を移した。クレイグはゆっくりとうなずく。

「和泉かおるは、藤原の血の繋がった家族――実の弟だ」

 重ねて言われ、健二はもう一度和泉かおるの写真を見た。そう思って見てみると、彼の柔らかい目元は少しゆかりに似ているような気もする。
 愛する者が敵として立ちはだかるなど、とても言葉では言い表せない気持ちだろう。捕らわれて洗脳され、戦わされる家族の身の危険を想像したときの不安は、耐えがたい大きさのはずだ。アマンダもゆかりも、一刻も早く助け出したい思いでいっぱいに違いない。
 彼女たちはそんなものを抱えながら、健二に笑いかけていたのか。彼女らの大切な人間をそんな目に遭わせた張本人である、阿久津賢士の祖先である健二に。

「そんな……」

 健二は頭を強く殴られたかのように茫然としていた。深くうなだれる。部屋の照明を反射するテーブルに、自らの暗い影が落ちた。
 クレイグはそんな健二をじっと見つめていたが、少し間をおいたあと、やがて静かな声で続きを話し始めた。

「日向や和泉など、SGAに所属する人間やその関係者が狙われたのが偶然なのかどうかはわからない」

 今、会議室には重苦しい空気が立ち込めていた。静まり返った部屋にクレイグの声だけが響く。

「だが、それが、私と劉を除く捜査チームのメンバーがここで生活している理由だ。そして、アマンダ・オルコットを我々のもとで保護している理由でもある。この建物は極秘の拠点としての役割と同時に、隠れ家としての役割も持っている」

 健二は気力を振り絞り、重い頭をゆっくりと持ち上げた。

「私たちやSGAに関する情報が、この日向から漏れたんだ」再度、クレイグは日向虎太郎の写真を指し示すと、そこでわずかに眉をしかめた。「おそらく、洗脳されたあとで喋らされたんだろう」

 そして、彼は丈の長い制服のポケットから、紙のように薄い携帯機器を取り出すと健二に見せた。

「これは、私たちが仕事で使用し、持ち歩いている専用の携帯端末だ。このようにボードがついているのは、反対側から情報を見られるのを防ぐためだ」光沢のある黒の、スマートフォンなら背面部分にあたる面を指でコツコツと叩く。

「我々の身分証や阿久津賢士のデータなど、何度か君にも見せたと思う」
「はい」健二はなんとかうなずいた。
「だが、それらのデータはこの中に入っているわけではない。これはあくまで情報にアクセスし、閲覧を可能にするためだけの機器にすぎない」

 つまり、インターネットなどを通じて、どこか別の場所に保管されている情報をその都度呼び出して見ているということだろうか?

「万が一、機器を紛失したり敵に奪われたりした際に、外部の者に情報を盗まれることへの対策だ。本部のデータベースにアクセスするためには指紋と網膜の認証を行わなければならない。日向が襲われたとき、彼の生態認証の登録はすぐに無効にした……しかし、そのような策も洗脳などという手段を用いられては意味がない」

 クレイグの語尾には、ため息のような疲れた吐息が混じっていた。
 犯罪捜査部に所属していたということは、日向虎太郎はクレイグにとっては部下にあたる人間だったということだ。肉親とは比べ物にならないかもしれないが、それでもその心境は察するに余りある。上司としての責任も感じているかもしれない。

「ただ、被害者の家族全員をここで保護するわけにはいかない。だから、SGAの人間以外には一時的に海外に移住してもらったり、警察やSGAが警護をする形で対処している。アマンダはまだSGAの職員ではないが、彼女はSGAに入ることを希望していて、現在は試験のために勉強をしている最中なんだ」
「アマンダがSGAに……」

 天真爛漫で、年齢の割りに幼さも感じさせるアマンダと、犯罪に関わるような職業であるSGAのイメージとはなかなか結びつかない。

「研修や訓練などでSGAの本部に行くことも多いから、彼女だけは例外として、この拠点で生活させている」

 クレイグは何も言わなかったが、アマンダがSGAに入ることを希望した理由には、やはり強制的に悪に加担させられている姉の存在が関係しているのかもしれない、と健二は思った。

