未来への追憶 第四話 - 03

 ほとんど考えもせず反射的にそちらに顔を向けると、そこには一人の男が立っていた。

「いいですか?」

 彼は右隣のバースツールの背に手をやり、健二に向かって言った。健二に、隣に座ってもいいかとたずねているのだ。

「あ、は、はい」

 ここで拒否するのもおかしいと思ったので、健二は相手の容貌をろくに確認する余裕も無く、どもりながらもうなずくしかない。
 男が隣の席に座った。健二の心臓の鼓動が一気に速くなる。じろじろと見るわけにもいかないので、健二は横目で盗み見るように、ちらりと隣に視線をやった。だが、真横なのでそれだと相手の顔は見えない。せいぜい、カウンターに置かれたほっそりした手が見えるくらいだった。
 この男は何者だ? ただの客なのか? 席は他にもたくさん空いているというのに、なぜわざわざ自分の隣に座ってくる? まさか、自分の正体がばれたのか? いくつもの疑問が、健二の頭の中をぐるぐると駆け巡った。助けを求めるような気持ちでカウンターの向こうの白髪交じりのマスターを見ても、彼は未だ一人で来ているらしい別の客と話しこんでいる。
 健二は、レイが早く戻って来ないかと後ろを振り返って確認したい気持ちを必死で堪えた。代わりに、左手首にそっと手をやる。今日、そこにつけられているのは健二が2015年で使っていた腕時計ではなく、SGAのメンバーがつけているような携帯通信機だった。未来に馴染むためでもあるが、もう一つ、何より重要な理由がある。外で何かが起こった際にレイが側にいないという事態が起こったとき、SGAの本部にいるクレイグに知らせるためだ。ボタン一つで、クレイグと店の外で見張りについているSGAの職員、そしてレイに連絡が行くように設定してある。
 しかし、と健二は考えた。もし、隣にいる人物が阿久津賢士と関係のある敵や、邪な目的を持った者なら、他の人間がすぐ近くにいるところで堂々と近づいてくるだろうか? 本当に普通の客である可能性もあるので、早とちりで騒ぎを起こすのはまずい。
 それでも念のためにと、健二が緊急連絡用の小さなボタンに触れたとき、隣から声をかけられた。

「飲まないんですか?」
「えっ?」

 思わず、異様なほど勢いよく振り返ってしまう。男は目の前のメニューを手で示した。

「あ、はい……俺は、その……」

 そこまで言って、何と言えばいいのだろうと思う。嘘をつくのは苦手だった。

「さっきまで、あの、隣のクラブの方で飲んでたので……ちょっと休憩してから飲もうかなあ、と」

 健二はつかえながら言うと、ははは、と無理やり笑った。対して、男の方はにこりともせずに「そうですか」と言っただけで、自分が聞いたくせに興味が無さそうだ。
 そこで初めて、健二は男をちゃんと見た。彼はちょうどカウンターの向こうに視線を投げていたので、まじまじと眺めることができる。一重まぶたの涼しげな目元をした東洋人の男は、六月だというのに黒のタートルネックを着ていた。顔立ちには大きな特徴は無く、どちらかというと地味で、目立たないタイプに思える。全体的に近づきがたいような、冷ややかな空気をまとっていた。
 男は健二の視線に気がついたのか、こちらに顔を向けた。なんとなく気まずくなって視線をそらすと、カウンターに置かれた男のグラスが視界に入る。タンブラーグラスに入っている透明な液体は、どう見てもただの水だった。

「あ、あなたは飲まないんですか? それ、水……ですよね?」

 不審がられないためにも自分も何か言わなければならない、という思いにとらわれ、健二は意味も無くたずね返した。

「私はアルコールは飲めないので」

 ほんの少しだけ口角を上げて微笑みの表情を形作ると、男は水の入ったグラスを持ち上げてみせた。
 男の年齢はおそらく二十代か三十代だろう、という漠然としたことしかわからなかった。外見が老けているというのではないが、その落ち着いた雰囲気から、健二よりずっと年上にも思える。だが同時に、健二と同じくらいのような気もした。バーの薄暗い照明のせいもあるかもしれない。

