未来への追憶 第二話 - 02

 それから数日間は、SGAのメンバーが留置部屋と呼ぶこの部屋で過ごす日々が続いた。食事はゆかりが運んでくることが多かったが、時々レイモンド・ストレイス――レイという愛称で呼ばれていた男がやって来ることもあった。
 レイはトレイを抱えて部屋に入ってくると部屋の中をぐるりと見回し、「いつ来てもほんっと息苦しいよなぁ、この部屋」と言って顔をしかめた。ついで、健二に向き直るとすまなそうに「悪ぃな」と言った。その表情がしおらしい大型犬のようでおかしかったが、相手は真面目に罪悪感を感じているようなので、健二はなんとか笑いを堪えた。
 一日目の昼、ゆかりは昼食と一緒に数着の服と、一台のタブレットPCのようなものを置いていった。服はスウェット地の上下とコットン地のパジャマのような上下の一組ずつだ。サイズはどれも健二の体にはいささか大きかったが、外に行くわけでもないので大して問題は無い。一日にメリハリをつけるためにも日中はスウェットを着て過ごし、夜はコットン地の衣服に着替えて眠った。代わりに、健二が着ていたスーツはゆかりの方で洗濯しておいてくれるということで、彼女が持っていった。
 タブレットPCの方は、監禁生活の長くて退屈な時間をやり過ごすのに大いに役立った。それはもちろん見たこともない種類のもので、見慣れない機能も数多くついていたが、さすがに説明書の類を一緒に置いていってくれるほどの気は利かせてもらえなかった。幸い、機械類に強い健二は触りながら操作方法を学んだ。タッチパネル式で、ボタンなどは非常にシンプルでわかりやすく、使いやすい。インターネットや電話などの外部と繋がる機能はすべて制限されているようだったが、そのPCの中には膨大な数の音楽や電子書籍などが入っていた。ゆかりたちが意図した通り、確かにこれだけ数があれば何日かは暇をつぶせそうだった。
 音楽はほとんどが聴いたことのないものばかりだったものの、中には耳に馴染みのある曲も数曲ある。絵画や音楽など、人々に愛される芸術作品の良さは何年経っても失われることはないらしい――ルベッツのシュガー・ベイビー・ラヴを繰り返し再生しながら健二は思った。明るいバックコーラスは健二の気持ちを上向かせてくれる。高性能の内臓スピーカーから溢れる臨場感のある音が部屋を満たし、健二はいくらかリラックスした時間を過ごすことができた。
 電子書籍の方はジャンルは様々だったが、小説が多いようだった。健二はその中から社会学の本を探し出し、次々にざっと目を通していった。それらの本によると、2050年以降、国が本格的に外国からの移民の受け入れを積極的に行うようになり、今では純粋な日本人以外の人口は国内の四分の一近くにも上るようだ。それならば、ここに来てから出会った日本人がゆかりだけであるのも、一つの組織を占める人種の割合が実に多様なのもうなずける。
 また、書籍の中には過去のニュースを集めたものもあった。“スラム街で発砲事件”、“副首都・大阪でテロ未遂。検知器により武器の持ち込みが発覚。首謀者の男が警察のロボットに取り押さえられる”……スラム街、副首都、警察のロボット? その他にも宇宙旅行や空陸両用車など、健二が今まで暮らしてきた2015年の普段の生活では想像もつかなかったような単語がいくつも出てきた。
 いくら健二がそういったものに心惹かれるからといって、夢の中でここまで詳細に描かれ得るものなのだろうか? 新しい社会のシステムや新技術のリアルな情報を目にする度、健二の気持ちは少しずつ、自分は本当に未来の日本にやって来てしまったのではないかと信じる方に傾きつつあった。健二は食事や入浴をしている時間以外は起きている間中ずっと、タブレットPCの書籍を読み耽って過ごした。
 不思議なことに、部屋の電気は毎晩ベッドに入る前に確実に消しているにも関わらず、朝になると必ず勝手に点いている。些細なことではあるが、気になったので一度ゆかりに聞いてみた。

「この部屋の照明は、毎朝七時になると自動的にスイッチがオンになるように設定されているの。もし必要なければ、設定を変更することもできるんだけど」

 そのことに特に不快感を感じていたわけではなかったので、健二はそのままにしておいてもらった。この部屋には窓が無いため、自然の光で時間を推測することができない。だが、電気が勝手に点く理由と法則がわかっていれば、目覚めた時に夜が明けているのかどうか即座に判断できるため便利だった。2015年でも使われていたこの程度の機能は、おそらくどこでも当たり前についているものになっているのだろう。
 そして、監禁生活は三日目となった。最初こそタブレットPCからの情報に夢中になっていたが、日が経つごとに時間の流れが遅くなっていくように感じられ、焦燥感が募った。しかし幸い、不安な時間はすぐに終わりを迎えることとなった。
 三日目の昼、部屋にやって来たゆかりは昼食の乗ったトレイを持っていなかった。

「DNA検査の結果が出たわ」

 彼女は入り口のところに立ったままそう告げ、健二はようやく部屋の外に出ることを許可された。

「本当は検査の結果自体はもっと前に出ていたんだけど、それに伴っていろいろと調べなくちゃいけないこととか、考えなくちゃいけない問題があって。遅くなってごめんなさい」

 健二と並んで廊下を歩きながらゆかりが言った。今日は黒のロングコートを着ていない。

「それで……結果はどうだったんですか?」

 健二としては、彼らがDNAから何を調べたがっていたのか、その結果からいったい何がわかったのか、良い結果だったのか悪い結果だったのか……そして何より、これから自分はどうなるのかを一刻も早く知りたかった。

「そうね……」

 ゆかりは言いよどみ、しばしの間があった。そのうちに廊下に設置されているエレベーターに辿り着き、彼女はそれに乗り込んだ。健二も後に続く。ゆかりの細い指が一階の表示のボタンを押し、エレベーターはゆるやかに下降を始めた。