「最後に、君が見たこの男だが」クレイグはスクリーンを見ながら機器を操作すると、四枚目の写真――他と一枚だけ種類の違う、金髪の青年の写真――を示した。

「この男だけ個人情報の登録がなかった。顔を変えている可能性もあるが……東京や近隣の県の行方不明者の届出にも、この男の背格好など、顔以外の特徴に一致するものはない。現在調査中ではあるが、不法滞在の外国人ではないかと思っている」

 そのクレイグの言葉を最後に、会議室には一時沈黙がおとずれた。
 健二は静けさの中で、たった今知った新たな事実にうちのめされていた。自分が2148年にいることにも、阿久津賢士という人間と血の繋がりがあるということにも、まだ実感が湧かない。それなのに、ゆかりたちに対して漠然とした申し訳なさを感じる。落ち着かなく、奇妙な感じだった。
 しばらくして、レイがぽつりともらすように呟いた。

「この、俺の……右目」

 湖面に投げ込まれた小石が波紋を広げるかのごとく、そっと静寂が破られた。
 レイの方に目をやると、彼は黒い眼帯で覆われた自らの右目に触れていた。そのまま健二の方に顔を向ける。

「失明してんだ」

 レイは手を下ろし、そこでいったん口を閉じたが、健二は何も言わずに続きの言葉を待った。
 出会った直後こそ、レイは俳優か何かで撮影のための特殊な衣装を見につけているのではと思っていたが、彼らやSGAのことを知ってからは、彼のそれがファッションではないのだろうということはわかっていた。

「病気とかじゃなくてさ、怪我なんだよ。まあ、傷跡は結構グロいから見せらんねぇんだけどな」

 そう言って笑う。この場にも話の内容にも不釣り合いな笑みで、自嘲するような調子でもあった。無理をして作った不自然な笑いだ。

「そうだったのか……」

 健二は何と声をかけるべきかと思ったが、レイは笑みを消すと、構わず話し続けた。

「虎太郎とシンディーが連れて行かれたとき、やられたんだ。俺は一緒にいたのに、助けてやれなかった……あいつらは俺の親友だったんだ」

 そう言うと、レイはまた少し笑った。今度は寂しげな笑みだ。
 だから彼はさっき、怒りを押し殺しているような顔で日向虎太郎とシンディー・オルコットの写真を見つめていたのか。
 刑務所で阿久津賢士の行いについて話していたときも、職業上、常日頃から理不尽な犯罪には何度も接しているはずなのに、その割りには感情的な反応をしているのが気にかかっていた。その理由が今、わかった。

「阿久津賢士に連れて行かれてしまった人たちを、今すぐ救い出す方法はないんですか?」堪らなくなり、健二はクレイグに言った。「彼らが普段どこにいるのかがわかっているのなら、隙をついて気絶させたりして捕まえるとか、そういうことはできないんですか?」

 しかし、その問いに答えたのはクレイグではなかった。

「んなもんがあるんだったらとっくにやってんだよ」

 きつい声が飛んでくる。会議中、まだ一言も発していなかったジャンだ。彼は苛立ちもあらわに健二を睨みつけている。

「なんもわかってねぇくせに勝手なこと抜かしてんじゃねぇ。だいたい、てめぇのひ孫とやらのせいでこんなことになってんだろうが」

 ジャンは“てめぇのひ孫”の部分をわざとらしく強調して発音した。ジャンの無礼で攻撃的な態度も三度目ともなればいくらか慣れたが、今の彼の言葉は健二に打撃を与えた。DNA鑑定などの結果が確かならば、それはまぎれもない真実だったからだ。

「ベルティエ」

 クレイグがたしなめるように声をかけたが、ジャンは黙らなかった。

「それとも、全部演技か? 最初っから信用なんかしてねぇが、てめぇが過去からタイムスリップしてきたなんつー馬鹿げた話はやっぱりてめぇの作り話で、今のショックを受けてるみてぇなそぶりも――」
「ベルティエ、黙っていろ」