「ここにはよく来るんですか?」水で喉を潤したあと、彼はさらにたずねてきた。
「いえ、今日初めて来ました。その、友達に連れてきてもらって」
「人と一緒なんですか」
「あ、はい。今は用事に――というか、トイレです」

 いつ答えに詰まってしまうかと気が気でなく、健二の心臓は激しく脈打っていた。

「そうだったんですね。私も初めて来たんです。すごくいい店だからと知人に勧められて。今からその知人と会う約束をしてるんですが、待ち合わせまで時間があったので、せっかくなので来てみました。たしかに、素敵な店ですね」

 状況的にも内容的にも親しげに話しかけているふうであるのに、男の話し方は淡々としていて、ひどく冷めた印象を健二に与えた。クレイグも一見冷たく見えるタイプだが、そのクレイグとも全然違う。クレイグは感情をほとんど表に出さないが、接していると内には温かさを持っていることがわかる。この男の場合は逆だ。言うなれば、冷え切った芯にうわべだけの偽物の温もりを申し訳程度にまとっている、という感じだった。

「この近くに住んでらっしゃるんですか?」
「いえ……あの、一緒に来てる友達は近くに住んでるんですけど」
「そうなんですね。私も家は少し遠いのですが、職場がこの近くなんですよ」

 彼の声は小さくて、静かなBGMの中ですら聞き取りづらい。しかし、温かみこそまったくないが、その声にはどことなく色気があった。

「今日は仕事の帰りですか?」
「あ、はい」
「この辺りはこういった店がたくさんあるのでいいですね」
「そうですね」

 男は、この周囲にあるらしいナイトスポットについて話した。健二はなるべく最低限の相づちだけで適当に話を合わせる。
 ゆったりとした心地よいピアノの音色と、バーの独特のムードのせいだろうか。酒も飲んでいないのに、話しているうちに徐々に緊張感が緩んでいきそうだった。

「もしかしたら、今後もここで会うことがあるかもしれませんね。今日はあまりゆっくり話せませんでしたが、今度お会いしたときは、よかったらまた話し相手になってください」

 しばらくして話に一区切りがついたとき、男が言った。
 健二はうなずこうとしたが、ふと、ジャズのメロディーに不協和音が重なったのがわかった。クラブのダンスミュージックがかすかに聞こえてくる。クラブとバーを繋ぐ扉が開いたのだ。レイが戻ってきたのかと思い、健二はつい扉の方を振り返ってしまった。だが期待は外れ、店内に入ってきたのは二人連れの見知らぬ男女だった。そして、一瞬そちらに気がそれてしまったせいで、健二は隣にいる男の次の言葉に反応することができなかった。

「私は――といいます」
「え?」

 聞き返したあとで、前後の単語から男が自分の名を名乗ったのだと気がつく。だが、肝心の名前の部分は聞き逃してしまった。健二が聞き取れなかったことに気づいていないのか、男は言い直そうとはしない。「何て言いました?」としつこく聞くのもはばかられる上、今後も関わる相手ではないので、失礼ではあるがここはこのまま流すことにした。
 相手が名乗ったのに自分だけ名乗らないわけにもいかず、健二の方も偽の名前を男に伝える。

「あ、俺は……安達、です。安達健一」

「なるほど」と彼は言った。人の名前を聞いて「なるほど」とは、どこか不自然な返事ではないだろうか? 少し引っかかるものを感じたが、男が続けて話しだしたため、そんな疑問はすぐに頭から消えた。