「詳しくはボス――覚えているかしら? 黒人で長身の男性で、私たちの上司にあたる人なんだけど。彼の方から直接話をすると言ってたわ」

 一階でエレベーターが停止すると、また廊下を進む。健二はどこへ行くのかもわからないままゆかりについていった。

「またすぐにボスがこっちに来て話しをすると思うから、もうしばらく待ってもらえるかしら?」

 本心では今すぐに答えを聞きたくてもどかしい気持ちではあったが、そう言われればうなずくしかない。

「ただ、健二くんに対する今後の対応についてだけ簡単に言うと、健二くんに対する警戒や監視は緩めても大丈夫だろうということになったの。ここにはまだいてもらわなくちゃいけないんだけど、あの部屋からは出られるわ」

 たったそれだけの進展だったとしても、それは健二にとって喜ばしいことには違いなかった。少なくとも悪化はしていないのだ。ゆかりは先を続けた。

「それでボスから、さっそく健二くんを一旦留置部屋の外に出してあげるように言われたの。ずっと狭い部屋に閉じ込められていて気が滅入っているだろうから、気分転換にって」

 言いながらゆかりが立ち止まったのは、見覚えのある部屋の前だった。

「だから、今日はみんなと一緒にご飯を食べましょう」

 ゆかりはそう言って健二を振り返ると、にっこりと笑った。



>> To be continued.



読んでくださってありがとうございます!!
前回更新時に拍手を下さった方もありがとうございました^^*


真智さんの創作「スピリットスペル」のすーちゃん

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真智さんの創作「スピリットスペル」のキャラ、すーちゃんをお借りしました!

真智さんはかなり前から長く仲良くし続けてくださっている、大好きな一次創作家さんです(*´`)
これからも応援しています!!


真智さんのサイトはこちら→そういう時もある

アイスブルー

未来への追憶/フランツ

デッサン崩壊\(^o^)/

連載中の小説「未来への追憶」に登場するキャラクターです。
名前はフランツ。一応二話で登場します。


小説を読んで下さった方、拍手を下さった方、ありがとうございました!!!(*´д`)

未来への追憶 第二話 - 01

 すべてが夢であることを願って眠りについたが、目を開けると視界に映ったのは未だ、寝る前と同じ見慣れない天井だった。半球のプラスチックカバーに覆われた監視カメラも変わらずそこにある。
 昨日の夜、電気の消し方を教えてもらってベッドに入る前に手動で消灯したはずだったが、部屋の中は煌々と照明の光に照らされていて明るかった。
 今は何時だろう。この部屋には時計が無く窓もついていないため、今がまだ夜なのか、すでに朝になっているのかさえわからない。
 阿久津健二はベッドに横たわったまま、寝起きのぼんやりとした頭で昨日の夜の出来事を思い返した。
 昨夜、この建物の一階にあるダイニングルームに、マーカス・クレイグを初めとしたSGA――クレイグの話によれば、シークレット・ガバメント・エージェンシーという秘密機関らしい――のメンバーが集まり、健二はそこでいろいろな話を聞いた。彼らの所属するSGAのこと。阿久津コーポレーションという大企業と、社長である阿久津賢士(さとし)という男のこと。"阿久津健二"について。そして、今が健二が生きていた時代から133年後の未来、2148年であることを知ったのだった。
 もちろん、それらの話をすぐに信じたわけではない。彼らがまだ健二のことをからかっているのではと思いしつこく責め立て、今は本当に2148年なのかと再三確認したが、彼らは一向に主張を曲げなかった。
 そうなると、健二がこの状況を受け止めるために出せる結論はもう一つしかない――やはり、これは夢なのだ。
 トラックに撥ねられた拍子に未来にタイムスリップ? しかも、目覚めた先の未来の世界では自分が築いた会社が大企業になっていて、その会社の現社長と日本政府の秘密機関との関係は何やら複雑な状態にあるようで、自分もそれに巻き込まれそうになっている?
 あり得ない。そんなことが現実に起こったなどと、到底信じられるわけがなかった。
 それはクレイグたちの方も同じだった。彼らとて、健二が2015年という過去からやって来たとは決して考えていない。クレイグから突きつけられた事実を受け入れられずうろたえる健二の様子に、ジャン・ベルティエなどはますます胡散臭そうに健二を見た。
 彼らは、健二は整形によって“阿久津健二”に似せられた別の人間か、もしくは“阿久津健二”のクローンで、洗脳という手段で、過去の人間であるという偽の記憶を植えつけられているのだろうと思っているようだった。当然、それらがすべて間違いであることを当の健二が一番よく知っているのだが、何度言ったところで健二の訴えは聞き入れてもらえない。
 健二がひどく混乱していると見てとったクレイグは、どちらにせよ今は健二の正体をこれ以上探ることも難しいため、とりあえず今日は休むようにと彼をこの部屋に戻したのだった。
 こうして一度寝て起きた後でもなお、健二は自分が長くて深い夢の中にいるのではないかと疑っている。
 健二が回想に耽っていると、不意に入り口のドアのロックを解除するピピッという音が鳴り、健二が上体を起こしきる前にドアが開いた。そこに立っていたのはSGAのメンバーの一人、ゆかりだった。それが彼らの制服なのか、昨日と同じロングコートを着ている。彼女の背後の廊下に日が差し込んでいるのが見えるので、今はすでに太陽が昇った後の時間のようだ。
 ゆかりは両手で大きめのトレイを持っていた。その上に皿やカップが載っているのが見える。

「おはよう」

 健二に声をかけると、彼女は部屋に入ってきた。
 何の前触れも無く突然ドアを開けられたことに面食らったが、今の健二にはプライバシーも何も無い状況なのだなと改めて実感する。慌てて布団から体を出し、足をベッドの横に下ろして座る姿勢をとった。着替えが無く、ワイシャツとスラックスという窮屈な格好で眠っていたためか、いつもより体が強張っている感じがした。

「起こしちゃってごめんなさい」
「いえ、少し前に目は覚めてたので大丈夫です。今は何時ですか?」
「今は九時を少し過ぎたところよ」

 昨夜のダイニングルームでの話の後、この部屋に戻されたのは七時過ぎだった。それから備えつけのシャワーで汗を流し、横になったのはまだ夜の九時頃だっただろう。しばらくは頭の中をあれこれと考えが巡り、なかなか寝つけなかった。それでも、おそらく日付が変わる前には寝入っていたはずだ。
 健二は、出勤の日は毎朝六時に起きていた。それがすっかり習慣になり、休日も決まって同じ時間に目覚めていたため、自分がそんなに長時間眠り続けていたということに驚きを覚えた。