 今度は先ほどよりも大きく、厳しい声でクレイグがさえぎった。表情はいつもと変わらない冷静さを保っていたが、瞳には強い怒りが宿っている。

「話の邪魔だ」

 ジャンはようやく口をつぐんだが、次はクレイグに鋭い視線を向けた。二人はしばし睨みあう形となり、それまではどんよりと沈んでいた部屋の空気が、今は緊張で満たされている。
 クレイグは毅然としていたが、ジャンは今にも爆発しそうな怒りを必死で抑えているようだ。ギリ、と歯を噛みしめると、悔しげにクレイグから顔をそらす。
 なだめるように、ゆかりが優しくジャンの腕に触れたのが見えた。

「すまないな」クレイグは健二に向き直ると言った。

「いえ」と健二は首を横に振ったが、消え入りそうな情けない声になってしまう。

「当然だが、被害者に危害を加えることはできない。犯罪を犯していたとしても、本人の意思ではないのだからな。だが、あれだけの身体能力を備えた人間を無傷で捕らえることは口で言うほど簡単ではないんだ」
「そうですよね……」

 監視カメラが捉えた金髪の青年の銃撃戦の様子から、そのことは健二も深く実感していた。しかも、追ってまで振り切るほどだというのだ。

「洗脳された者たちは、阿久津賢士とともに彼の研究所にいるようだ。阿久津コーポレーションの本社は別にあるが、阿久津賢士は常に、住居を兼ねたその研究所にいるらしい。そこで、自分で開発したロボットを使用しながら、ほぼ一人で仕事を行っている。研究所には社員さえも入れず、数名の部下しか立ち入りを許可されていないようなのだが、数名の部下とは阿久津賢士が洗脳して仲間に引き入れた者たちのことだろう」

 クレイグは、「なぜこんなことになったのか……」とため息をついた。

「かなり前から少しずつ計画していたのだろうな。当然、阿久津賢士に気づかれずに研究所に入ることはできないから、隙をつくことは今の段階では不可能だろう」
「では、阿久津賢士の方を先に捕まえることは? そうすれば、洗脳した人たちを元に戻させたりすることもできますよね?」

 皆の視線が健二に注目しているのを感じながら、健二はたずねた。特にジャンの視線が痛い。

「さっきも言ったように、阿久津賢士は自分の研究所から一歩も出てこない。もちろん、こちらからのコンタクトにも応じない。こちらから研究所に出向いていけば、洗脳されている者たちが阿久津賢士を守ろうとするだろう」
「もっと強制的に、出頭命令を出したりとか、そういうので逮捕することはできないんですか? その、SGAや警察の権限とかで」

 思えば、阿久津賢士の仕業だとわかっているにもかかわらず、今も彼が野放しになっているというのはおかしな話だ。被害者も何人もいて、今も事件は続いているというのに。十分な証拠が無いのだろうか。

「ニュースとかでも報道してるんですよね?」
「いや、ニュースでは報道していない」
「どうしてですか!?」健二はあまりの驚きに大声を上げていた。

 クレイグは少し考えたあとで口を開いた。

「この話をすぐに君に理解してもらえるかはわからないが、これは複雑な問題なんだ」一呼吸おき、先を続ける。「阿久津コーポレーションは非常に影響力が大きい。日々の生活にも深く関わっていて、今や日本にとって無くてはならない存在なんだ」
「日本でも有数の大企業なんですよね」

 健二は未来にやってきた日、初めて阿久津賢士について聞かされたときのことを思い起こしながらうなずいた。

「もし、阿久津賢士の悪事が公になれば日本中で混乱が起こる。それも、彼の仲間には超人的な能力を有した人間までいるのだから、大変な騒ぎになるだろう。何よりもまず、それを避けたい」