「それでは、私は行かなくては。そろそろ待ち合わせの時間なので」

 壁のアナログ時計で時間を確認すると、男は立ちあがった。そこで、健二は男の格好が上半身から靴まで、黒一色で固められていることに気づく。

「ありがとうございました、話していただいて」
「いえ、こちらこそ」

 男は健二に会釈をすると、愛想笑いさえ見せずに去っていった。健二も挨拶を返し、男の後ろ姿が茶色い扉の向こうに消えるのを見送る。男が扉を開けたときには、やはりクラブの賑やかさがバーの中にまで入り込んできた。
 それからまもなくして、今度こそレイが戻ってきた。

「いったいどうしたんだ? どこに行ってたんだよ」

 健二が小声で問い詰めると、レイもささやくように「わりぃ」と言って、健二の隣――先ほどまで、あの黒ずくめの男が座っていた席――に腰かけた。

「ちょっと、仕事のことで気になることがあってな……俺がいねぇ間、何も無かったか?」
「いや、他の客に話しかけられたよ」

 途端に、レイの表情が硬直する。

「……他の客に? マジか。何を言われた?」
「話自体はまあ、普通の内容だし、特に問題があったわけじゃないけど――」

 レイはさりげなくバーのマスターを一瞥した。彼は今度は別の客の注文を取っている最中で、こちらは見ていない。

「席を変えよう」

 その隙にと思ったのか、レイはそっと席を立ち、二人は店の中で一番奥まった場所にあるテーブル席に移動した。バーテンダー代わりのロボットを呼び、ドリンクを一杯ずつ注文する。こちらのバーにはノンアルコールのメニューが無かったので、アルコール度数の低いカクテルを選んだ。
 注文をカウンターまで伝えるためにロボットがテーブルを離れるのを見届けてから、健二は先ほどの男のことと、彼との会話をレイに説明した。

「怪しいな、そいつ」

 健二の話を聞くと、レイは腕を組んで難しい顔をした。

「当然、その男はもうこの中にはいねえんだよな?」

 レイは腕を組んだまま健二に顔を寄せると、周囲を探るように目だけを左右に動かした。その眼差しのキツさから、彼の神経が張りつめていることがわかる。

「ああ。いないよ」

 レイの緊張を受け、健二は自分も体に力が入るのを感じながら小声で答えた。
 男が隣に座ったときには、まさか話しかけられるなどとは思っていなかったのでひどく驚いたが、そうは言っても実際はただ少し言葉を交わしたというだけだ。レイにそこまで深刻になられると、健二は逆に自分の感じたことが本当に正しいのか不安になってきた。

「でも、今から考えるとやっぱり普通の客だったのかなって気もするよ。あの時は話しかけられたことにびっくりしてたから、実際より変に思えたのかもしれない」
「まあ、それはあるかもしれねえけど……酒も飲めねえのにわざわざバーに来たっつーのは変じゃねえか?」

 向かい合って座った二人はテーブルの上に少し身を乗り出すようにして、ひそひそとしゃべった。

「そうか、確かにそうだよな。あ、でも、この店は知人に紹介されたって言ってたよ。それで来たんじゃないのかな」
「それはわかんねえけど……それでもやっぱり怪しいぜ」レイは言い張った。「名前を聞かれたんだろ?」
「ああ。でも、それ以外は当たり障りのない普通の会話だったし、名前を聞かれたって言っても、そんなに不自然な聞かれ方じゃなかった」
「なんか、その男をかばってるみてえな言い方だな?」レイが不可解そうな顔になった。ついで、その表情が険しくなり、健二を見つめる目が探るように細められた。「……まさか、脅されたとかじゃねえよな」
「そうじゃないよ! ただ、自分が大げさにとらえすぎて、普通の人を疑ってるんじゃないかと心配になっただけで……」

 慌てて言ったとき、不意に健二の頭を、ジャズと混ざって不協和音を作り出すダンスミュージックの音がかすめた。クラブでかかっていた曲は、初めにスーツの男二人とレイが出ていったとき、そして途中で見知らぬ男女が入ってきたとき、最後に黒づくめの男が出て行ったときに聞こえてきた。つまり、注意さえ向いていれば、バーにいる人間には扉の方を見ずとも人が出入りするのがわかるということだ。健二の記憶が確かならば、男に話しかけられる前――健二が一人でカウンターに座っていたときには、クラブの音楽は一度も聞いていない。