「相当疲れていたのね。ぐっすり眠っているようだったわ」

 そう言うと、ゆかりはベッドの横のサイドテーブルに食事の並んだトレイを置いた。大きな皿にベーコンエッグトーストとサラダが盛りつけられていた。その横で、カップに入ったオニオンスープとコーヒーが湯気を立てている。そういえば、昨日の昼以来何も食べていない。カリカリに焼けたベーコンと深みのあるコーヒーの匂いに鼻をくすぐられ、途端に空腹を感じ始めた。

「朝食を持ってきたから、よかったら食べて」
「ありがとうございます、えっと……」

 彼女の名を口にしようとして、苗字を思い出せないことに気がつく。昨日、確かに身分証の提示までされて名乗られたのだが、処理が追いつかないほどのいろいろな情報が立て続けに脳にインプットされたため、一人ひとりのフルネームまではちゃんと記憶されていなかったようだ。ゆかりという名前であることは覚えていたが、まさかいきなり下の名前で呼ぶわけにもいかずに口ごもる。すると、ゆかりは健二の心境を察したようにふふっと笑った。

「藤原ゆかりよ。でも、私のことはゆかりでいいわ。職場の仲間もそう呼ぶ人が多いから、そっちの方が慣れてるの」
「ありがとうございます。えぇっと、ゆかりさん」

 間近でふわりとした笑みを向けられ、健二は少し赤面した。相手がきっちりと身なりを整えているために、服装はパジャマや部屋着でこそなかったが、起きたばかりの顔も洗っていない姿を見られるのはなんだか気恥ずかしかった。とはいえ、健二の姿や行動は昨日から十時間以上、彼女らにカメラを通して見られていたと思われるので、今さらである気はするが。

「昨日は何も出せなくてごめんなさい。お腹空いたでしょう?」
「そうみたいですね。自分でも今まですっかり忘れてましたけど」

 健二が言うと、ゆかりは申し訳なさそうに眉を下げた。

「せめて食事くらい、本当はもう少し居心地のいい部屋でとってもらいたいんだけど……もう少しだけ我慢してもらえるかしら?」

 そして、健二を安心させるためか穏やかに笑いかける。

「大丈夫、すぐに残りの検査の結果も出るし、きっと何かわかるわ。そうすれば状況が変わるから。ずっと今のままということは絶対にないわ」

 優しい声音と微笑みに、健二も釣られて笑みを浮かべた。
 彼女の話ぶりからすると、健二に関する彼らの調査は昨日から進展が無いようだ。健二がこの部屋に閉じ込められる時間はまだ続きそうだった。
 しかし、ベッドの横に両膝をつけてひざまずいているゆかりは、暗にそのことを伝え終えてもまだ立ち去る気配を見せない。他にも何か話があるのだろうか。健二が黙って待っていると、少し躊躇するような様子を見せた後、彼女は口を開いた。

「健二くんも、介護や福祉関係のロボットを作っていたの?」

 健二"も"ということは、今、彼女の頭の中には別の人物の姿が同時に描かれているということだ。それは133年後の彼らが知る、夢を実現させた“阿久津健二”に違いなかった。

「いえ、俺はまだ……人の役に立つロボットを作ることは昔からの夢なんですけど、実力が足りなくて……周囲にも認めてもらえなくて、なかなか形にできるところまで辿り着けないんです」

 自分の言葉に、つい昨日参加したばかりの会議で批判しか受けることのできなかった職場のプロジェクトのことや、目標までの行き詰まった道のことを思い出して暗い気持ちになる。

「でも、それってすごく素敵で、素晴らしい夢だと思うわ」

 訳もわからないまま監禁状態に置かれ、精神的に疲弊しているであろう健二を励ますためだろうか? だが、健二を見上げるゆかりの瞳は世辞を言っているとは思えないほどにキラキラと輝いていて、健二は照れくさくなった。

「ほんとに大それた理由なんて何も無い、自分の子供の頃のちょっとした経験から目指すことになった夢なんですけど……ありがとうございます」

 健二が謙遜交じりに言うと、ゆかりはふと真剣な表情になって健二の目をまっすぐに見つめてきた。

「……私にはどうしても、あなたが悪い人や、何かを企んでいるような人には見えないわ。ただ操られているだけにも思えない。根拠は無いんだけど、そう感じるの。……私、間違ってるかしら?」

 それは真実ではあったのだが、その言葉に何と答えるべきかわからず、健二は曖昧に微笑むと視線を落とした。ゆかりの華奢な両手が目に入る。そのまま黙って彼女の手を眺めていると、その左手の薬指にシルバーのリングがはまっていることに気がついた。昨日は当然ながらそんなところに意識を向ける余裕は無く、まったく気づいていなかった。ゆかりは単に外見的に魅力があるというだけではなく、その慈愛に満ちたような眼差しは彼女の穏やかで優しい性格をうかがわせた。彼女に惹かれる男は多いだろうから、パートナーがいても何の不思議も無い。こんな素晴らしい女性の愛を一身に受けることができるのは、いったいどんな男なのだろう。健二は顔も知らないその男を羨ましく感じた。

「ごめんなさい、食事が冷めてしまうわね」

 しばらく沈黙が続いていたかと思うと、ゆかりは急に思い至ったように高い声を上げて立ち上がった。何かを振り切って気持ちを切り替えるかのような、勢いをつけた立ち方だった。

「ゆっくり食べてね。食器は午後にまた昼食を運んで来た時に持って行くから、そのまま置いといて」

 そして、健二が何か言う前にいそいそと部屋から出て行ってしまう。
 もし、仮にここが本当に未来の日本なのだとしたら、八十年ほど前にこの世界を去った“阿久津健二は”、今ここに存在している三十歳の阿久津健二と同一人物なのだろうか? 自分は――阿久津健二は、先の見えない悶々とした毎日を抜け出し、ついに周りも納得させるようなアイデアを生み出し、ゆくゆくは設立した会社が大企業となるまでに多くの人々を救い、必要とされるものを作り上げたのだろうか。
 残された健二はそんなことを考えながら、まだ温かい朝食を口に運んだ。



>> To be continued.