 それはもっともな理由だった。洗脳された人間の存在が明らかになれば、日本どころか世界中で話題になりそうだ。
 だが、その次にクレイグが語った内容は到底賛同しかねるものだった。

「それに、今は市場のトップを独走している阿久津コーポレーションも、事件が報道されて評判が落ちれば、途端に外国の企業に追い抜かれるだろう。そうなれば日本の経済にも大きな被害が出る」
「そんな! 確かにそれはそうかもしれませんけど……実際に何人も被害者がいて、これからもっとたくさんの人に危険が及ぶかもしれないんですよね? 人の命より大切なものなんて無いでしょう!」

 ジャンの言う通り、詳しい事情も知らないのに口を挟みすぎだとは思いつつ、言わずにはいられなかった。

「私も同意見だが、政府の方針だ。無視することはできない」

 クレイグは健二の態度には嫌な顔一つせずに言い切った。本当に、彼の表情や物言いからは、彼自身の感情というものを読み取ることが難しい。
 健二とて、国にとっては経済も重要なものだということは十二分にわかっていたが、一個人の感覚ではすんなりと納得できるものではなかった。

「とにかく、阿久津コーポレーションが無くなっては困るんだ。社員によれば、製品を作るための一番重要な資料や情報などは阿久津賢士一人が管理しているようだ。阿久津コーポレーションの製品を必要としているたくさんの人々のためにも、それらを失いたくはない。さらに、阿久津コーポレーション自体が無くなれば、阿久津賢士の犯罪とは無関係の、大勢の人間が職を失うことにもなる」

 八方塞がりと思われる状況に、健二は頭痛がしてきた。

「下手に我々が動けば、捕らえられている者たちに危害を加えられる可能性もあるからな。彼らは人質でもある」
「向こうも、そういったことからSGAや警察が動きにくくなるということをわかってやっているんでしょうか?」
「ああ。おそらく」クレイグはうなずいた。「だから、できるだけ一般人には知られないままに、阿久津賢士だけを静かに逮捕したいと思っているが……今はそのための作戦を立てながら、期を待っているところだ。そこに、君が現れたというわけだ」
「……阿久津賢士の目的は何なんですか?」

 健二は以前にレイにもたずねた質問を繰り返した。

「はっきりしたことはまだわからない」

 そう言うと、クレイグは再びタブレットPCのような機械を操作し、スクリーンに表示されたままになっていた金髪の青年の写真を拡大させた。

「君は、この男の格好について違和感を感じなかったか?」
「はい。彼はなんでそんな服を……?」

 あまりにも不可解なことが多すぎて、すっかり聞きそびれていた。彼の中世風のいでたちは、133年後の未来だというこの時代とはまったく似つかわしくない。

「阿久津賢士は君が見た強盗事件のように、洗脳した者たちを使って犯罪者を殺させている。あくまで推測にすぎないが、この男の格好は人々の注意を引きつけるためではないかと思う。個性的な服装と強さでカリスマ的な印象を与え、ヒーローのように見せて人々に崇拝させるためだ」

 ヒーロー。健二はその言葉を頭の中で反芻した。
 しかし、犯罪者を殺しているだけならば、表面的な部分だけを見るとまるで本当に正義のヒーローのようではないか。一瞬、健二はそう思ったが、その考えはすぐに打ち消された。

「阿久津賢士は犯罪者を殺す一方で、自分の邪魔になる人間も殺している」
「邪魔になる人間、ですか……?」
「ああ。阿久津賢士の事業計画に反対する者たちだ。阿久津賢士は病気や怪我の治療法として、人体に多くの機械を埋め込んだりする方法を推奨し、それを広めようとしている。他には、より人間に近いアンドロイドの開発なども提案しているが、それらに反対している人間は大勢いる。そういう人間も二人、犯罪者のついでのように殺されているんだ」