「それに、たぶん……その人は俺たちが来る前からバーにいたはずなんだ。あそこの扉って、開くと隣のクラブの音楽がちょっと聞こえてくるだろ?」

 健二は体をひねり、背後にある扉の方を指差した。

「緊張して周りのことが気になってたから覚えてるんだけど、レイが出て行ってからその人に話しかけられるまでは一回も聞かなかったんだ。だから、その間は誰も出入りしてないってことだと思うんだけど、もし俺が一人になる隙を狙ってたなら、普通は俺たちを追って後からバーに入ってくるんじゃないかな?」
「いや、初めから健二を狙ってたんならそうかもしれねえけど、その……ほら、今、俺らが担当してる事件とはなんの関係も無くて、たまたま健二が一人でいたから近づいたってんならわかんねえぞ?」
「あ、そうか……」

 もちろん、その場合はいくら阿久津賢士とは無関係であれ、無害とは言えない。考えれば考えるほど、怪しいのか怪しくないのかわからなくなってきた。

「まあいいや。とにかく、帰ったらボスに報告しよう。しばらくは店に入店者の履歴が全部残ってるはずだから、それを調べて怪しいデータの奴がいねえか確認すればいい。ここの店員に履歴を調べてもらって、変なデータの奴がいなかったかどうか聞くことくらいは、俺たちにも簡単にできるからな。そのデータを直接見たり、一人一人を詳しく調べるとなると調査部にしかできねえし、なんかいろいろめんどくせえ手続きがあるみたいだから、よっぽどの理由がねえとすぐにはできねえんだけどな」

 言葉の最後にいくにつれてわずらわしげな声になり、レイは頭を掻いた。
 そこで、ドリンクが届けられた。先ほど注文を伝えたロボットの手によって、テーブルにそっとグラスが並べられる。

「これ飲んだら今日は帰るか」レイがグラスを持ち上げて言った。「どうだ? 短い時間だったけど、楽しめたか?」
「ああ。気分転換になったし、すごく楽しかったよ」
「そりゃよかった。んじゃ、今後のことが何もかも上手くいくことを願って――」

 そう言うとレイは歯を見せて笑い、グラスを健二の方に差し出す。健二も自分のグラスを持ち上げた。二人は「乾杯」と声をそろえ、グラスとグラスを打ち合わせた。


 レイと一緒に「ラ・スパツィオ」に出かけた日以来、健二の元気はいくぶん回復した。健二を外に連れ出して気分転換をさせようという、レイとゆかりの作戦は功を奏したようだ。
 バーで健二に話しかけてきた男については、レイと二人でクレイグに報告した。クレイグは念のためにその日の入店者記録を調べさせると言ったが、相手に重要な情報を話したりしたわけではないので、今は過剰に心配する必要は無いだろう、とも言った。現に、あれ以降特に変わったことも起きていない。
 そして、外出から四日が経った六月十日。健二は初めて、SGA本部での本格的な作戦会議に出席することとなった。

「明日、本部で会議があるんだけど、健二くんにもその会議に出席してもらいたいの」

 前日にゆかりからそう告げられ、この日はゆかりに伴われて午後からSGAの本部へと向かった。会議が開かれたのは、健二が以前にクレイグからDNA検査の結果を聞かされた部屋だった。部屋の照明は落とされ、前方の壁に投影された資料や周囲のモニターが暗闇に映えている。その光に照らされて、クレイグはいつものように正面の壁の前に立っていた。
 会議に出席したのは健二の他に、クレイグを初めとした阿久津賢士に対するチームのメンバーと、そこにアマンダと劉を加えた六人だ。中央の会議用テーブルの片側にはアマンダ、レイ、そしてその隣に健二が座り、反対側に劉、ゆかり、ジャンが座った。
 これだけの人数がそろっているというのに、いつものように陽気な雑談を交わすものはおらず、室内はほのかな緊張感に包まれていた。