読んでくださった方、拍手を下さった方、ありがとうございました!
いつも大変ありがたく思っておりますm(*_ _)m

今回から第二話に入りました!
一話は緊迫感満載でしたが、第二話は一話より穏やかなシーンも多くなります♪


みらついのジャン

未来への追憶/ジャン・ベルティエ

「未来への追憶」のジャン・ベルティエ。

筋肉が足りない…
本当はもっと体格いいはずです;

未来への追憶 第一話 - 06

「やめろ、リウ。その必要はない」

 落ち着いたバリトンが響き、一人の男が入ってきた。黒人で、年の頃は二十代後半から三十代前半といったところだろうか。大方リウよりは年下だろう。彼が非常に長身で優れた体躯をしていることが、健二が座っている位置からも見てとれた。彼もまた、黒いハイネックのカットソーの上にロングコートを着ている。自動ドアが閉まり、男はこちらへと歩いてきた。

「ボス、聞いてたんですか」
「ああ。こっちに着いてからな」

 苦笑いするリウに答えると、男は自分の片耳に装着していたワイヤレスイヤホンのようなものを外し、健二の目の前に立って座ったままの彼を見下ろした。

「安心しろ。拷問などというものはここでは行われない」

 レイと同様、どこにも不自然なところのない日本語だ。その言葉に安心するよりも先に、彼の迫力に気圧される。彼は、すぐ側に立っているレイよりもさらに背が高かった。表情からは感情が読みとれない。健二が何か言う前に、男はリウの方に体を向けた。

「リウ。報告を」

 リウはうなずき、検査の結果を説明する。

「容貌、指紋ともに一致する個人の情報は確認できませんでした。血液検査の結果も、特に異常な点はありません。今のところ、彼が我々に対して話している内容や、名前などの基本的な情報についても嘘はついていないようです」

 黒人の男は途中で口を挟むことなく、黙って聞いていた。その間に、ゆかりが健二の体から検査用の器具を外してくれる。

「全身をスキャンしましたが、武器は一つも携帯していませんでした。特殊な機器等も身につけていません。念のために直接衣服を触って調べたところ、出てきた持ち物はこれだけでした」

 そう言って、リウはポケットから先ほどの鍵束と切符と腕時計を取り出し、黒人の男に差し出した。男はそれを受け取ると、大きな手のひらに置いて眺める。ほんの少し不思議そうな顔になったが、すぐにもとの無表情に戻った。そして、それらをポケットにはしまわず、そのまま左手に握りこんで腕を下ろした。

「結果の報告は以上です。血液検査等のデータは本部のPCに転送しておきましたので、ボスの端末からも見られるようになっていると思います」

 男は「うむ」とうなずいた。相手の仕事に対する礼も込められているのだろう。

「現時点では、この男が何者なのかはまったくわからなかったということだな」
「そういうことになりますね。あとはDNA鑑定だけですが、それは本部でないとできません」

 黒人の男はひとしきり無言で考え込んでいた。かなり長い沈黙のあと、ようやく口を開く。

「この男がここに現れたのは、何らかの理由、誰かの意図があってのことだろう。奇跡的な偶然が重なったという可能性もゼロではないが、限りなく低い」
「いえ、俺は――」

 健二は、彼らが問題視している事柄と自分はなんら無関係であることを訴えようとしたが、黒人の男に手で制されて仕方なく口をつぐんだ。

「だが、違う見方をした場合の可能性も存在する。阿久津賢士や、他の我々に害を成そうとする連中の差し金ではなく、被害者であるこの男を助けようとした人間が、この男をここへ運んだ、という可能性だ」

 レイが顎に手をやり、「なるほど」と低い声で呟いた。

「でも、なんでこの場所がわかったんすかね」
「それはわからん。またどこかから情報が漏れたのかもしれない。その点については改めて調査する必要がある。あとはDNA鑑定の結果が出れば何かしらわかるだろう」

 健二は、目の前で会話を交わす彼らをただ見ていることしかできないことがもどかしかった。彼らの話す内容に頭が追いつかない。そもそも勝手に顔写真や指紋を撮影された上に、許可無く血液検査までされ、あげくにDNAまで調べあげようとは人権も何もあったものじゃない。
 黒人の男は横顔のまま、目線だけを健二に投げた。

「我々に敵意を向けているわけでもなければ、武器も持っていない。体を改造されているわけでもないようだし、見たところは普通の人間に見える。自分がなぜここにいるのかもわからないような男なんだ。今のところどうこうすることはできない」

 そこで一度言葉を切ると、いくらか声の調子を和らげた。

「どちらにせよ、おそらくこの男は被害者だろう。しばらくはこちらで厳重な監視、保護のもとに様子を見るとしよう。幸い、この件は我々の専門だからな」

 男は、その場にいる健二を除いた全員の顔を見渡した。皆、男と目が合うと首肯する。それを確認すると、男は懐からレイが持っていたものと同じ黒い薄型の機器を取り出し、まるで警察手帳のように健二の目の前に掲げた。

「私はSGAの犯罪捜査部、特別犯罪捜査課のマーカス・クレイグだ」

 小さな液晶には男の顔写真と名前、所属する部署と課、そして名前の上に役職が表示されていた。セクション・チーフ――課長だ。
 その横に立っていたリウも黒人の男にならい、いつの間にか取り出していた自分の端末を健二に向ける。

「SGA、調査部のリウ・ジュンイーだ」

 画面の中の名前の欄は、漢字で“劉俊毅”となっている。変わった響きの名前だとは感じていたが、彼も日本人ではなかったようだ。名前から判断するに、中華圏の出身だろう。

「ボス……いいんですか?」

 レイが心配そうな声で黒人の男――クレイグに問いかけた。

「ああ。我々の名前や所属はすでに阿久津賢士に知られているし、対策はとってあるのだから問題は無い。それに、まだ敵だと断定することができない相手を一方的に拘束して調べあげたんだ。こちらも正式に名乗るくらいはするのが道理というものだろう」