 健二には、阿久津賢士が計画しているという事業内容を具体的に思い描くことはできなかったが、反対する人間がいるからには何か問題があるのだろう。

「犯罪者を殺し、ヒーローを気取る。ヒーローが倒すのは悪だ。彼らの行いが国民に知れ渡って浸透すれば、次は、“そのヒーローが殺す者は誰であろうと悪に違いない”、という思考パターンに陥らせることができる。洗脳した者に派手な格好をさせていることも、犯罪者を殺していることも、それが狙いではないかと考えている。そうすれば、堂々と邪魔者を消すことができるようになるからな」

 クレイグは淡々と話を続けた。

「当然、国民は彼ら――洗脳された者たちの姿を見ただけでは、阿久津コーポレーションとの繋がりを想像しない。阿久津賢士との繋がりは感じさせずに、阿久津賢士の思想を反映したヒーローを応援させる、という状況を作り上げることができる。そのうち、彼らの姿に刺激されて憧れ、自分も仲間になりたいなどと思う者も出てくるかもしれない」

 健二は話を聞きながら、それは十分にあり得ることだ、と思った。自分たちの活動を世に知らしめ、仲間を増やすためにそのような作戦を使う組織の話などは、健二がもといた2015年でも耳にしたことがある。特に、若く未熟な者ほどそういったものの影響を受けやすいだろう。

「阿久津賢士の目的を知ってもなお、そのときには盲目的にヒーロー像に魅入られていて、阿久津賢士に加担しようとする可能性もある。もともと阿久津賢士と同じような考えの者もいるだろう。だから、報道の規制を行うことはそういった理由からも必要なことなんだ」
「でも、あの場にはたくさんの人がいました。いくらニュースなどで報道していなくても、人伝いに噂が広まっていくんじゃないですか? ましてや、インターネットとかもあるならなおさらな気がするんですけど……」

 健二がそう言うと、今度は長い沈黙があった。レイとゆかりは上司の考えをさぐるかのように、クレイグを凝視している。健二が不思議に思って声をかけようとしたとき、クレイグは硬さを増した声で言った。

「これはSGAの機密事項の一つなんだ」

 彼の緊張が表れているのだろうか。機械のように冷たい声だ。

「君が我々以外の者と話すことは今のところ無いとは思うが、これから私が言うことも、君や阿久津賢士に関することと同様に、絶対に外部の人間には漏らさないでほしい」
「わかりました」健二も気を引き締め直す。

「SGAにはいくつかの部署が存在するが、その中に情報部というものがある。SGAの具体的な仕事内容は一般にはあまり公開されていないが、この部署は例えば、インターネット上の投稿などを削除したり改変したりして、情報を操作をするための部署だ」
「では、阿久津賢士に洗脳された人たちの目撃情報も……」
「そうだ。この情報部が削除したり、閲覧を規制したりしている。もっとも、直接人から人へと口頭で伝えられることなどについてはどうしようもないが」

 SGAがその程度の権利を持っていたとしても、今さら驚くにはあたらなかった。何せ、地下に専用のトンネルを有しているほどの機関なのだ。情報操作を行っていることを正直に告げられるというのは、健二が特殊な立場の人間だからとはいえ妙な感じではあったが。

「阿久津賢士の目的の一つは――」クレイグは語気を強め、はっきりとした声で言った。「事業を阻止しようとする人間をすべて殺害し、賛同者を増やし、自分の思い通りにプロジェクトを進めることだろう」そう締めくくる。

「その先に何を求めているのかはわからないが……今、言えることはそれだけだ」

 クレイグは最後にそう付け足し、この日のミーティングは終了となった。
 健二が会議室から出るとき、扉を出るタイミングがジャンと重なってしまった。彼は健二を押しのけるようにして先に扉を抜け、健二はわずかによろめいた。そのとき見えたジャンの左手の薬指には、ゆかりの指にはまっていたのと同じシルバーのリングが光っていた。



>> To be continued.



読んでくださってありがとうございます!
拍手等も、いつもありがとうございますm(*_ _)m

読者数の参考にしたいので、小説を読んでくださった方は↓の拍手ボタンを押していただけますと大変嬉しいです^^*


Pagination