「本題に入る前に、伝えておきたいことがある」

 会議が始まると、クレイグはまずそう言ってアマンダを前に呼んだ。クレイグの横に並んだアマンダは、私服の上にレイやゆかりたちと同じ、犯罪捜査部の制服である黒いロングコートをはおっていた。そのアマンダの姿は、急に彼女が健二から遠い存在になったかのように感じさせた。

「すでに皆知っているとは思うが、先日SGAの入職試験に合格し、アマンダ・オルコットも正式な犯罪捜査課の職員となった。今は訓練中のため現場にはまだ出ないが、今後は我々のチームの一員として働いてもらう」
「よろしくお願いします!」

 アマンダは皆に向かい、はきはきとした声を上げた。彼女の顔には、喜びと期待に満ちた笑顔が浮かんでいる。クレイグが席に戻るように手振りで示すと、アマンダは再びレイの隣の席についた。それを待ってから、クレイグは全員の顔を順に見回した。

「そして、これも健二以外にはすでに話したことだが、彼もいる場で改めて報告しておこう」そこで、クレイグは健二に目を留めた。「医療研究所を襲った犯人が、数日前、ようやく事件について話をした」

 先月、六人の仲間とともに医療研究所のスタッフ数名を殺害し、SGAによって勾留され、尋問を受けていた男のことだ。他の六人は、洗脳されて阿久津賢士の仲間となっているフランツという男と、ゆかりの弟である和泉かおるの二人によって殺されたが、彼だけは運良く死を免れた。

「彼のグループは、研究所襲撃の依頼を受けて犯行に及んだらしい。目的などは一切明かされなかったようだが、ただ、報酬の大金目当てに従ったそうだ。殺害する人間や、襲撃の日時は当然だが、一人一人を殺害する時刻や、現場を立ち去る時間なども細かく指示されていたということだ。指定の時刻になったら地下の倉庫まで来るように言われていたが、その時間まではずいぶん余裕があったと言っていた」

 医療研究所での事件については、事件の翌日に開かれたミーティングで詳しい説明を聞いていたので、健二もそこで起こったことはあらかた理解していた。犯行グループは研究員の男二人を射殺したあと、さらに殺人を続けるわけでも何かを盗むわけでもなく、部屋にいた残りの研究員を人質に取ったような状態で動かなかったそうだ。その不可解な行動の理由は、受けた依頼の内容に忠実に従おうとしていたから、というわけか。だがその結果、彼らは阿久津賢士の仲間によって殺された。
 健二はクレイグの説明を頭の中で反芻し、犯行グループが受けたという奇妙な指示に眉をひそめた。

「その指示にはなんの意味があったんでしょうか。いったい、誰がそんな依頼を……」
「それは、犯人の男にもわからないそうだ」
「わからない?」
「ああ。依頼は複数の人間を通して伝えられたらしい。最後に犯罪グループのリーダーに話を持ちかけてきた人物によれば、依頼主は顔も名前も明かさなかったようだ。その人物も直接会ったわけではないが、別の人間から聞いた話によれば、依頼内容の記されたデータを渡されたが、顔はマスクで覆われていたと。声もスピーカーを通していたから、正体を隠すためにおそらく声も変えているのだろう、ということらしい」

 寄せた眉によって刻まれた健二の眉間のしわが、さらに深くなった。
 スラム街――以前に貸し出されたタブレットの書籍で読んだときにも思ったことだが、そんなものがこの日本に存在するなど、にわかには信じられない。ましてや、ここは健二がいた時代から133年も未来の日本なのだ。健二には、そこに住む人々の生活をリアルに思い描くことはできなかった。彼らには、どこの誰からのものかもわからないような依頼を受け、犯罪に手を染めなければならないほどの事情があるのだろうか。