 それを聞いて、レイとゆかりも先の二人と同じように、端末に自分の情報を表示させて健二に見せた。どうやら、それが彼らの組織にとっては自分たちの身分を示す手段らしい。

「俺はSGA犯罪捜査部、特別犯罪捜査課のレイモンド・ストレイス」
「同じく特別犯罪捜査課の藤原ゆかりよ」

 ようやく、わずかとはいえ彼らに関する情報とまともな対応が得られたことによって、正体不明だった彼らを信用できそうな気持ちが少しばかり芽生えた。彼らは健二が懸念していたような怪しい集団ではないのかもしれない。
 だが一つ、かなり大きな疑問がある。この点が解決できなければ、せっかく名乗られても意味が無かった。尋ねるにはちょうど良いタイミングだろうと思い、健二はおずおずと「あの」と声をかけた。クレイグが続きを促すように軽く首を傾ける。

「すみません、先ほどからおっしゃっているエスジーエーとはいったい何ですか?」

 今度こそ、クレイグはその顔にはっきりと驚きの色を浮かべた。劉が「これはまいったな」と言って笑う。
 自分は何かおかしなことを言っただろうかと、健二は急激に不安になった。彼らの間では、SGAという言葉は知っていて当然のものという認識のようだ。だが、健二がSGAと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、システムグローバル領域。少し考えて、次に胎内発育遅延児と続く。しかし、彼らの言うSGAは話の流れからしても何らかの組織名であるようなので、健二が連想した単語はどちらも当てはまりそうにない。

「思ったよりも複雑なようだな。君にはもう少し私たちに協力してもらわなければならないから、ある程度のことは知る権利があるだろう。だが、私はこれからすぐ、マネージャーに君への対処を報告する義務がある。話はその後で改めてするとして、今は一旦待っていてくれ」

 クレイグはそう言うと、レイに視線を移した。

「ストレイス、この男を上の留置部屋まで連れて行って、とりあえずそこで待機させろ。万が一のために、俺が呼ぶまではお前が付き添っていろ」
「はい」

 次に、クレイグは劉に指示を出す。

「劉、お前はDNA鑑定の依頼をしに本部に戻れ。今日はそのまま調査部で、検査の結果を元にこの男に関する情報を集めるんだ。何か重要なことがわかれば時間を問わずすぐに俺に報告しろ。特に何も無ければ明日、本部で経過を聞く」
「わかりました」

 さっそく、劉は採取した健二の血液を持って部屋から出て行く。それを見送ってから、レイは身ぶりで健二についてくるよう促した。

「じゃあ、行くぞ」

 健二は椅子から立ち上がり、彼の後を追う。ドアの前まで来ると、ロックが解除されたままになっていたドアが自然に開いた。

「そういうわけだから、ちょっと俺と一緒に待っててくれ」

 廊下に出るとレイは健二の右側に立ち、片手を軽く健二の肩に置いた。肩を押され、健二の方が半歩ほど前を歩く形になる。今度は廊下を来た方向とは逆に、右へと進んだ。健二は後ろから加わるレイの力に従って、その向かう先へと歩いた。
 小さなエレベーターで二階に上がり、また少し廊下を進むと目的の部屋の前に着いたようだ。そこは建物の端だった。ドアはまたしても自動開閉式だ。ロックされているようで、レイがドア横の電子パネルに表示された数字をいくつか入力して人差し指を押し当てると、ドアが開いた。
 留置部屋というからには刑務所の独房のようなものだろうと想像していたが、するりとドアが滑って視界に現れたその部屋は、健二に頭に思い描いていたものとはずいぶん違った。健二が部屋の中に入ると自動的に室内の電気が点灯する。そこは簡素なビジネスホテルの一室のような小さな部屋だった。ベッドと低いサイドテーブル、小さめの机と椅子の他には何も無い。小物類も置かれていないようだった。
 たった今までいた白一色の部屋とはまったく違う雰囲気の部屋だ。しかし、窓が一つも無いところと、天井の中央でドーム型の監視カメラが目を光らせている点だけは共通している。
 健二が突っ立っていると、「適当に座れよ」と声をかけられて、迷った末にベッドの縁に腰かけた。レイは入り口近くの壁に体をもたせかけ、腕を組んで立った。
 しばらくはお互いに無言だった。健二は膝の上で組み合わせた自分の両手を見つめていた。相手が立ったままなので、一人だけ座っている健二はかえって居心地が悪い。時計が無いので正確な時間の経過はわからないが、十数分は経った頃だろうか。特に意味も無く、片手の親指をもう一方の手を撫でるように動かしていると不意に静寂が破られた。

「まあ……悪かったな。いろいろあって、こういう対応しかできねぇんだ」

 ひどく言いにくそうな声だ。レイの方に顔を向けると、彼は向かいの壁に目をやったままだった。健二からは横顔しか見えないが、困ったように眉をしかめている。健二が「いえ」と言うと、彼はこちらに顔を向けた。

「ほんとになんにもわかんねぇのか? その、俺たちのこととか、自分がなんで疑われてんのかとかさ」
「はい。ほんとに何も……洗脳とかも絶対にされていませんし――今日、トラックに撥ねられてここで目覚めるまではごく普通に生きてきたので、それは自分で確信できるんです。俺は本当にただの会社員なんです。正直、皆さんが話してるのが何のことかもあまりわからなくて、まったく事態が飲み込めてないんです」

 レイは「そうか……」と言ったきり、また黙ってしまう。

「……あの、俺はいつ帰れるんですか?」
「悪ぃ、今はそれはわかんねぇ」

 そう答えた声は暗く、心底からの申し訳なさを含んでいた。
 会社の同僚や上司はなかなか帰ってこない健二をどう思っているだろうか。会議が終わった時点で上司に連絡は入れているので、そのうち不審に思った上司が健二のスマートフォンに電話をし、繋がらないとわかると本社に確認するだろう。いずれ実家にも電話が行くかもしれない。大事にならなければいいのだが。一刻も早く疑いを晴らして開放され、日常の生活に戻りたかった。