「男の話では、少し前からスラム街で、彼らのような犯罪グループや前科のある者、不法滞在の外国人などにそのような依頼をしている人間がいたようだ。私は、その不審な依頼には阿久津賢士が関係していると――いや、はっきり言おう。その依頼をしているのは、阿久津賢士だろうと推測している」

 静まり返っていた部屋の気温が、すっと冷えたように感じた。

「わざと事件を起こさせて、その犯人を自分の仲間に殺させてるっていうことですか?」

 健二は言った。衝撃に、声がかすかに震えてしまった。クレイグは以前、「阿久津賢士は見る者に英雄的な印象を植えつけるため、洗脳を施した自分の部下に犯罪者を始末させているのだろう」と言った。阿久津賢士は、その状況を意図的に作り出しているということか。

「ああ、その通りだ。まだ私の予測に過ぎないが、それならば、不自然な依頼の内容にも、事件が起こっている現場に阿久津賢士の仲間がすぐに現れる理由にも説明がつく。今までは犯罪者がすべて殺されていたから、そんな依頼があったのかどうかなどわからなかったがな。……しかし、そうだとすると、今回我々が事件の犯人を生きたまま捕らえたことは、阿久津賢士にとっては大きな失態となったはずだ。このことが原因で、今後、新たな動きに出ることも考えられる。充分に注意しておく必要があるだろう」

 最後の言葉は、室内にいる全員に向けられていた。

「この件については、直接スラム街にも赴いて調査を進めていく。何かわかればまた会議を開くから、そこで君にも伝えよう」
「はい」

 健二は首を縦に振った。クレイグの言うことは正しいのではないか、という気がしたが、今はどうすることもできない。もし、本当に殺人や強盗などの依頼がなされているのならば、予定されている犯罪について事前に知るためにも、そしてクレイグの推察が事実かどうかを調べるためにも、彼の言う“スラム街”で情報を掴むしかないだろう。
 クレイグは少し間を置いてから、再び口を開いた。

「現時点では、この話については以上だ。次に、あさってのことだが――」

 言いながら視線をレイに移し、健二の方を手で指し示す。

「ストレイス、彼に説明してもらえないか?」

 レイは「はい」と応じると、座ったままで体ごと健二の方を向いた。

「この間『ラ・スパツィオ』ってバーに行ったとき、俺が途中で一度、健二のそばを離れただろ?」
「ああ」
「あのときはマジで悪かった。ちょうど俺らがバーに入ったときに、スーツ着た男が二人、話しながらドアの方に歩いてきたじゃねえか。そいつらがしゃべってた内容に引っかかるところがあってさ、もしかすると阿久津賢士に近づくのに役立つような情報を得られるんじゃねえかと思って、追いかけて話を聞きに行ってたんだ」

 やはりそうだったのか、と健二は思った。SGAの仕事のことなので突っ込んで聞いていいものかもわからず、健二はそのときのことをレイにたずねられないでいた。レイの方からも何も言わなかったので、健二を一人で放置している間、彼がいったい何をしていたのか気になりつつもわからないままだった。

「すれ違ったとき、そいつらがアンチ・テクニシズムとかいうもんについて話してたのを覚えてねえか?」
「ええっと……ごめん、その、あんまり……」

 記憶を探ったものの、レイの言った“アンチ・テクニシズム”というワードには思い至らず、健二はそのままを伝えた。

「あのときは、あの人たちの話がそんなに重要だなんて思ってなかったから……」

 きまりの悪さから声が尻すぼみになってしまう。しかし、レイにも他の面々にも、そのことを咎める様子は無いようだった。

「いや、それはいいんだ。とにかく、アンチ・テクニシズムって団体があんだよ。なんでもかんでもテクノロジーで解決したり、人体に過剰に手を加えたりすることに反対してる人たちの団体で、“自然の”……なんだっけな」
「“本来の、ありのままの自然なもの”よ」

 ゆかりが言った。健二は前にも一度、ゆかりからそのフレーズを聞かされたことを思い出す。何の話をしているときだったか。これまでのゆかりとの会話をさかのぼろうとしたが、その前に、クレイグが壁に投影された資料の間に一枚の写真を表示させた。
 昔ながらの旗やプラカードや、もっと未来的な――ホログラムで形作られた――メッセージさえ掲げ、デモ活動を行っている集団の写真だ。写真が拡大され、最前列にいる人々の顔が大写しになった。必死に抗議の叫びをあげているらしき人々の間には、洗脳される以前の和泉かおるの姿が写っていた。

「これは……」
「かおるが――私の弟が所属していた団体っていうのも、そのアンチ・テクニシズムなの」

 写真が発する光によって照らされたゆかりの表情は、硬く強張っている。

「自分たちを“自然至上主義者”と称し、行きすぎたテクノロジーを疑問視することを人々に呼びかけているが、実際はその傍ら、かなり過激なデモ活動なども行う団体だ」

 クレイグが言い、手に持った小型の端末を操作した。アンチ・テクニシズムのデモ活動の写真が消え、もともと小さく表示されていた資料の一つが拡大される。タワービルとまではいかないが、そこそこの大きさの――2015年の基準で言えばだが――建築物の画像だ。

「そのアンチ・テクニシズムが、ある民間の文化施設内のホールで、十二日に集会を開くことがわかった」
「集会……」

 健二は呟いた。そう言えば、バーにいたスーツ姿の男のどちらかが、“秘密の集会”という言葉を口にしていたことは覚えている。非現実的でどこか時代にそぐわないような、古くさい印象も受ける妙な響きゆえに、耳に残っていたようだ。

「バーにいた二人の男の共通の知り合いが、アンチ・テクニシズムのメンバーだったらしくてさ。そいつが、周囲の人間に自慢げに言いふらしてたらしいぜ。その集会には政治家も来るんだ、ってよ。関係無い人間にそんなこと言っちゃあ、自分らにとって不都合なことになるかもしれねえのにな」

 レイは苦笑交じりに言ったあとで眉をひそめ、少し声のトーンを落とした。

「ヤクをやってるような感じもあったって言ってたな。もともとちょっと不安定なやつだったらしいんだけど、アンチ・テクニシズムに入ってからますますおかしくなっちまったらしい」
「アンチ・テクニシズムには政治家や芸能界関係者、作家なども所属している」

 クレイグが続けた。文化施設の画像の横に、中年の男の写真と個人データが並ぶ。

「国会に議席を持つ、調和共生党という保守派の政党に竹下という議員がいるんだが、彼もアンチ・テクニシズムに資金の援助などを行っているという噂がある人物だ。噂の真偽は定かではないが、今回の集会の場所に指定されている文化施設は、竹下の親族が運営している」
「集会が開かれる日は、個人主催のプライベートなパーティーが行われる、という名目で休館になっているんでしたね」

 ゆかりが確かめるように言った。

「ああ。調べたところ、十二日はメインホール以外の劇場や展示室はすべて休みで、施設内には立ち入り禁止となっていた。パーティーの主催者などは当然伏せられているが、いくら大金を払ったとしても、通常は施設の持ち主と無関係の人間が、施設を貸切にするような個人的なパーティーを開くことを許可されるとは考えにくい。毎日様々なイベントが行われている文化施設を、アンチ・テクニシズムがわざわざ集会の場所に選んだのも妙だ。おそらく、竹下の親族はアンチ・テクニシズムと関係していると見て間違いないだろう。そうなれば、竹下自身の噂も真実の可能性が高い」
「もし、その場に竹下がいれば――」劉が言った。
「竹下は黒、ってことっすね」レイが応じる。
「警察は過激な抗議団体を支援してる政治家も、麻薬常習者も、法に触れるような集会をやってるアンチ・テクニシズムの連中も、まとめて逮捕できるってことだな」

 皆が話す間、ジャンはじっと腕を組んだまま、発言している人間や前に映し出された資料に厳しい視線を向けていた。これまでのミーティングのときのように余計な口を挟むこともなく、交わされる言葉に真剣に耳を傾けている様子だ。