「後で俺たちのボスがいろいろ説明してくれっから、安心しろよ」

 そう言われてもなかなか安心できるものではないが、レイの気遣いが感じられる言葉は嬉しかった。
 また同じくらいの時間が経った後、入り口の方からピピッという高い音がしたかと思うと扉が開いてクレイグが姿を見せた。

「この部屋のカメラを本部に繋いだ。藤原にも監視させているから、ストレイス、お前はもう離れて大丈夫だ。マネージャーにも話したが、先ほど下した判断で問題無いということだ。今後の対応について皆で話すから一緒に来てくれ」

 クレイグは、健二にはもう少しここで待っているように言った。大人しくしているようにと釘を刺される。そして、二人は部屋から出て行った。
 そこからはかなり長時間、健二は一人きりで部屋に放置された。天井の監視カメラを見上げる。もちろん、このレンズの向こうではさっきクレイグが言っていたように、何人か――もしかすると何人も――の人々が健二の様子をうかがっているのだろうが。
 あまりにも急激で非現実的な展開と、次々に目にする見慣れないものにすっかり頭が混乱している。今までの出来事を整理しようとしたが、神経がひどく興奮してしまっているためか気持ちが落ち着かず、夢を見ているときのように頭のどこかが麻痺してしまったような感覚もあって、考えがまとまらない。
 ずっと座っていることに逆に疲れを感じてきたので、狭い部屋を一周することにした。部屋を見回しながらゆっくりと歩いていると、この部屋には内側に電子パネルがついていないことに気がついた。入り口に近づいてもドアは動かない。なるほど、そこはさすがに留置部屋というだけあって、外からしか開かない仕組みになっているようだ。
 さらに、この部屋にはもう一つドアがあることにも気がついた。どうせこちらも開かないだろうと思いつつ、何気なく近づいてみると予想に反してドアは難なく開いた。
 ドアに隔てられていた先の空間は備えつけのバスルームのようだった。そう言えば、前回用を足したのはずいぶん前になることを思い出す。バスルームのある部屋に閉じ込められたのだから、トイレを使用するくらいで咎められたりはしないだろう。ここもカメラで監視されているのだろうかと天井を見上げたが、そこにはそれと思しき物は見当たらなかった。他の場所に設置されているのかもしれないが、ざっと見ただけではわからない。背後でドアが閉まったのを確認し、健二は素早く用を足した。トイレやシンクは今まで見たことがないような珍しい形をしていたが、少し観察すればすぐに使い方はわかったので支障は無かった。手を洗ってバスルームを出ると、再びベッドに座って待つ。
 二、三時間後、ようやくクレイグが戻ってきた。もしかしたらこのままずっと放っておかれるのでは、という心配が頭をもたげてもいたので、彼の顔を目にしてほっとしてしまう。
 ついて来いと言われ、健二は部屋から出た。今度は何が待っているのだろうかという不安はあったが、それよりも今はやっと部屋から出られた開放感の方が多く心を占めていた。先がわからない状況だからというのもあるが、何もすることが無く、窓の無い小さな部屋に何時間も押し込められているのはかなりの苦痛だ。おまけに監視カメラで見張られているので片時も気を抜けない。
 廊下を歩く際に窓の外に目をやると、外はすっかり暗くなっていた。中庭に灯りがともっているのが見える。
 クレイグが向かった先は、一階にある広いリビングのような部屋だった。広々とした空間を間接照明が照らし出している。検査を受けた部屋も広かったが、それとは比べ物にならない広さだ。この建物の敷地はいったいどれくらいなのだろうかと、つい考えてしまう。
 クレイグに連れられ、どこか風変わりながらもセンスの良いインテリアの部屋に足を踏み入れる。部屋は三階までの吹き抜けになっており、壁の一面が全面ガラス張りになっていた。リビング部分のソファの近くには暖炉のようなものもある。
 だが、健二の目を一番引いたのは部屋の中を動き回るロボットの存在だった。検査を受ける前に廊下ですれ違ったロボットだ。そいつはコーヒーテーブルの上に置いてあったカップを左手の三本の指で器用につまみ、キッチンの方へ運んでいくところだった。その動きを目で追うが、すぐにキッチンの影に姿が隠れてしまう。部屋全体の個性的な雰囲気も相まって、現実離れした不思議な光景だった。
 奥の大きなテーブルの周りにはレイとゆかり、そして彼らの他に初めて見る顔ぶれが二人いた。一人は二十代と思しき男性で、レイたちが着ているものと同じ黒いロングコートを着ている。もう一人は見かけからはまだ少女と言ってもいいような年頃に見える若い女性だ。二人とも白人で、そのことに少し驚く。
 年々移民は増えてはいるが、それでもここは日本のはずだ。それにしては、今日ここで出会った日本人がゆかり一人だけというのは割りと珍しい状況だろうと思われる。彼らの職業が特殊なものであることはほぼ間違いないだろうが、様々な人種が集まることもその特徴の一つなのだろうか。
 白人の少女は興味深そうに、眼鏡の奥の大きな目を丸くして健二を見つめていた。顔の両側で緩く編まれた三つ編みが、彼女を余計に幼く見せているように思える。
 男の方は健二から一番離れた位置に立っており、いかにも不機嫌そうな顔で腕を組んでいた。広く開いたワイシャツの胸元から、鍛え上げられた逞しい大胸筋が覗いている。肌は健康的な色に日焼けしていた。そして、彼もとても背が高い。おそらくクレイグと同じくらいだろう。その隣に立っているゆかりと比べると、大人と子供くらいの身長差がある。
 健二も平均身長より少し高いくらいなので、そこまで小柄というわけではない。もちろん、もっと身長があればと思うことは多々あったが、特別コンプレックスを感じるほどでもなかった。だが、こうも長身の男たちに囲まれていると、自分がひどく小さくなったような気がする。
 健二がクレイグと共にテーブルのすぐ側に立つと、機嫌の悪そうな白人の男を除く全員の視線が健二に注がれた。