「そして、ここからが我々にとってもっとも重要なところだが」クレイグが言い、健二に目を向けた。「以前のミーティングで、阿久津賢士はこれまでに犯罪者だけでなく、自分の事業計画に反対する者も二人ほど殺している、と言っただろう」
「はい」

 そのことは健二もはっきりと覚えていた。

「そのときの被害者はどちらもアンチ・テクニシズムのメンバーだった」
「ということは――」

 健二が言うと、クレイグは「ああ」とうなずく。

「その集会の場に、阿久津賢士の仲間が現れる可能性がある」

 彼の言葉が意味するものに、健二の全身に緊張が走った。レイが、バーで健二のそばを離れてまで二人の男から話を聞きだそうとした理由も、今日の会議の目的もわかった。

「だが、あくまで可能性の話だ」クレイグはわずかに声を和らげた。「それでも、たとえ一パーセントでも阿久津賢士の逮捕に繋がる可能性がある以上、我々は情報収集のためにも様子を探りに行く。SGAは通常の犯罪には関与しないことになっているが、先ほどストレイスと劉も言っていたように、アンチ・テクニシズムが不穏な計画を立てていたりした場合は、警察に報告して事件を未然に防ぐこともできるからな」

 クレイグは一度言葉を切ると、一呼吸置いて表情を引き締めなおし、健二を見据えた。

「そこで、君にも同行してもらいたい」

 よく通る厚みのある低音が、会議室に響いた。

「はい」

 その強い視線を受け、健二も椅子の上で背筋を伸ばし、姿勢を正す。

「君の案を実行に移すとしても、突然、君を犯罪が起こっている現場へ連れて行くわけにはいかない。もちろん、どちらにせよ君が出て行くのは場が安全だと確認できてからだが、まずは我々と行動することにも慣れてもらう必要がある。今回は敵が姿を見せると決まったわけではないから、君は事前演習のようなものだと思ってくれればいい。仮に敵が現れたとしても、危険だと判断した場合はすぐに退く」
「わかりました」

 健二はしっかりとうなずいた。

「今回潜入する施設内のカメラには、SGAの方では接続できない。全体の状況の把握や建物のデータなどを現場で直接調べて報告してもらうため、劉にも一緒に来てもらう」

 その言葉に、健二は劉に目を動かした。クレイグも彼に視線をやり、たずねる。

「施設の鍵の入手の方は問題無いな?」
「はい。準備できています」

 劉の返事を聞くと、クレイグは健二に目を戻した。

「君は基本的には、劉と行動してくれ。万が一、アンチ・テクニシズムが何かやっていたとしても、その場で逮捕するわけではない。彼らと銃撃戦になったりすることはまずないだろう」
「はい」

 緊張から、頼りなげなか細い声になってしまう。

「大丈夫大丈夫、様子を見に行くだけだから、たぶん何も起こらないって」

 斜め向かいから、劉が健二に向けていつもの軽い調子で言った。クレイグも首肯する。それを見て、SGAの任務に初めて同行することによる健二の不安や恐れは、少しばかり薄らいだ。
 クレイグは端末を操作し、街や建物内の地図と思しき資料を新たにいくつか表示させると、正面に向きなおった。

「それでは、詳しい作戦を説明する」



>> To be continued.



今回も読んでくださってありがとうございます!!
四話も折り返し点、いよいよ健二もSGAの任務に参加するところまでやってきました…!

内容についてはまた後ほど雑記の方にて、ちょこっとだけ書こうかなと思っています。

いつも読んでくださる方々、拍手を下さる方々、本当にありがとうございます!
おととい更新した絵を見てくださった方もありがとうございました^^*

読者数の参考にしたいので、小説を読んでくださった方は各記事の拍手ボタンを押していただけますと助かります。
もちろん強制ではありませんので、気が向いたらで構いません!


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