「先ほど話したとおり、今日、この敷地内に部外者が侵入した。この男が、その阿久津健二だ。表面上や検査の結果は至って普通の男に見える。本人は、気を失っていて目覚めたらここにいたということだ。なぜ、どうやって自分がここに来たのか、まったく記憶に無いらしい。何者なのか、現段階では一切不明という状況だ」

 クレイグは仲間達に向かって言った後、体を半分健二の方に傾け、離れたところで腕を組んでいる屈強そうな男を手で示した。

「彼はジャン・ベルティエ。我々と同じ、特別犯罪捜査課のメンバーだ」

 ジャン・ベルティエは腕を組んだままで健二を一瞥したが、すぐにそっぽを向いてしまった。

「そして、アマンダ・オルコット」

 続いて紹介された少女――アマンダはジャンとは対照的に、健二と目が合うとにこりと笑いかけてきた。その笑みからは健二に対する警戒心などはほとんど感じられず、子供のような無邪気さが溢れている。

「彼女はまだSGAの正式なメンバーではないが、訳あって我々と行動を共にしてもらっている。君はSGAが何かわからないと言ったな?」
「はい」

 クレイグに問いかけられてうなずく。

「SGAとはシークレット・ガバメント・エージェンシーの略で、私たちが所属する組織の名だ。そのままの意味で政府直属の秘密機関だが、秘密といっても、国家機関の中でも特殊な任務のみを受け持ち、表立っては動かないというだけで存在を知られていないわけではない」

 健二は、初めて耳にする情報に驚きを隠せなかった。この日本にそんな大仰なものが存在していたというのに、自分は今までまったく知らずに生きてきたというのだろうか?

「部署は様々あって、君の検査を行った劉は調査部だが、今ここにいるメンバーは全員が犯罪捜査部の特別犯罪捜査課の所属だ。本部はこことは別にある。ここは拠点の一つで、こうした普通の民家のように見える場所を、捜査のための拠点としていくつも所有している。現在、我々は本部と、こことを中心に動いている。ここは組織内の人間以外には知られていないはずなんだが……」

 クレイグは、深い漆黒の瞳で健二をじっと見つめた。

「君が現れた。それが、今日このような騒ぎになった理由の一つだ。このことが何を意味しているのか、これから調査して考えなくてはならない」

 秘密基地に唐突に部外者が侵入した。確かに、それだけでも彼らが健二を見つけた際に過剰反応した理由としては納得できる。
 
「それに、SGAの存在は日本国民なら皆当たり前に知っているだろうと思っていたから、正直なところ驚いた」

 彼の口から「日本国民」という言葉が出てくることがなんだかしっくりこない。

「でも、本当に知りませんでした。たった今初めて知って、今まで一度も、見たことも聞いたことも無かったことに俺も驚いています」

 健二がそう言ったとき、最後の言葉に被さるように、バン! と何かを叩きつけるような大きな音がした。音のした方に顔を向けると、ジャンがテーブルに右手を置いて身を乗り出していた。どうやら、今のは彼がテーブルを思い切り叩いた音らしい。レイが「ジャン」と彼の名を呼んだが、ジャンはレイの方を見もしなかった。

「なんだ? ベルティエ」
「納得できねぇな」

 ジャンは、まるで心の底から憎み嫌っている相手を前にしたときのように、青灰色の瞳を煮えたぎらせて健二を睨みつけていた。伸ばした人差し指をまっすぐに健二に突きつける。

「なんでそんな怪しい男を信用するんだ?」
「別に信用したわけではない」
「じゃあ、なんで普通に話なんてしてんだよ。あんたらの判断は間違ってる。今すぐ拘束して本部に送って、もっと徹底的に調べるべきだろうが」

 その声や言葉には健二に対する敵意がありありとこもっている。彼のように体格の良い男が目の前で怒る様はなかなかに迫力があって恐ろしかった。と同時に、彼の態度はとても不愉快でもあった。今日一日でずいぶんといろんな目に遭ったが、その中でも彼のこの言いようは取り分け健二の不快感をあおる。

「何度も言ったとおり、現状分かっていることだけではこれ以上の判断を下すことはできない」
「阿久津の野郎と同じ名前なんだぞ!? 奴のスパイに決まってんだろうが!」
「そう考えて当然だが、わずかながら別の可能性もある以上、そう言い切ることはできない。今すぐ我々に害を成すとも、成せるとも思えないしな」

 ジャンは馬鹿にしたように鼻で笑った。

「人が良さそうな振りをして、俺たちを騙すつもりなんだろうが。俺たちが、まさか阿久津健二なんてわかりやすい名前で堂々と姿を現す敵がいるわけがないと考えると思って、裏でもかこうとしたに違いねぇ」

 それまで黙っていたゆかりが、横から「ジャン」と声をかけた。静かで優しい声だったが、それでも大声でまくし立てていたジャンはぴたりと口を閉じて彼女を見た。

「彼自身、本当に困っているようなの。私も側で様子を見ていたからわかるわ。彼が阿久津賢士の指示でやって来たにしてもそうじゃないにしても、記憶も抜け落ちていて、訳がわからずに怯えているのは本当だもの。今はもう少し様子を見てみましょう?」

 部屋がしん、と静まり返った。皆、ジャンの反応を待っている。ゆかりと見つめあうジャンの中の怒りの感情がどんどん沈静化していくのが、その表情からうかがえた。

「まあ……ゆかりが、そういうなら……」

 先ほどまですさまじい形相で怒鳴っていた男は、信じられないほどあっさりと引き下がった。まだ不服そうな様子ではあったが、それ以上は何も言わず、また初めのように腕を組むとふてくされたような顔で視線をそらし、大人しくなった。
 ゆかりの影響力に驚きつつも、健二は自分への攻撃が収まったことにほっとした。場が元の空気に戻ったところで、健二は「すみません」と口を挟んだ。

「その、それは誰なんですか? 阿久津というのは。何者なんですか?」

 わずかな間があった後、クレイグがゆっくりと口を開いた。

「阿久津コーポレーションというのを知っているか?」

 健二が首を横に振ると、クレイグは今日何度も目にした黒い薄型の機器を取り出し、その画面を健二に見せた。少し前に彼らが健二に名乗ったときと同じ格好だが、今度そこに表示されていたのはクレイグの職業を表すものではなかった。
 今、それが映し出しているのは一つの企業の情報だ。画面の一番上に、英字で『Akutsu Corporation』とある。続いてビルの写真と会社の経歴、そして老齢の男の顔写真も並んでいる。写真の下には名前が書かれていた。――阿久津賢士。

「阿久津コーポレーションは日本随一の大企業で、主にロボットの開発を行っている会社だ。他の追随を許さない技術を誇り、ほぼ市場を独占している状態だ。その阿久津コーポレーションの現会長兼社長が、阿久津賢士。阿久津賢士は言わば多くの人間に尊敬されている天才的な人間ではあるが、それは表面的な部分だけを見た場合のみに過ぎない。彼は社会的に悪人で、端的に言って我々の敵だ。そして君は――」

 クレイグが画面に指をすべらせて操作すると、情報が切り替わった。

「阿久津コーポレーションの創設者である阿久津健二と同姓同名を名乗っていて、かつ、この男の若い頃の容姿に酷似している。それが、我々が君を警戒する一番の理由だ」

 薄い液晶画面は、健二に一人の日本人の男の情報を示していた。スーツをきっちりと着込み、証明写真のようなバストアップの写真に写っている。東洋人にしてはいささかはっきりした顔立ちは真面目そうだが、緩く弧を描いた唇が彼の友好的な性格を表しているようだ。キリリとした太い眉毛は信念の強さを感じさせた。
 写真の横には三十年の人生の中で一番なじみの深い名前が表示されている。その下の、少し小さな文字列はその男――阿久津健二の来歴だった。大学を卒業した年や今の会社に就職した年など、健二の実際の来歴と異なっている点は無い。だが、その年表にはこの先の未来の出来事までもが書かれている。
 それらの情報に被さるように、様々な写真が表示されては消えていた。楽しそうな笑顔で友人と一緒に写っているもの。何かの表彰を受け、頭を下げてトロフィーを受け取っているもの。少し昔のものや、覚えの無いものまであった。その中には職場の同僚たちと写っている、まだ記憶に新しい写真もある。
 この男は健二に似ているのではない。これは彼自身だ。
 来歴の一番最後の行には死亡年月日までもが記されており、健二は咄嗟に目をそらした。

「なんですか、これ。冗談でしょ。冗談ですよね?」

 わざわざ確認するまでもなく、悪い冗談以外には考えられなかった。テレビ番組のドッキリ企画などはほとんどが作られたやらせのようなものだと思っていたが、本当に何も知らない一般人を騙すものも存在しているらしい。それも、こんな大掛かりな。
 人々の役に立ちたいという健二の夢が実現して会社まで設立し、しかもその会社がゆくゆくは日本一の大企業にまで成長する――。健二の純粋な夢を利用するなど、彼の思いを踏みにじるに等しい行為に思えて憤りさえ覚える。
 だが、いくら待っても誰からも「ドッキリでした」という陽気な声も上がらなければ、「すみません、冗談だったんです」という謝罪の言葉も出てこなかった。皆、真剣な顔つきだ。笑いを堪えているような様子も無い。

「だって、おかしいですよこんなの」

 健二の喉から不自然な笑いが漏れた。口元が引きつっている。

「もう、止めてくださいよ。だいたい、今は2015年の5月12日です。調べればすぐにわかりますし、無理があります。そうだ、持ち物をチェックしたときに切符を回収しましたよね? あれはどこにあるんですか? あそこにも今日の日付が書いてありますよ」
「ああ。確かに君の言うとおり、切符にはその日付が記されていた。私は初めて目にしたが、とっくに存在しない電車の切符だった。最初は誰かを整形して阿久津健二に似せたのかと思ったのだが、今は、君は何らかの方法で保存されていた阿久津健二のDNAから作られたクローンで、洗脳によって偽の記憶を植えつけられているのではないかとも考えている」

 そう話すクレイグは大真面目な顔で、ふざけているような気配はうかがえない。

「わざわざ君を皆のいる場所に集めて話を聞かせたのは、君の反応を見るためでもあった。君が何かを企んでいたり洗脳の影響があったりした場合、突然行動に出るタイミングがあるかもしれないと思ったのでな。今のところそのようなことは起こりそうにないようだが」

 クレイグは続けたが、その内容は健二の頭に入ってこなかった。
 ある可能性が健二の頭をよぎったからだ。一度にあまりにたくさんのおかしなものを見せられ、突拍子も無い話を聞かされたせいで見過ごしていた可能性だ。しかし――
 あり得ない。
 そんなことは絶対にあるはずがない。いや、あってはいけない。どうやったって、現実に起こりえるはずがないことだった。

「今は――」

 だが、健二は聞かずにはいられなかった。
 嫌な予感がした。もしその可能性であるならば、数々の不可解なことのすべてにも説明がつくような気がしたのだ。
 急激にすさまじい焦燥感に襲われる。

「今は、何月何日ですか」

 声が掠れていた。乾いた唇を舐めて潤し、唾を飲み込んで少しでも声を発しやすいようにしようと試みたが、あまり意味は無いように思われた。

「何年の、何月何日ですか」

 そう問いかける声は面白いくらいに震えていた。
 クレイグは左腕のコートの袖を少したくし上げると、手首にはめた腕時計が健二に見えるように腕を差し出した。横に細長い、変わった形のデジタル時計だった。中央を、一番大きな文字で現在の時刻が陣取っている。午後六時四十二分。他にもいくつかの文字や記号が青く光っていた。クレイグが時計に触れると、時刻をあらわす数字に取って代わり、日付と西暦が大きく表示された。

「今日は5月12日」

 スウッと血の気が引いていく。並んでいる四桁の数字が示す事実に目眩がした。

「――2148年だ」

 クレイグの声を聞きながら、健二は気が遠くなるのを感じた。



-- Episode 01 Fin. --



最後の一回分だけものすごく長くなってしまいました(笑)
これで第一話は終了となります!次回からは第二話に入ります^^*

拍手を下さった方、ありがとうございました!!m(*_ _)m

無事に第一話を終えられましたので、続けて第二話の執筆をがんばっていこうと思います♪


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